どうすれば病み期から脱出できるか

どうも現在進行形で病んでいる皆さま、今回はどうすれば病みから脱出できるか、実体験を踏まえて解説していこうと思う。

まずは自分の悩みの原因を全て書き出す


人間は脳が高度に発達した生き物である。それが故に過去のこと、未来のことまで時間を超えた広すぎる思考をしてしまう生き物だ。だからこそ後悔や不安、焦りなどが生まれ取り越し苦労なことばかりで苦しんでしまう。

病んでいる真っ只中では悩んではみるのだけれど一向に解決策が見つからない。そもそも何で自分がこんなに悩んでいるかも分からないし、いつまで苦しい状態が続くかも予測できない。頭の中が雑念でいっぱいになり破裂しそうなほど情報で溢れかえる。

思考が巡り巡って頭が冴え、夜は眠れないし朝は起きれない。布団から出たくない、仕事に行きたくない、誰とも喋りたくないといった症状が現れる。


まず初めにやるべきことは何でもいいからノートに頭の中の悩みや考えていることを一つ残らず書き出すこと。巷では「ジャーナリング」と呼ばれ、精神医学上での治療法の一種でもある。書く瞑想とも言われている。紙に書き出すことで悩みや考えが視覚化でき、整理することに繋がる。また、頭の中の雑念を一旦紙面上に出すことによりその悩みは「今は考えなくてもいい、紙に書いておいて後から落ち着いて考えよう」という段階に駒を進めることが可能。


このジャーナリングは僕自身、病んだ時は真っ先に試すもので、メンタルが好調の時も続けていると一切メンタルが不調になることが無くなった。ストレス軽減効果もあるし、脳内の整理にも大いに役立つのでぜひ知った今日から始めて欲しい。

凄く恥ずかしいが、僕もノートの一例を公開してみる。汚い字でいいので頭の中の雑念を全て書き出す勢いで!

YouTubeの解説動画があったので貼っておく👇




自分を俯瞰視して思考の歪みを訂正する


メンタルが病んでいる時ほど思考が極端に偏ってしまい極論で考えてしまいがちだ。また独断的な行動や衝動的な行動も招いてしまうことが多々ある。
例えば…

周りの人はあんなに輝いているのに自分だけ……」、「自分は世界で一番不幸で恵まれてないクズな人間なんだ…」、「今までもうまくいかなかったから今後もどうせいいことがあるなんて絶対思えない」などなど


自虐思考になりネガティブになってしまうのはあるあるだ。ネガティブになるなとは言ってない。ただ、いつまでもネガティブに考えている状態を止めることは自分の意思で可能だ。ネガティブな性格は治せないかもしれないが、ネガティブ思考をやらないように意識づけることは誰にでも可能。

「今はメンタルが不調だけど、それは一時的なモノであって時間が必ず解決してくれるからゆっくりと待って居よう」、「確かに私も不遇だが、世界を見れば明らかにもっと悲惨な現状を生きている人もいる。私にもできるはず」、「悩んでしまうのは思考を繰り返すからだ、そんな慎重な自分が大好き」などと一歩違った側面で自分を俯瞰して見る、褒めてみる。


そう考える習慣を作ることで次第にポジティブかつ楽観的で「まあいっか」と気楽に考えるようになる。性格なんてものは幻想にすぎなく、考え方なんて何歳からでも変えられる。ぜひ意識して見て欲しい。

他人との比較癖に気づき、比較をやめる


人間には承認欲求と言う非常に厄介な欲求が蔓延っている。誰かに認められたいし褒められた誰かの上に立って優越感を抱きたい生き物だ。確かにビジネスで成功したりある分野での競争において、そのような欲求は活力として有効活用できるだろう。

しかし、メンタルが病んでいる今、この比較癖は絶対に排除しなければならない課題となる。比較がなぜいけないのか比較とは誰かと自分の能力を比べることであり、その欲求が絶対的に100%満たされることはあり得ないからである。

お金持ちになればそれ以上にお金持ちが存在するし、ルックスが良くなってもさらに上には到底追いつけない強敵が存在する。どんなに勉強して頭が良くなっても、生まれつき超人的な才能を持つ天才には到底かなわないし、どんなにスポーツに打ち込んでも敵わないプロが存在する。

つまり、誰かと比較している以上はその欲求は満たされず、常に不満や葛藤は自分の心を蝕んでくる。知らぬ間にメンタルはボロボロになり、うつ病へと進行しゆく。鬱中もそんな惨めな自分が嫌いになり、元気でパワフルな人と自分を比較してさらなる自虐思考へと誘われ、終わりなき深淵へと沈んで行ってしまう。

