見出し画像

私と父とカメラ

こんにちは。
ゆきふるです。

春も過ぎ去り、いよいよ夏の空気が流れ始めましたね。
今年の夏は何をしようか、やっぱり変わらずいっぱい文章を残したいな。そんなことを思っています。

さて、ちょうど1年前のこの時期、noteに「私と母と本」という記事を投稿しました。
その記事では、今まで誰にも言ったことのない本音や、心の奥底にある考えを等身大の言葉で綴りました。

書き終えた時、何か心がスッキリしたことを覚えています。
そして、大変ありがたいことに多くの方に読んでいただけて、温かい素敵なコメントもいただきました。

この記事の投稿を経て、「家族」という私にとって大きな大きな存在をはじめ、これまで私と関わってくれたあらゆるコミュニティの温かい方々との関係性があってはじめて、私の今の感性、表現があるのだなと痛感しました。

あれから1年が経ちました。
そして今回、父について、書きました。

私にとって父について語るということは、母の時とは全く別の感覚です。
二人の性格や私との関係性は、本当に全くと言っていいほど異なります。
ただ共通して言えることは、「書いてよかったな」ということです。

私と父と、それからこの両者をつなぐあるモノについての物語、読んでいただけたら嬉しいです。



尊敬する人物について、スピーチをしましょう!

小学何年生だったかのある日のクラスルームで、先生から与えられた課題です。

当時の私には、明確に目標とする人物などは特にいなくて、尊敬の念を抱く相手もいませんでした。
ただただ友達と馬鹿みたいに遊んで戯れていて、誰かの何かに憧れるとか、「この人のように生きよう」などと考えることはありませんでした。

だから上記の課題に答えを出すことは簡単ではありませんでした。
2、3日悩み、それでも最後はテキトーに、ただ「近しい存在だから」という理由で父親についてスピーチのネタを書くことにしました。

当然、中身はすっからかん。
誰の心にも刺さらなかったでしょう。
もし父があのスピーチを聞いたら、かえってがっかりしたことでしょう。

◇   ◇  ◇

父は寡黙で、あまり自己主張をしない人です。
そして何よりも特徴的なことは、とにかくストイックで勤勉な人だということ。

父は公務員をしていますが、私の記憶の限り、家族の都合以外に自分一人の趣味のために仕事を休むということは、一度もありませんでした。
毎日毎日、決まった朝早い時間に家を出て、時には夜遅くまで残業をして帰ってきます。
そして家庭内で、仕事に関する文句を口にしたこともありませんでした。

あえて悪く言えば旧時代的というか、「ザ・労働者」という感じです。
だからその頃の私にとって父は、どちらかというとあまりかっこいい存在ではありませんでした。

もっと楽しそうに生きたらいいのに

と思っていました。

ただ、父は当時からカメラで写真を撮ることが好きでした。
父が使っていたのは、いわゆるコンデジというカメラで、コンパクトで持ち運びしやすく、本格的な一眼やミラーレスのカメラよりも初心者向きのカメラです。
今思うと、使っていたカメラにも、父の性格が表れているような気がします。

そして、姉と私、つまり自分の子どもの写真をよく撮りたがりました。
家族でどこかに出かけるたび、父はそのカメラでいろんなものを撮っていました。
私が今、子どもの頃の旅行やお出かけの思い出を振り返ることができるのは、父の撮った写真たちがあるからです。

基本的にポーカーフェイスなので明確に表情には出しませんが、カメラを構えた父は明らかに活き活きとしていました。
私の「何かを表現して残すことが好き」という性格は、きっと父譲りなのでしょう。

父がカメラを構えると、姉は特に嫌な顔もせず、父に促されるがまま被写体役を務めました。
一方の私は、写真を撮られることがなんだか小っ恥ずかしくて、カメラを向けるたびに逃げたり拒んだりしていました。
だから家族の写真の中で、私の写っているものは多くはありません。

あの頃の私は自分のことばっかりで、父の楽しみを奪ってしまっていました。
大人になった今、私自身も趣味でカメラを持って写真を撮るようになって、すごく申し訳ないことをしていたな、と思うのです。

