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Thank you Rockers I love you baby!〜チバユウスケに捧げるコラム

2023年の12月4日。 僕にとっての大切な世界の1つが、終わりを告げた。 

「チバユウスケが死んだ」

そのニュースはバンドの練習に行く前に昼食を食べていた僕にとって、その箸を止めさせるには十分すぎる、正に青天の霹靂ともいえる代物だった。

......オールバックにサングラスに、まるでその筋の人のような強面な見た目に、ロック好きならばすぐに虜になってしまうような、まるでディストーションのようにしゃがれた天性の歌声。

ロックを体現するようなステージングに、浴びる様に酒やタバコを嗜む姿に、僕はまるで子供が夏祭りの露店に並ぶモデルガンに夢中になるように、あこがれていた。

チバユウスケとの出会いは、思い返せば高校生の時だった。

当時僕は中学の時に所属していた、吹奏楽部の音楽や人間関係に対する封建的体制に嫌気 がして、もっと自由に音楽がしたいと高校では軽音楽部に所属した。

しかし当時はバンドというものに興味が持てず、もっぱら尾崎豊や浜田省吾、忌野清志郎や長渕剛といった 70~80 年代のアーティストをアコースティックギターでコピーすることにはまっていた。

というものの、僕が高校生だったころ(2017 年~2019 年)は、My Hair is Bad、KANA-BOON、RADWIMPS やONE OK ROCK などの邦ロックアーティストの最盛期であり、 当時は学校の軽音楽部も皆そのバンドのコピーしかやりたがらず、たまにライブハウスに足を向けても、上記で挙げたバンドの 2 番煎じのようなバンドしかおらず、そのような界隈に辟易していた僕は、バンドという形態に対していまいち憧れを抱くことができなかった。

やがて 80 年代アーティストの一環として布袋寅泰(Boowy、COMPLEX etc...)を聴くよ うになったタイミングで、エレキギターの奏法の1種である「カッティング奏法」に夢中になり、その過程で Thee Michille Gun Elephant に出会うことになった。

スタイリッシュな黒いモッズスーツに身を包み、酒やたばこを嗜み、余計な演出はせずに、 ただ全霊をもって研ぎ澄まされた「ロック」に挑むミッシェルの姿を見て、僕はたちまち「バ ンド」の虜になってしまった......この瞬間に、僕は彼らに人生を狂わされてしまったわけである。

部活の引退の折には、バンドのメンバーに無理を言って 1 曲だけ「GT400」を演奏させて もらった。

チバさんのようにしゃがれた声を出すために前日にわざと力をこめて、長時間歌を歌って喉を傷めさせたことも、曲を知らずにぽかんとしている観客の前で演奏を終えた後、名前も覚えていない後輩が「ミッシェルかっこよかったです!」と興奮した様で言葉をかけてくれ、同志が見つかったと内心うれしくなったことも、今となってはいい思い出だ。

高校を卒業し、大学に入学して外部でバンドを組むようになると、バイトでコツコツと貯金してチバや Blankey Jet City の浅井健一(ベンジ―)に憧れ、グレッチの6119 を購入し、ツナギやスーツに身を包み、まるでミッシェルやブランキ―の猿真似のような曲を講じていた。

今となれば恥ずかしい限りだが、当時はそれこそが僕にとっての「バンド」としてや りたいことの全てだった。

そんな僕にとっての青春そのものといえる Thee Michille Gun Elephant。そしてそのフロントマンだったチバユウスケ。意外にも思えるかもしれないが、彼のソングライターとしての 腕前は、非常にどのジャンルにも対応できるほどに器が広く一級品だ。

彼のルーツである The Damned や The Clash といったパンクや、Dr.Feel Good や The Pirates といったパブロックにならい、彼の歴代なバンドではあまり複雑なコードは使用し ていない。

あくまでシンプルなバンドサウンドに、非常に口ずさみやすいメロディ、そしてフックとして耳に残りやすい卓越したワードセンス。ミッシェル、ROSSO、The Birthday というバンドの変遷を経て窺えるのは、彼の音楽に対する膨大な知識量と、それを「チバユウスケの音楽」として何かのトレースになることなくアウトプットできる天性のスキルだ。

そんなアーティスト・チバユウスケの曲で好きな曲は何か?と問われれば、数え切れない中 で答えにかなり悩むが、その中で一つあげるとすれば The Birthday の青空だろう。

この曲を好きな曲として挙げさせてもらった理由は、偏にアーティストとしてだけでなく、人間と してのチバユウスケの成長を窺えるからだ。

2003年にミッシェルを解散し、やがてチバユウスケは後続のバンド・The Birthdayを結成 するが、ミッシェルの頃のチバでは想像できないほどに優しい曲が多い。

それもきっと、チバ自身も年を重ねてかつてのバンドメンバーだったアベフトシの急逝をはじめとした様々 なことを経験し、彼自身も世界に対する見方が変化したことによるだろう。

