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セミのぬけがらと異文化理解

夏休み、北京の外に遊びに行くことが難しいので、
週末、家族4人で、北京の端っこのほうにある
「樱桃谷」というところの川辺で遊びました。

少し遊んだところで、急に大粒の雨が降ってきました。
慌てて木陰で雨宿り。
ふと見ると、木の枝にセミのぬけがらが。

うちの子どもたち、セミのぬけがらを見たのはいつ以来か、
北京市内でもセミは鳴いていますが、
うちの近所の街路樹はとても背が高いのが多く、
網や手でつかまえられるようなところに
セミやセミのぬけがらはあまり見かけません。

「わー、セミのぬけがら、こわい!」

と言う娘に、夫が声をかけます。

「セミは地面の下にいるときはね・・・」

さて、その後、中国人の夫はどんな言葉を続けたでしょうか。
わたしは頭の中で、

「セミの幼虫さんは地面の下で何年も過ごした後、
 やっと大人になるためにこうして木を登って出てくるんだよ」

というようなストーリーを思い浮かべていました。
しかし、夫の話の続きは私の予想とは全く違いました。

「セミは地面の下にいる時は、おいしいんだよ」

と言うのです。
思わず、目が点になりました。
セミの幼虫は美味しいというのです。

「えーーっ、ここで食べるっていう話になる?」

というような反応をしたわたしに向かって、

「君だって、東北地方に住んでた時は、
 カイコの幼虫だって食べたじゃん!(あれと同じようなもの)」

と夫。そりゃなんでもものは試しと食べました。
食べましたけど、子供とセミの話をするのに、
日本人的発想でいくと、「セミさんはね・・・」
と擬人化して物語的に話して聞かせるような場面で、
いきなり食べるはないでしょ!

こんな、日本人が想像もしないような
異文化的発想に出会った時、
わたしの中でどのようにして心の平穏を保つのか。

それを次回書きたいと思います。


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