◇   ◇  ◇

先日、父が当時使っていたコンデジを、私に無期限で貸し出してくれました。
事実上の譲渡というか、継承みたいな感じだと勝手に思っています。

正直な話、現代はスマホのカメラ機能が高度になってきており、まして私は自分の一眼カメラを持っています。
手軽さの面でも、写真の質感の面でも手持ちのアイテムで事足りているなあ、というのがコンデジを手にした私の率直な気持ちでした。

おまけに私が譲り受けた時点で、このコンデジにはレンズの内側にゴミが入り込んでしまっていました。

ゴミが写り込んでしまう

この状態では、何を撮っても写真の中に黒いゴミが写り込んでしまいます。
そのことに気がついてすぐに、新宿のカメラ屋さんに持って行って、見てもらいました。

しかし、店員さんには、「修理は現実的ではない。買い替えた方が良いでしょう」と言われてしまいました。
途方にくれた私は、それでもせっかく父からもらった大事なカメラで何かを撮りたいと思い、街に繰り出しました。

夜の新宿でカメラを構えた私は、あることに気がつきました。

あれ、暗いところで撮影するなら、ゴミがほとんど目立たないじゃん。

暗ければ目立たない

一筋の光が見え、夢中で夜空や、なるべく暗いものに向けてシャッターを切りまくりました。

そしてこれは、日中にも応用が効きました。
別の日、よく晴れた日中帯に父のコンデジを持ってまた街に繰り出しました。

そこでまた、あることに気がつきました。

ビルや、なるべく黒い対象物がゴミの位置と重なるように構図を工夫すれば、ゴミが全然目立たない!

ビルと重ねれば目立たない

それからは、このゴミを考慮した撮影というのが楽しくなって、普通に撮影するよりも面白いのではないかと思うようになりました。
今では父のコンデジでの撮影が一番楽しいです。

ゴミが入ってしまっていることが、むしろ素敵なことだと思っているくらいです。
不完全な代物かもしれないけれど、世界で一つだけの映写機です。

◇   ◇  ◇

私が父からもらった大切なもの

一つは、「写すこと」、ひいては「何かを表現すること」への関心です。
おそらく父がカメラを持っていた姿が記憶に住みついていて、それが今の私の表現する活動とどこかで繋がっていると思うのです。
あれだけ自分の感情や趣味を外に出さない父が唯一、嬉々としてやっていたことだったからこそ、私の指向性に影響を与えているような気がします。

そしてもう一つは、あの勤勉に生きる姿です。
今でも私自身は、父のように生真面目に生きたいとは思っていません。
自由に、あまり型にハマりすぎずに生きていたいものです。

ただ、もう一度 ”あの課題” を与えられたとしたら、今度は自信を持って、

私の尊敬する人物は、私の父親です

と語ることができます。
中身のある敬意の想いを表現できると思います。

自分とは全く異なる性格で、「こうなりたい」と思える対象ではないにもかかわらず、その人のことを尊敬している。
基本的に、自分の歩く道の延長にいたり、考え方が近しい偉大な人物に対して尊敬の念を抱きますが、父だけは例外です。

そしてそれは、父の性格と行動が、自分と反対方向に完全に振り切れているからに他なりません。
父は本当に、「真面目に働く」という分野においては他に見たことがないくらい徹底して全うしているのです。

ちょっと気を抜くと自由に生きすぎてしまう、そんな危なっかしさのある私が、それでも一応そこそこの大学を出て一人の社会人として生きているのは、父がひたすら真面目に働いていた姿を見ていたからだと思います。
その生き様が、私の最終防衛線になってくれているのです。
あんなに一つのことに真面目に取り組める人は、そんなに多くはない、そう思わせてくれます。

将来、自分にも家族ができるかもしれません。
自分の子どもに、自分が残せるものはなんなのか、と時々考えます。

私が父からもらったもの、特に二つ目については、どうやら次の代に継承することは難しそうです。
だからせめて、私も自分の感性が向くままに、何かを表現し、残していこうと思います。
この文章も、そのうちの一つになるかもしれません。

では、また。


幼少期の私と姉(撮影:父)


▼よろしければ、こちらも。

「私と母と本」

この記事が参加している募集

#振り返りnote

84,804件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?