今日から急に他人と比較をするなと言われてもそれは無理な命題だ。
徐々に比較している現状と思考の偏りに気づき、今回は自分を許してあげよう、他の人は持ってない自分の特技やすごい場所に意識を向けて自信を持つようにしようなどと思うようにする。


自分なんて●●、自分だけ●●という思考をストップ


芸能人や富豪はよく多くの人から賞賛の的になったり羨望の対象となることが多いが、あまり過大評価するのも考え物だ。今の時代、生きるのが簡単で簡単でしょうがない人なんてあまり存在しない。

もてはやされた有名な女優や俳優、富と名声を得た富豪でさえも人生を憂いて鬱になったり自暴自棄になったりすることは日常茶飯事。テレビに映る有名な人だからと言って自分よりはるかに幸せで豊かな人生を送っているなんてことは口が裂けても言えない。

あんなに有名な人でさえ、人間である以上は眠たい疲れた、お腹すいた、ムラムラする、お金欲しい、あいつウザい、消えたい、めんどくさい、あの人羨ましいなどと言った感情は必ず存在する。

要するに、この世に生を受けている以上は自分が人間である以上は悩みや不安は一生つきもので、この厳しい世界を生きているという現実は覆しようのない事実である。あなたも僕も、あの人もこの人も同じ惑星で同じ空気を吸って同じ時間を過ごして、生を全うしている。


あなただけが苦しかったり、あなただけが不遇だったり、あなただけが恵まれてないなんてことはない。確かに人々の中にはバックグラウンドが異なり、十人十色の生い立ちや親、能力には差異がある。確かに金持ちに生まれたり、天才に生まれた方が人生がよりイージーだったかも知れない。

しかし、天才なら天才なりの苦労があるようにどの人でもその人でしか分からない苦悩が必ず存在する。その人が公言してないだけで実は死にたいほどしんどかったり、恥ずかしかったり、苦しい思いをしている可能性も否めない。

自分だけが●●、自分なんて●●と考えるんじゃなくて
どの人も一生懸命生きている。みんな同じように悩みながら、それでも前に向かって進んでいる。だからこそ、私にもできる。大丈夫あの人にもできたんだから。少しづつでいいから自分に誇りと自信を持って頑張ってみよう。
疲れたら休めばいい、ストイックになりすぎずに一歩ずつやってみよう



八方美人をやめる、嫌われる勇気を持つ


八方美人なんてしても何の意味もない。確かに見かけ上の友人やつながりは増えるが、自分の好き嫌いや感情を押し殺して誰かと付き合っていたらいつかは心のキャパシティーが満タンになり崩壊しかねない。


時には反論して見たり、自分の意見を相手に押し付けてみたりするのが大切、いつまでも相手の意向ばかり窺って自分だけ我慢しているのはメンタル的に非常によろしくない。

相手に言い返してそれで相手がカンカンに怒って縁が切れるようなら
それは万々歳だ。そんな短気な人と付き合っていたらこの先どんな悪影響があるか分からない。お金の切れ目が縁の切れ目と言うように、自分の素を出して嫌われるような友人と関わる必要性はほぼない。真の自分を好いてくれるような方に出会えるように次の機会を探せばそれでいいのだ。


人に嫌われるのが怖くて取り繕ってしまう、生きたくもないのに孤独だと馬鹿にされるのが怖くてしぶしぶパーティーや飲み会に参加するなど、自分の本心を隠して誰かに合わせているようならいつまで経っても自分を好きになれない。自分の気持ちに素直になれないと、自分を誇りに思って尊重することなんてできない。自分を好きになれない、ひいては恋人や妻、子供などを心から愛することも不可能である。

まずは自分の気持ちに従い、嫌なことは嫌だという純粋な気持ちで行動することが大切。仕事の都合上、どうしても断れないことは多々あると思う。別に同僚や上司に嫌われてもいい、孤独でも別に構わないという図太さを身につけるか、副業や転職して自分の理想を叶える場所に移動するなどの選択肢もある。


一かに一冊は必ずあってもいいというくらい感銘を受けた本です↓
kindle版はこちら👇

単行本はこちら👇


病んでいる時でも心がときめく趣味を持つ


個の趣味を持つということがとにかく大切である。僕が数々の病み期から脱出できたのは「読書」という趣味を見つけたからと断言できる。

あの時に本を読むという楽しさを見つけられていなかったら僕は今この世に生きていないかもしれない。なぜ病み期が長く続くのか、その答えは

「やることが無くて非常に暇なため、やることは頭だけ動かし、悩み考えることしかないから」である。


つまり暇が多すぎるから考えてしまう癖がつき、次第に悩みが増幅した気になりますます程度がひどくなる。言い換えれば忙しい程悩んでいる暇がないからメンタルが病むことは少ない。

