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初対面の若き中国人女性の生い立ち

北京郊外から戻ろうとしたら車がパンクし、
修理場でデリバリーを食べながら、
案内役の女性が急にしんみりして話を始めたつづき。

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なんでも、彼女の両親はいつも喧嘩してて、
そういう争い事の絶えないギスギスした雰囲気の中で
食事をしていたらしい。
 
お父さんは数年前に亡くなり、
その後、お母さんはうつ病を患って、
彼女が家に帰っても無表情でベッドにあおむけになっていて
それを見るのがとてもこわく、
家に帰りたくなくなったとのこと。
 
話を聞きながら、
家庭でお母さんが暗い顔をしていることが
どれだけ子供の心に影を落とすか
ということに思いを致した。
 
彼女が進路を考える時期は
ちょうどお父さんの葬儀でバタバタしていて、
お母さんは彼女に調理専門に進むように勧めたとのこと。
あなたの食事まで面倒見られないから、
自分の食べることを自分で解決できるようにと言われたらしい。
 
お母さんの言葉は、
思いやりと突き放しを同時に体現しているようで
そこはかとない悲しさを感じた。
彼女の心の傷に思いをはせた。
 
「それで、あなたはお母さんの言うことを聞いて
 その専門に進んだの?」
 
と聞くとそうだという。
 
「後悔してる?」
 
と聞くと、
 
「後悔はしていない。おかげで私は今、
 こうして自立してやっていけてるから」
 
と彼女は私に向かって笑いかけた。
 
きれいすぎる笑顔だった。
無理して笑ってるようにもみえた。
 
しばらく話すうちに
 
「あの時、自分の専門をもっと真剣に考えればよかったな」
 
とぽつり。
もっと自分を大切にすればよかったということに
今になって思い至ったのかもしれない。
 
当時15歳そこそこの女の子が、
自分で何もかも決めるのは難しかったと思うし、
本当はまだ、両親のあたたかいサポートが
必要な時期でもあったのだろう。
本当は、もっと大切にされたかった。
 
「お父さんは孤児で、自分の感情を表さない人だった。
 たぶん表し方が分からなかったんだと思う。
 親も仕方なかったと理解しているつもりだけど、
 ずっと欠乏感がある」
 
という。
 
「ご両親を恨んでいるの?」
 
と聞くと、素直にそうだと言ったのが
ちょっと意外だった。

つづく。
 

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