悩みの本質と向き合う
「noteとの距離感に悩んでいる」
と、先日書いた雑記に、違和感を覚えた。
(本当に?「noteとの」だろうか?)
最近、気づけばnoteを見ている時間が増えた。
作業と作業の合間、通勤時間、隙間時間などなど。
そこから得られるモノは勿論あるのだけれど、
自動ドアみたいに近くにスマホがあれば、
見てしまう読み物に近くなっていた気がする。
でも、本当はnoteだけでなく、
スマホゲームや音楽、ポッドキャスト、電子書籍も
noteと同じくらい開いていた。
私の頭のなかは常になにかしらで一杯で、
自分の悩みの本質から逃げるように、
他の人の日常や、非現実で溢れていた。
ふと、それに気づいた時、
スマホと距離を取り、
いいお付き合いをすることに決めた。
それは、なかなか難しいことではあったけれど、
根が張るうちに本質に気付けたことで、
私の中ですとんと腑に落ちた行為となった。
朝起きてとりあえずスマホを触る、をやめた。
温かいお湯に浸かって、
ぼーっと今日という一日に想いを馳せる。
朝の弱い旦那さんにモーニングコールする時は、
スマホさんに頼る。
毎朝のこの時間の積み重ねは、
遠距離生活の心の安定に必要不可欠である。
毎日のルーティーンにしている読書や朝ティータイムで
ぼーっとする時間をとる。
時には、片付け物やプチ断捨離をする。
その間にスマホは必要ない。
スマホを置くと、(少し大袈裟かも知らないけれど)
今まで見えなかった世界が見えてきた。
通勤前に寄ったカフェでジャズが流れる中、
隣の席のおじいちゃんが、リズムに乗せて、
頭をユラユラ、ふんふんと揺らしている。
時間を楽しむっていいな、と思いながら、
これまでの私の生活を振り返る。
いつ見直したって遅くはない。
思い立ったが吉日、とはよく言ったもので、
今私は満ち足りた気持ちでいっぱいだ。
今日も、行ってきます。
とい。