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新卒1年目に転職した私のリアル【その⑦】【最終回】3月


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前の記事だいぶ時間が開いてしまたけれど、やっとこさ最終回!

1社も内定がないまま迎えた3月に突入したわたし。さてさてどうなる。。

(ちょっとこの辺りの記憶はまじで曖昧というかメンタルがギリギリだったので、LINEやメッセンジャーの自分の発言を元に時系列を整理していきます。)

3月11日 教育系ベンチャー社長面接

忘れもしないこの日。

そう、わたしはやらかした。

いつも通り、面接前に近くのカフェに入って、クロワッサンとコーヒーで、優雅にランチを食べていた。すごく日当たりが良くって、穏やかな気分だった。この後ショッピングでもしようかしら?みたいなお花畑頭だった。

その時、携帯がブーブー鳴って、うるさいなあ、くらいの気持ちで画面を見たらエージェントさんの名前。とりあえず電話に出ると「大丈夫ですか?何かありました?ご体調悪いですか?!」とすごい焦っている声が。

、、、、なんとわたしは30分も面接に遅刻していたのである。

あまりの驚きで心拍数爆あがり。すぐにリターンして会社へダッシュ。

45分遅れで(社長を待たせて)面接がスタートした。

もうこの日の記憶は消し去りたいくらいだけど、なんとか面接はうまくいって、話したいことも全て話せて、後日エージェントさんからも評価が良かった事が確認できた。

今となってはこの時の自分のメンタリティーを讃えたい。

ここから学べる教訓は、45分面接に遅れても人は死なないし、いっそのこと振り切れて清々しい面接ができるよ、ということぐらいだろうか。。。


3月19日 第一志望の最終面接

この日、新卒の時の最終面接ぶりに東京駅に降り立った。

当時とは違ったビルだけど、なんだかあの頃のワクワクとかドキドキが一気に蘇って、なんとなく直感的に「ここで働きたい」と感じたのを覚えている。

今でもわたしは八重洲側のでっかい屋根の下が好きで、(地方勢だからか、田舎者感覚なのかもしれないけど笑)スカッと抜けた一本道路を見据えて背筋が伸びる。

面接5分前

ソファで待ちながら「何聞かれるかな?」とドキドキのじかん。今更取り繕ったってどうせバレるし、素直に喋ろう、と自分を落ち着かせた。

(わたしは基本的に論理性が薄くって、感情で喋るタイプなので、めっちゃ論理的な面接官だったら終わるとわかっていて、でも、そんな自分も受け入れてくれるところじゃないと入る気分にもならないので、いつもそのまま突き通してる。)

面接中

原体験や、志望動機やその他いろいろ聞かれた気がするけど、必死すぎてあんまり詳細は覚えてなくって笑、印象に残ってるのは2つだけ。

1つ目は、他社じゃなくてうちの理由、みたいな忠誠心誓う系の問いがなかったこと。

2つ目は「そんな自分も愛してあげられるといいね」という面接官(のちにわたしの部長)の言葉。

まず1つ目はわたし的にめっちゃ大事で、新卒の時もここは譲れないポイントだった。だって競合他社がいっぱいいる世の中で御社じゃなきゃだめな理由って正直別にないですよ、と思う。なんとなく合ってると思うからですよと。そんな誤差わかんないし、働いたこともないのに競合優位性も何もわかんないよ、という気持ちである。

そういえば余談だけど、転職のめっちゃ初期の頃に受けた業界NO3くらいの会社で「A社やB社でなく、うちがいい理由は?」と聞かれて「特にないですね、、」と答えて1次面接落ちたことがある。めっちゃシーンとなった。

2つ目に関しては言葉のセンスと汲み取る力が強すぎの面接官の締の言葉に惚れ惚れした、というただそれだけ。そんな言葉がフワッと出る人がいるなんて、絶対ここがいいと直感がそう叫んでいた。

面接後

もう終わった時点で心が決まった。多分わたしは受かったし、もう一社の記憶なんて飛んでくぐらい素敵な面接だったから、わたしはもうここしか行きたくない。そう感じていた。それくらいわたしには直感的にしっくりくる会社だった。

3月20日 11:58

11:00 出社。

この日、私は教室で仕事をしながらそわそわしていた。もう仕事が手につかずずっと上の空。結果連絡が来るのを待って、出社後もずっと携帯を手元に置いていた。

11:58 ついに、エージェントから内定の連絡が入った。

結果、内定。

嬉しさや驚きというより、安心、という感覚が近かった。(だってこれ落ちたら無職だしね)退職日12日前、ついに私の進路が決定したのである。

その後もう1社の方のエージェントにお断りを入れて、受諾。

やっと私は第二新卒転職が終わったのであった。


終わりに

いかがでしたでしょうか、私の第二新卒転職記。

退社12日前にギリギリ内定がもらえるという、本当に生きるか死ぬかの戦いでした。笑

でも、そんな中でも学んだことは、自分の直感を大事にする大切さと、わがままにこだわり続けることの大切さ。

こんなにギリギリになってもなんとかやっていけたのは、

絶対に自分にはもっと別の場所や、フィットするところがある、という直感を信じていたから。

違う、と感じたら無理に続けるんじゃなくて、後先考えなくていいからとりあえず飛び込んだから。

そして、ここだ!と感じるまではこだわって突き進んだから。

やってみないとわからない、とはよく言ったもので、本当にやってみないとその先の未来は開けないし、尻込みしてたら未来は先に行ってしまう。

わがままに進んだらいいと思う。「我が、ままに」って当たり前だから。

だって私の人生だから。

主語はいつだって「自分」でいい。


1年目でやめようと決めた時、とっても孤独だった。

楽しそうな1年目のみんなのSNSを見るたび、自分だけが根性がないのかと虚しくなった。みんなが当たり前に過ごせる毎日が、こんなに辛いなんて不幸だと思った。どうやって社会人を生きていけばいいか、わからなくなった。

あまりに辛くって、そしてあまりに不甲斐なくって、何度も何度も自分の意思決定が間違っていたのではないかと後悔したし、人を妬んだし、恨んだし、噛み付いた。

頼れるのは自分だけなのに、その自分が頼りなさすぎて、でも、その自分を信じるしかなくて。

ギュッと目をつぶって、耳を塞いで、自分の中に微かに残った感性や、直感に問いかけ、研ぎ澄ませる日々だった。

そんな日々を超えて、私は今生きている。

だからどうしろ、というわけではないけれど、同じように孤独の底にいる人が、この文章に触れた時、どうか、その孤独は無駄じゃないと感じて欲しくて、そんな願いも込めてここに書き連ねている。

その孤独の中で見つけた頼りない自分を、どうか精一杯抱きしめてあげて欲しい。その時ばかりは周りなんて気にせず、ギュッと目を瞑って。

社会人1年目という貧弱すぎる私が、半年かけて戦ったのは、現職のストレスや、転職の難しさや色眼鏡や、そんな物じゃなかった。

本当に一番手強いのは自分自身だった気がする。


おしまい







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