このnoteを書いている人の生態

皆さん、初めまして。挑戦と失敗を繰り返しているYUKIです。

この記事は僕の簡単な自己紹介を書いていきます。
この記事を読んで「この人、ヤバい人じゃん」って思ったらぜひ、仲良くしてくださいね。

母子家庭で育った幼少期

僕が生まれて2歳くらいから父親は家にいなかったらしいです。気づいた時には父親の存在はありませんでした。離婚はしてませんでしたが事実上、母子家庭の状況でした。正式に両親が離婚したのは僕が中学1年生の時です。

なので、小さい頃からずーっと貧乏な家庭環境で育ちました。母親はよく「うちの子は一切、物をねだらなかった」って自慢げに話してましたが、そりゃそうだろって思います。子供はめちゃくちゃ察しますからね。

貧乏面白エピソードは特に無いんですが、強いて言うなら晩御飯が大抵、もやし炒めだったくらいですね。誕生日プレゼントは壊れかけの中古ゲームボーイだったり。あとは他の貧乏家庭と一緒だと思います。

そんな生活が影響したのか僕は人一倍、考え込みやすい性格でした。小学5年生の頃からは「学校で勉強しても幸せになれないんじゃないか?」って考え始めました。1日でも早く働いてお金を稼ぎたいって思ってました。

中学2年生の夏休みに親戚の建設会社でアルバイトをさせてもらいました。これがキッカケで学校に行かなくなりました。全く行かなかったワケでは無く、雨の日や仕事が早く終わった日は学校に行ってました。授業はチンプンカンプンでしたけど。

高校は1年で中退して結局、16歳から建設会社で働き始めました。
つまり、僕は16歳で社会人になりました。

社会人になってから

働き始めてから1週間で「仕事辛い」ってなりました。笑

やっぱり中学生がアルバイト感覚で働くのと正式に社員として働くのでは扱いが天と地の差なんですよね。毎日、怒鳴られこき使われて本当に地獄でした。

ちなみに、給料は月給9万円でした。若手には休日もほぼありませんでした。
1年で10日くらいは休みがあったので1日の平均日当は3,000円くらいでした。
自分でもよくそんな環境で2年半も働いてたと思います。

そんな状況で働いている友人が見かねて自身が働いている造園会社を紹介してくれました。迷わず転職し、初めてまともなお給料を貰えたときの喜びは今でも覚えてます。「やっと奴隷から解放された!」ってなりました。自ら選んでなったんですけどね。笑

そこから居心地がよくてその会社には20歳まで在籍してました。若手も多くて毎日が本当に楽しかったですね。

20歳で迎えた転機

20歳になったときに素敵な出会いがありました。それは現場で出会った7歳くらい年上の職人さん。その人は1年のうち4ヶ月くらいを海外で暮らしていました。

なぜそんな事をしてるのかと聞いたら「自分が何をしたいのか分からない。だから探し続けているんだ。その答えはきっと日本にはないから海外を旅してる」と言われて僕は衝撃を受けました。
同じ中卒で同じ職人で英語・タイ語・インド語が喋れて使う言葉が全て、優しかったんです。そして、その人が僕の考え込みやすい性格を「それは才能だよ」と言ってくれました。

その言葉を受けて僕は初めて「人生、変えてやる!」って思いました。地元を離れて知らない土地で新しいことに挑戦しようと計画を立てました。

住む場所・働く職場を決めて面接も済まし、あとは引っ越すだけの状態になっていました。

デキ婚

そんな僕にも16歳から付き合っていた彼女がいました。途中で僕の浮気がバレて別れていた時期もありますが、ずっと支えてくれた女性で今の奥さんです。

僕が引っ越す1ヶ月前に彼女から「生理が来ない」と言われて頭が真っ白になりました。最終的に「あなたと結婚して子供を育てたい」と言われて引っ越しするのを辞めました。こんな僕を選んでくれたことが本当に嬉しかったです。正直、結婚なんて一生出来ないだろうなと思ってたので。

それからは16歳の時のように休みなく働きました。日中は普通に建設現場で働き、休日は車屋や知り合いの建設会社などでアルバイトをこなしてました。僕は父親がいない家庭で育ったので「毎日働くことが父親としての責任」だと考えてました。

その後は他の会社に引き抜かれ21歳のときに月収50万円くらいは稼いでました。ただ、休みは本当に無かったですね。家を朝の4時に出て帰宅は夜の11時頃と家族と顔を合わせる時間がほぼない生活を送ってました。

最初は心を殺して「これが家族のために自分ができる唯一のことだ」と思い込んで仕事をしていましたが途中から将来に不安を感じ始めました。

このまま働き続けて本当に幸せなんだろうか?そんな疑問を職場の最年長おじいちゃん(70歳)に相談したら「ここにいたら人間の生活は送れない。あとは自分でやるしかない」と言われました。そのおじいちゃんは元々、神戸で起業していたんですが、稼いだお金を遊びに使いすぎて会社を倒産させた経験を持ってました。最後に遊んだ額は1年で1億5,000万くらいと言ってました。話がいつも面白くて現場では1番の人気者でしたね。「本当にお金持ちだったんだな〜」って思わされる価値観を持ってました。

起業

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おじいちゃんの言葉を受けて僕は起業の準備は始めました。始めたと言っても社長に「今月で辞めます」と伝えただけです。散々、引き止められましたが自分を貫くことで退職できました。正直、不安だらけでしたけど。

