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私と母と本

こんにちは。ゆきふるです。
今日は、ある視点で私の人生を振り返りながら、
今後の野望の一つを共有させていただきたいなと
思います。
今回の内容は、いつかちゃんと振り返って
書きまとめたいと思っていたもので、こうしてnoteにできることが嬉しいです。


私は今、20代の会社員として過ごしています。
そんな私の人生には、ずっと本が大好きな母の存在がありました。
私の実家には、母が愛してやまないたくさんの
本たちが積み重ねられていました。

◻︎

私が小学生の頃、母は図書館の司書になることを
志していました。その夢を追いかける姿を見ていると、私も自然と本の魅力に引き込まれていくよう
でしたが、当時の私は活字を読むのが苦手でした。
そんな自分がなんか嫌で、そしてなんか母に
申し訳ない気持ちになったりしました。
また私が小学生の頃、母は県内の別の学校の図書室で働いており、さらに図書ボランティアとしても
活動し、朝読書の時間に子どもたちに絵本の
読み聞かせをしていました。本と同じくらい、
きっと子どもが好きだったのだなと思います。

◻︎

私が中学生くらいの頃、やむを得ない事情で、
図書館の司書になる、という母の夢は絶たれることになりました。
当時、私はやるせない気持ちでした。
友達に将来の夢を聞かれた時に、母の夢を口にしたこともありました。
たいして真剣でもないのに、その夢を口にすることが母への侮辱に値するのではないか?
とも思いましたが、母の夢が完全にこの世から
消えることが許せなくて、つい言ってしまったんだと思います。ここでは明確に、母に申し訳ない
気持ちになりました。

◻︎

私自身は、やはり特に読書家ということでは
ありませんでしたが、高校時代には文藝部に
所属し、短編小説を部誌に寄稿するなど、
文字の世界に少しずつ触れていました。当時の私がどう思われていたのか、母の心の中ではどのように映っていたのか、時折考えることがありました。
少しは喜ばしく思っていたのでしょうか。

◻︎

私が大学生になった時、母から私へのプレゼント
として10冊ほどの本が贈られました。おそらく、
本好きの母が、私が大人になるにあたり教養を
身につけて欲しいという思いで選んでくれたのだと思います。その中には、「窓ぎわのトットちゃん」や「雪国」などが含まれていました。

◻︎

しかし、私が大学生のある時、久しぶりに帰省した私は、実家にあったほとんどの本がなくなっていることに気づきました。母はそれらを図書館などに
寄贈してしまったのです。
なぜ母がそんな決断を下したのか、私は深く疑問に思いました。理由を尋ねた記憶もあるような気が
しますが、その真意は今もわかりません。
もしかしたら聞いてないのかもしれませんし、
聞いても有耶無耶にされて、本当の気持ちを教えてもらえなかったのかもしれません。
それでも、大切なものをあえて手放す母のその
行動は、私の心に深く刻まれました。その決断は
母の思いを、あるいは生き方を示唆しているように感じられました。

◻︎

社会人になった私は、自分自身の夢の一つとして、自分の書いた書籍を世に出し、それが母の手に
渡ったらなあと思っています。文才もコネクションもありませんが、「夢」ってそんなものでしょう?
書く内容は何であっても構わないのです。どんな
内容であれ、きっとその書籍は私の人生観、世界観が全面に反映されたものになると思うから。
ただ、私は女優の石田ゆり子さんが書くようなエッセイ集を出してみたいとも思っています。彼女の
言葉は、私に元気をくれ、新しい考え方を与えて
くれます。同じように、私も誰かの心に残るような言葉を書くことができたら、それはすごく幸せだなと思っています。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
ようやくこのお話ができて、すっきりしました。
母の夢は完全にこの世から消えたのか。
母はなぜ、本を手放したのか。
なんとなくですが、私がこれから歩む人生の中で、どこかでふと答えが出る気がしています。
そうであって欲しいだけなのかもしれませんが。

では、また。


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