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6年ぶりに「海辺のカフカ」

読書好きの人にとって「今までで一番面白かった本はなに?」という質問は答えに苦しむ。一番を決めるなんて、、、選ばれなかった本たちのことが思われて仕方ない。しかも、だいたいそういった質問をする人はそこまで読書習慣がない人が多い(おれ調べ)ので、あまりニッチな作品だとリアクションに困らせちゃうのも難しい。面白かった、の基準というか定義というかも悩ましいところだけど、ぼくは村上春樹の「海辺のカフカ」が一番好きだ。

何か月か前に、ずっと前に読んで影響を受けた本を改めて読み返すと全然印象違った(うろおぼえ)、というツイート(まだポストとは言わない)を見た。あまり一度読んだ本をもう一回読むということをしてこなかったため、やってみようかなと珍しく素直にモチベーションがでた。自分にとってそれは「海辺のカフカ」一択だったためおよそ2か月前から読み返していた。初めて読んだのは高校生の時だったはずなので、およそ6年ぶり。6年も会ってない友達はもはや初対面と等しいので、きっと人見知りしてしまうだろう。読む前にちょっとそわそわしてしまった。

読み返してみると本当に全然違った。と同時に、村上春樹の小説の良さを少し言語化できるようになった。(本当に少し。)
まず、使われている言葉が好きだ。どの言葉も無駄がないというか、その小説において全く意味をなさないことはないように思える。だからこそ一文一文逃すことはできない。のめり込んでしまう。
世界観も好きだ。日常にあたりまえにあるもの(図書館とか影とかがぱっと思いつく)でも、捉え方というか見方が特有で、そういった表現に触れると自分の視野も広がったような気がして嬉しくなる。

・私たちには日常的に考えなくてはならないことが多すぎますし、新たに習得し覚えなくてはならないことが多すぎます。

・ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか具現できないのだと知ることになる。

・誰もが恋することによって、自分自身の欠けた一部を探しているものだからさ。

・戦いを終わらせるための戦いというようなものはどこにもないんだよ。

・思い出はあなたの身体を内側から温めてくれます。でもそれと同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます。

・僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける。

村上春樹「海辺のカフカ」

村上春樹の作品に底抜けに明るい場面はあまりないが、あらゆる場面においてそこまでネガティブになることはないなと思わせてくれるような気がする。「人が死ぬこと」についても必ずネガティブに捉えているわけではないところが好きだ。

軽くネタバレだけど、佐伯さんが死ぬ前にナカタさんと会話していて、自身の記憶、生きてきた証について口にする場面は感動した。涙出そうになった。ぼくらの生きる世界では絶対起こりえないことが小説の世界では連続して起こるけど、それを「そんなのありえないじゃん」って一掃してしまうのは野暮だ。世の中のあらゆるものを求められる形で吸収するためには、そういったものをありのまま受け入れられる感性が求められるのかもしれない、と思った。



ぼくの身の回りにはいわゆる「読書好き」という人が少ない。だから、読んだ本とか買った本、好きな本にある好きな表現とかについて話す機会が少ない。きわめて残念なことだとつくづく思う。(別に誰が悪いわけでもない)そんな欲求はTwitter(おれはまだこの言い方がいい)で発散しているのでなんとか生きてこれている。

ぼくは村上春樹の小説が好きだ。それもずっと前から。元々本を読む行為が苦手だったぼくを小説の沼に引きずり込んだのは村上春樹だったと記憶している。ネットを見ていると村上春樹の作品に対しては他の作家と比較してもかなり激しい批評が論じられている。それ自体は結構なことだと思う。好き嫌いはだれにでもあるからね。ぼくは昔からあんこが嫌いだ。抹茶のスイーツはめっちゃ好きなのに、なんで必ずといっていいほどあんこや小豆がセットで付いてくるのか不思議でならなかった。
話は戻って、批評を書くのはご自由にどうぞって感じだが、たまにその作品を読んでいる人への偏見を撒き散らしている人がいる。見苦しい。とっても見苦しい。自分が嫌いなものは他の皆も嫌いだと思っているのか?逆も然り、自分が好きなものは皆好きだとでも?そういう意見を見ると思わず笑ってしまう。やめようぜ、そんなこと発信するの。好きな小説でも公開したほうが平和じゃないか。

あまり布教活動とかはしたくないけど、村上春樹の作品は苦手だなーって人は短編集がおすすめです。非常に読みやすいし、満足度も高いと思います。

さようなら。良い読書生活を。



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