見出し画像

【江戸時代ダイエット】第1回 そもそも江戸時代ダイエットとは

体重というものは「ある点」を通過すると一気に増えるものだ。70キロを越えた後75キロに到達するのは早かったし、その後しばらく増えたり減ったりしながらも80キロを越えてからは、85キロに達するのもすぐだった。

85キロ?

いつから俺はそんなにデブになったんだ?75キロを超えたときにこれはヤバい、本格的にヤバいと本能で感じたことは覚えている。あれからどれだけ経っただろうか。あれからなにをどれだけやっただろうか。

これはヤバい。語彙力皆無でまるでバカみたいだけれど、ヤバい。
ではどうするか。ダイエットだ。それしかない。気付けば着たい服も着られない、そんな身体に成り下がっていた。これではヤバい。またヤバいと言ってしまった。それくらいにはヤバいのだ。

では方法を考えよう。ジムに通うか?絶食するか?薬物に頼るか?
どれも長続きしなそうだ。瞬間最大風力的なこと、例えば一週間で5キロ痩せました、とかはありそうだが、その反動で15キロ増えそうでもある。日常生活の中に組み込めて、かつ論理だったものでなくてはならない。生活の一部であれば「やるのが当然」になるし、論理だっていれば「やらないことがおかしい」と頭が働くからだ。

そこで思い出したのが、5年くらい前のこと。以前から筆者(星野)は、東京は池袋の西隣、椎名町というところに住んでいるのだが、当時の勤務地は西新宿。
当然電車で通勤していたが、ある日思い立ち、早めに家を出て歩いてみた。すると、家のドアから会社の玄関までちょうど1時間10分と判明。これは区切りがいいわとそれから2年ほど徒歩通勤にしたのだが、これが良かった。
なにが良いかと言えば、まず太らない。そして徐々に痩せる。身体が活性化するのか、朝から仕事も捗る。
後は、移り変わる日々を同じルートで歩き続けるので、ちょっとした四季の移ろい、ああ、紫陽花が咲いてるね、ならもうすぐ雨の季節か、なんてことを思うようになった。頭に、四季を愛でる余裕が出てきたのだろう。

これを勝手に「江戸時代ダイエット」と名付けた。まるで江戸時代みたいだね車も電車も使わないなんて、なんて話を誰かとしたのが発端だった、と思う。その名前をつけてからは、「基本的に魚中心」「コメはたくさん食べる」「やむを得ない場合以外は全部歩く」というルールを次々作っていった。こういうことは楽しい。一年くらいは毎日お弁当を作って持っていっていた。

概要にも書いたが、江戸時代の人の移動手段は基本的に徒歩。場合によってはカゴや馬というのもあるが、乗馬にしても運動だし、当時のカゴは激しく揺れたそうなので体感も鍛わっただろう。
そして、コメ。ダイエットにおける悪役の如く言われることも多いが、当時はカロリーの半分以上をコメで摂取していた。一日5合食べて一人前、なんて言われていたらしい。
これで気分も爽快、体重も減る、健康診断の数値もよくなる一方、というのだからいいことしかない。

よし。これをやろう。
一日5合はさすがにキツいので、2合半いただこう。おかずは、焼き魚。鯖や鮭なら切り身で100円くらいだ。場合によっては鯖缶でもいい。
あとは、野菜たっぷりのおみおつけと、キムチ(ここだけは江戸時代とは異なるが、植物乳酸菌を取るためにご勘弁いただきたい。あと、個人的に好きだし)。三食これでいこう。
それと、野菜分補充のために朝起き抜けに野菜ジュースをグラスに一杯。
後は、どこに行くにも(行けるところまで)とにかく歩く!

さてどこまでいけるものか。
がんばるぞ!どうぞよろしくです!


ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 200

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?