そんな彼が、2018 年に公表した楽曲が青空...この曲で一番好きなのは、言うまでもなくサビの歌詞の一部「お前の未来はきっと青空だって言ってやるよ」という箇所だ。

これはあくまで個人の考えの域を出ないが、思うにミッシェルの頃のチバの世界に対する見方は、ある種のニヒリズムを含んだ、穿ったレンズを通していたのではないかと考える。 バンドとして芽が出ていない頃、先の見えない未来の中で当時のチバは、誰かの世界や未来など気に掛ける余裕がなかったのではないだろうか。

ミッシェルのデビューシングルであり、代表曲である「世界の終わり」では、ひたすらに、肯定も否定もせず、まるで茶化すように世界の終末について歌っていた。

そんな彼が、年月を経て正面から世界や未来、明日という現在から先のことに目を向け、そして向き合い、「お前の未来はきっと青空だって言ってやる」と、励ましてくれるような、背中を押してくれるような歌詞を綴るまでに彼が成長したことが窺える。

2023年の5月には The Birthday のライブに初めて足を運ぶつもりだった。ちょうど老朽化 のために取り壊される中野サンプラザの閉館のカウントダウンイベントの一環で彼らが出 演するということで、またその同じ月にはサンプラザの地下にあったライブスタジオで、僕が組んでいるバンドはワンマンライブを開催していた。

当時の中野サンプラザの収容人数が 2200 を超えていることを考えれば、ライブスタジオの60~70 人のキャパシティでのライブなど、まるで比べ物にはならないが、勝手ながら初め て彼に会うことができ、更には同じ土地でライブをすることができるというバンドマンと しての名誉に、この上なく心躍らせていた。

その最中で「チバユウスケ食道癌により休養のニュース」が、丁度ワンマンに備えてミニアルバムのレコーディングを行っていた僕の耳に届いた。

予定されていたライブやツアー、フ ェスの出演も全て見送られ、行くはずだったサンプラザのライブも公演中止が決まり、手元 にはチケット代で払ったはずの 7000 円がただ払い戻しのお金として手元に残った。

欲しかったのは、無くなったはずの 7000 円なんかじゃない。その熱狂渦巻く、背中を追い 続けた、待ち焦がれた背中との、心の対話のはずだった。

ワンマンライブに備えてポテンシャルを整えていた中、まるで出鼻を挫かれてしまったような気分だったが、チバは帰ってくるはずだ、それまでに自分にできることをやろうとワンマンライブ当日には The Birthday の「涙がこぼれそう」のカバーを披露し、病と闘うチバに対してのエールを自分なりに届けたつもりだった。

そして 2023 年 12 月 4 日。チバは帰らぬ人になってしまった。

あれだけアルコール、タバコを嗜んでいたのだ…身体に不調を来しても全くおかしくない。太く短く、なんともバンドマン冥利に尽き る最期ではないか。

そう思う一方で、もっと僕らにその大きすぎる背中を追う夢を見せてほしかったという想いも消せない。

2024 年1月19日には、ファンへの計らいで献花式が執り行われたが、僕はどうしてもいけなかった...どうしても、彼がまだどこかで生きているという想いを捨てきれず、別れを告 げる気にはなれなかったからだ。しかしその献花式は、当日にインスタグラムで式の様子が 生配信されており、僕は欲に負けて観てしまった。

映像では、ステージの上に立てられたマイクスタンドと、彼が愛用していたアンプやギターが設置されていた。今にもSE の「Sixteen Candles」が流れ、チバが舞台袖から颯爽と現れ てきそうな雰囲気......しかしその姿を拝むことは、僕たちには2度とできない。

そのことを意識した瞬間に、僕は彼が死んでから何度目かの涙を零した。

正直彼がこの世を去って数か月経過した現在でも、完全には彼の死と向き合うことができ ていない、正確に表現するならば、彼の死という事実から、無意識に目を背け続けていると 言っていいだろう。

それでもこれから僕たちファンは、彼の死について少しずつ、少しずつ各々のペースで...... しかし必ず、その痛みを受け入れて前に進まなければならない。それがこの世界に生まれ落ち、今を生きている僕たち人間の宿命のようなものだからだ。

献花の際に参列者に配られた花は、ガーベラだったそうだ。花言葉は「希望・常に前進」...何とも チバさんらしい、くよくよするな、前を進めとファンに檄を飛ばしているような、そんな気分に襲われた。

彼と同じグレッチのギターを握り、自身が魂を削りだした歌を披露し、ステージに臨む日々 ...もしも音楽を、そしてバンドをやっていなかったら僕は今頃何をしていたのだろうか。

全くもって想像できないし、そんなことは考えるだけ無駄というものだが、きっと彼の作った音楽 に出会い、そしてバンドを始めたことは僕にとっての必然だったのだろう。チバユウスケという男に狂わされた、僕の人生はこの上なく最低だが、最高で幸せだと言い切れる。

僕はこれからも、その大きすぎる背中を追いかけ、彼が愛したこのくそったれの世界を、もうしばらく生きようと思う。

このコラムをガーベラの代わりに、彼に供えて。

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