手持ち30万円で起業したんですが今まで培ってきたあらゆる人脈を使って仕事を貰いました。気づけば勤めていた月給50万円を2週間で稼いでました。

正直、嬉しいというより驚きの方が大きかったですね。どれだけ搾取されていたのかを思い知らされました。

そこからはトントン拍子で売り上げも増えていき、ボロボロの軽トラがプリウスに変わり、住んでいた古い3DKアパートは築浅の4LDK注文住宅へと変わりました。LDKで27帖はありました。完全に天狗状態でしたね。

月の売り上げも多いときで200万円くらいありました。使えるお金は150万円くらいでした。金銭感覚も狂ってたので外食といったら叙々苑みたいな生活をしてました。周りの大人からはマジで嫌われてたと思います。

そんな生活が長く続くわけがないですよね。歯車が狂い始めたのは2期目を終えたくらいからです。

自己破産

僕はもっとお金を稼ごうと従業員を2人雇い始めました。有名ハウスメーカーのエクステリア工事を受注し始めました。それに合わせて銀行等から資金調達をしました。確か300万円だったと思います。

そこでは仕事内容が高評価を頂けて順調に思えてました。しかし、僕はマネジメントについて一切、経験が無かったので上手く運営することが出来ませんでした。やはり、経験に勝る知識はないですね。

従業員の遅刻や現場でのトラブルが目立ち始め、1年で仕事を貰えなくなりました。車両や道具など設備にかなりお金をかけていたんですが、気づけば借金は1,250万円になってました。

不運は続くもので結局、その従業員はライバル企業に引き抜かれてしましいました。今、思えば遅刻やトラブルの段階から仕組まれていたのかなと思います。裏でコソコソ何かやってるなとは感じでましたが見てみぬフリをしてました。

結局、銀行に「このままじゃ続けられません」と謝って弁護士に相談をしました。その弁護士に「最終判断は裁判所が決めますが、自己破産になると思います」と言われて僕は初めて「自己破産って自分で決めることじゃないんだ」と知りました。

判決は案の定、自己破産になり妻と子供達にめちゃくちゃ苦労をかけました。
一番、辛かったのは「子供たちにお米をお腹いっぱい食べさせてあげれない」と妻が泣いている姿でした。そんな状況で親戚や周りからは「家族に迷惑かけて何やってんだ」と責められたり悪口を言われてました。

もちろん、僕が全て悪いんです。僕はただ、家族を幸せにしたいと思ってただけなのに。この時期は自分を責めてもどうにも出来ない状況が辛すぎて車の中で一人、泣いていることが多かったです。

そんな状況でも家族を支えられるのは僕だけでした。また16歳のときのように休みなく働く日々を過ごしました。

新たなる挑戦

やっぱり一生懸命、何かに打ち込んでいると周りが助けてくれるんですよね。

僕の必死さが伝わったのか途中から一部の人たちが助けてくれるようになりました。具体的には休日にアルバイトをさせてくれたり、食べ物や飲み物をくれたり。家族みんなを外食に連れてってくれたり。1日働いて10万円くれる知人もいました。

周りの助けがあったお陰で普通の生活が送れるようになってきた頃、素敵な映画に出会いました。それは阿部サダヲさん主演の「奇跡のリンゴ」です。

この映画のワンシーンに心を打たれて「絶対に成功してやる!諦めてたまるか!」という気持ちが新たに芽生えました。しかし、同じ失敗をするワケにはいかない。
僕はここで改めて仕事について勉強しなおしました。

「どうやって結果を出すか」について勉強&実践を繰り返しました。この時期に初めてウェブサイト運営をめちゃくちゃ頑張ってました。著作権で訴えられたりと大変な目にも遭いましたが今思えばいい経験ができたと思います。

現在

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自己破産後は2DKのアパートに家族5人で暮らしてましたが現在は4LDKの戸建てに住んでます。そして、新たな事業を始めるために法人登記を進めています。3月31日に登記予定で進めているので走り出せるのは4月末くらいになりそうです。

正直、僕のことを「諦めが悪いバカだ」と思っている人が大半だと思います。僕が他人でもそう思います。でも、本気で打ち込んでいると「次は上手くやりそう」と周りがまた少しづつですが応援してくれるようになりました。

新しい出会いも増え、自分の行動範囲がどんどん広くなってきてます。今までだったら出来なかったことが出来るようになってきてます。

もし、次もまた大失敗をしても僕は諦めません。

このnoteは失敗から始まってますが最後はサクセスストーリーで完結します。

こんな僕を最後までどうぞ、よろしくお願いします。

本noteの筆者「YUKI」が挑戦していること

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今、僕はゲーム好きが気軽に集まって、より深い話ができる「場所」を作るべく、挑戦中です。僕自身、ゲームが大好きなんですがゲーム友達を作るのが苦手なため「友達がいたらもっと楽しいのになー」なんて思いながらゲームを遊んでいました。

現状ではTwitterがゲーム友達を探す場所として主流ですが僕は中々、見つけられませんでした。
そこで、「だったらゲーマーだけが集まる場所を作ってやる!」と思い立ち、このゲープロというサイトを立ち上げました。

まだ今年の4月中旬に立ち上げたばかりなので会員数は30名も満たないですが、会員のゲーマー皆さんが本当に優しくて「沢山のゲーマーと会えたらめちゃくちゃ楽しいよね!」と言っていただき、力を合わせてサイトをより良い場所にしようと日々、奮闘中です。

もし、この記事を読んでくれたあなたがゲームを遊んでいるならぜひ、活用してみてくださいね。noteだけではなく、一緒にゲームでもしながら夢を語れたらそれほど楽しいことはないです。

では、また次の記事でお会いできることを楽しみにしてますね。

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