明日生きるのが厳しいような貧しい国で働いている人にとって、いちいち将来はどうしていこうか、自分の生まれた環境が悪かったからこんなに貧しいんだなんてネチネチ」考えているだろうか?ありえない。
そんなことをしている暇があったら今日の食料を調達し、明日を生き延びるために死に物狂いで働くしかない。普通はそうだろう。


つまり暇すぎるのもかえって害悪なのである。だからこそ趣味を持つ、自分が時間を忘れて没頭できる趣味を持つことに意義がある。今既に釣りやサイクリング、筋トレ、カラオケ、ガーデニング、音楽鑑賞、映画など趣味がある人はそれを存分にやって欲しい。

趣味がない人に言いたいこと、「今すぐに即効で趣味を見つけるべき
メンタルが病んだ時、やることが何もない時が来たらすぐに楽しめる何かを準備しておくことが大切である。

趣味がない人は趣味の見つけ方をググって調べて欲しい。
自分の小さい頃に好きだったことを回想して思い出してもいい。
いち早く趣味を見つけてこのコメント欄にでも書き込んで教えて欲しい。


とてもいい記事があったので引用させていただきます↓



悩んだ時に相談に乗ってくれる友人を持つ


友達は多くなくても全然かまわない、ただ本当に苦しい時に話を聞いてくれる人を持つことだけは絶対に譲れない。家族でも幼馴染でもOK、とにかく無条件に受け入れてくれて、悩みや愚痴を聞いてくれる仲間を持つことを最優先にして人間関係を構築する。


遊び仲間は最悪いなくても自分の趣味があるなら病むことはそうそうない。
相談に乗ってくれる家族や親友が一人でも入れば孤独からは解消されるはずだ。

ずっと孤独でいると友人が多い人を羨ましがって、次第にずるいなとか憎悪の念が抱いてくることもある。認知が歪み、友達なんてお荷物だからいらないなんて極論を言い出す人もいるが、人間がたった一人で誰とも関わらずに生きていることは不可能である。社会的な生物である以上、自分以外の生物とかかわりを通じて過ごす以外に選択肢はない。

とにかく一人は見つけられるように努力しよう。ネットでもラインのオープンチャットでもマッチングアプリでも構わない。とにかく自分と価値観の合う人を探すのが最優先課題


「友達がいなくて孤独に耐えられないです」なんて言ってくる人もいるが、そういう人ほど喋っている相手はいるし、家族とも仲がいいことが多い気がする。自分で友人の定義のハードルを上げすぎてしまい、最高のベストフレンドを探すために奔走している人を見かける。

多分そんな人は一生かかっても見つからない。バックグランドも価値観や考えが人それぞれ違うように、自分の意見が全て相手に伝わり、正しく解釈されて良好な関係性が一生続くなんてありえない。友人は年齢や職場など共に入れ替わり、生きていくうえで常にメンバーチェンジが起こる存在。

いつまで経っても親友が出来ずに困っているなんてことは言わなくてもい。その関わり合いの中で意気投合する奴は必ずどこかで現れる。その時を待てばいい。また友人と言うハードルを下げて、自分を取り巻く全ての人間は皆友達だと思えばいい。

あなたがさっき買い物に行った際に手に取った商品はどこかの国で製造されて誰かによって輸送され陳列されている。それを購入して消費した時点であなたは非常に大勢の人と間接的に関わっており、決して孤独などではない。
また、レジの人と金銭を通じて関りを持ったし、あなたが払ったお金でその会社の従業員やバイトの人の給料が増える、そしてその人がまたお金を消費してより多くの人と繋がっている。


そういう風に自己と外界との繋がりを広義的に考えていくと、あなたが生きているだけであなたが普通に買い物をして消費をするだけであなたは誰かと関わっているのであり、誰かの役に立っている。友人など大量に存在することになる。

友人が多い少ないの議論は甚だしく不毛で、議論する余地もないことがお分かりになっただろうか。その人自身が友人という定義を広義的・狭義的に解釈するか否かでメーターが変わってくるのだ。今この文章を読んでくれている読者も僕の友人である。今日も読みに来てくれてありがとう。

おわりに

いつも記事にすると長編になってしまう。
なかなか要約して話すのは難しいものだ。
今回は大学に入ってから数々の病み期を体験してきた僕の実体験を踏まえて話してきた。今現在進行形で病んでいる人はぜひ実践してみて見て欲しい。

何か質問があればどんな些細なことでもいいのでコメント待ってます(^▽^)/

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?