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トイレから建築を考えてみる( トイレとの出会い編 )

はじめまして、日本大学大学院理工学区研究科海洋建築工学専攻の藍野友輝と申します。

私が卒業制作で考えた「トイレと建築」についてズラズラと書いていきたいと思います。今回第1弾は「わたしにとってのトイレ」とは。について自己紹介も含め紹介させていただきます。

私にとってのトイレとは、

簡潔に結論を述べると、忙しない日常からの一時的な避難場所としてトイレを捉えています。

ではいつからトイレに興味を持ち始めたのでしょうか。
私のトイレ年表と一緒に追っていきたいと思います。💩

自己紹介・これまでの”あいの年表”

2001年12月18日 に山形県山形市で生まれ
自然豊かな山形市高瀬地区ですくすくと育ちます。

故郷の風景
山と山を駆け抜ける仙山線

人口総数は548人(2024年時点)で215世帯ほど、世間一般的に田舎でのんびりした暮らしを送っていました(コンビニまで徒歩1時間泣)
そんな田舎ですが、宮崎駿のおもひでぽろぽろのモデルであったり、紅花が有名な場所です。(一応笑)

1991.7.20公開「おもひでぽろぽろ - 製作プロデューサー 宮﨑 駿」
引用元) https://www.ghibli.jp/works/omoide/

子供のころから、この田舎をどう遊び倒せるか。住宅街の垣根を走り回ったり、6階建てのアパートで大規模な鬼ごっこをしてみたり。近くの高瀬川で水遊びやカブトムシ取りを冬は雪合戦と、タイムマシンができたら過去戻ってまた友達みんなと遊びたいと思うほどです(笑)

人生の大きなターニングポイント(大学進学を機に関東へ)

大学は日本大学への進学が決まり、2020年4月に東京・千葉での一人暮らし生活が始まります。当時はコロナ真っ只中で引っ越しの際は親に相当な心配をかけました(笑)

都心では緊急事態宣言の影響を受け、多少は人々は少なくはなりましたが、まだSTAY HOMEの新しいライフスタイルに移行できずに町はマスクをつけた人混みで溢れかえっていました。

マスクをつけた人で溢れかえるスクランブル交差点

都心での生活は山形に住んでいた頃とは180度違い、町中どこに行っても誰かしら人間がいる窮屈な場所でした。同時に建築学生としての大学生活も始まりました。

鬼の限界建築学生ライフで ”○○○の偉大さに気づかされる”

自立した誰からの縛られることのない大学生活を夢見ていたのですが、現実はオンライン授業による山積みの課題と毎週水曜日に対面での設計課題(これがまあ重い)に追われるような日々でした。

翌日のエスキスに提出予定の資料を徹夜で制作。
外部のコンペに提出するために朝まで作業し、カッターマットで眠りにつく。


縁もゆかりもないような土地での初めての一人暮らしを始めたての自分には、圧倒的な孤独感(当時オンラインで友達ができない・当然サークルなどの勧誘もない)と自分の居場所のなさにすぐにホームシックになります。

そのころから"自分にとっての居場所"を無意識的に探していたと思います。

そんな忙しない日常のなかで唯一”トイレ”といった場所に安心でき、自分にとって欠かせない場所へと意識するようになりました。
考えことをするときも、友達と長電話するときも、うんち以外の目的でトイレによく籠るのが私の日常的なサイクルになっていきます。
あの狭くて無機質な空間が日常生活での自分の思考を振り返る場、没入できるそんな不思議な力をトイレは持っているのかもしれません。

まとめ

ノンストレスで地域のみんなが顔見知り。なにか一体感のある山形の生活から毎日がはじめましての知らない人々に囲まれる都市生活。
そんな大きなギャップに耐えられず居場所のなさ・孤独感に覆われ、気が付けばトイレが唯一の避難場所になっていました。
そこから、トイレの懐の深さに魅了されトイレについて興味を持ち始めました。わたしのトイレとは、尿便の排泄以外日常からの一時的な避難場所として位置付けています。

今回は、わたしにとって「トイレ」とはなんなのか。自己紹介を兼ねて書かせていただきました。
次回はトイレを本格的に研究しようとおもった経緯を書いていきたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
藍野友輝

人生はつらいよ



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