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人の心の内は読めない ~映画『死刑にいたる病』をみた~

私が高校生の頃、『FBI心理分析官』という本が流行しました。
副題は「異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」。

日本で犯罪心理学や心理プロファイリングというものが広く知られるきっかけになった本だと思います。
当時友だちの間でこれが回り、私も読みました。
不謹慎ながら、ものすごくドキドキするミステリーというか…
だけどこれが実際にあった犯罪とその犯罪者の物語と考えるとゾッとしつつ、心理学の力のすごさに感じ入った思い出。

しばらくの間、大学で犯罪心理学が学べないかと調べちゃったもんね。
大学で犯罪心理学をメインに扱っているところがなく(今はどうか知らない)、そこから精神疾患に興味を持って心理学の道に進もうかと考えたこともありました。
結局、当時はまだ心理学の資格が国家資格になっていなくて、仕事をするにもかなり困難な様子だったために、あっさり諦めてしまったのですが…
今でも、興味は持ち続けたままです。

さて、本題。
映画『死刑にいたる病』をみました。
みた理由は単純。
連続殺人犯の阿部サダヲさんの演技がみたかったのです。

ネタバレってものをしないようにしたいので、あまり細かくは語らないことにしますが。
24人を殺した罪で逮捕され、9件の殺人を立件された阿部サダヲ演じる榛村。
しかしそのうちの1件の殺人は冤罪だと、かつて親交のあった大学生に手紙を送り調査を依頼する…という話。

すごく簡単に感想をいうと、見応えがあってしっかりおもしろかったです。
重すぎず、ちゃんとエンターテインメントだった。

榛村の、普段は人たらしな様子とか、でもうっすら怖い感じ、目の奥の怖さとかの演技の妙も期待通り。
そして、調査を依頼される大学生の雅也を演じた岡田健史さんの演技もとても良かった。
表情から、榛村に対して現在どんな姿勢でどんな気持ちで対峙しているのかがとても伝わってきました。

榛村がなぜこのような連続殺人をするに至ったかは、あまり語られません。
想像の域を出ない。
だけどときどき、雅也に語る言葉は実は自身のことを語り、自身に向けて語っているのでは、と感じられるときもあった。

『FBI心理分析官』の中にも、連続殺人犯で高い知能を持ち魅力的であった人物が出てきました。
会話しているうちに、犯人に肩入れしてしまう人間もいる。
そうして、周囲の人間に自分を信頼させ、操作していることを気づかれないように、操っていく。
直接対峙している人は平静を保ち公平に物を見ている気持ちでも、実は巧妙に誘導されている。

自分の目の前にいる善良そうな人が、実は自分のことを操り利用しようとしているかもしれない、なんて、普段あまり考えない。
というか、そんなことを疑いながら生きていては精神衛生上耐えられない。
だけど確かに、映画のような極端な例じゃなくても、ある程度ちょっとやってるかもしれない。

自分が目指す結果のために、他者が気持ちよく動いてくれるように言葉や態度を選ぶなんてこと、仕事してる人ならみんなやったことあるんじゃないか。
本当に自分のことを気に入ってくれているのか、なんて、わからないなって感じたことも、大人なら多かれ少なかれ経験があるでしょう。

人の本当の心の内は、わからない。
だけどだけど、その中から本当に信じられるって思える人や思える瞬間を積み重ねて生きていく。
本当に信じてほしいと思える相手には、正直に、心からの善良さで向き合ったりする。
あとは、自分の中の「なんか変だな」っていう感覚を鋭敏にして大切にしながら適度に警戒していくって感じでしょうかね。

むむ―――…
また久しぶりに『FBI心理分析官』が読みたくなっちゃったな。

ちなみに、本の中でも映画の中でも、幼少期の体験などが強く影響するということが語られます。
図らずも興味のある分野に対して、草の根運動のように少しは貢献できそうな仕事につきました。
幼少期が大切。
やっぱりそれは、どうしてもそう。

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