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上京した日のこと。

上京した日のことについて。
2018年7月6日、その日は朝から雨が降っていて、私は長年住んでいた岡山を離れて東京に行く為に、お父さんに車で駅まで送ってもらった。

お父さんとは本当に仲が良くて反抗期もなく、尊敬する人は誰ですかと聞かれれば、父ですとすぐに答えるくらい、幼い頃から仕事熱心で家族想いなお父さんの背中を見て育った。

私と似ているところも沢山あって、ふざけたり冗談を言ったりする仲だったので、真面目な話や大事な事は中々言えず、上京する事も直接言えたのが1ヶ月前くらいだった。

当日はお父さんと2人で駅まで向かって、駅に着くとまだ早かったので新幹線の改札の近くの椅子で発車時刻まで座って待っていた。

ふざける事もなく、ただ2人で時間が来るまで待っていた。
何か言葉にすると涙が溢れてきそうで、何も言えなかった。
時間が来て、もうそろそろ行くねと言うと、お父さんが無理するなよ、辛くなったらいつでも帰って来いよと言った。

無理するなよは、昔から私に掛けてくれる言葉で、夜遅くまで試験勉強をしている時、仕事で遅く帰ってきた時、いつもそう言ってくれていた。

性格上、無理をするのを辞める事はなかったけど、分かってくれてる人がいると思えるだけで救われた。それに何より私以上にいつも無理して頑張っていたのもお父さんだった。

早朝の駅の改札で、その二言だけ会話して、涙が込み上げてきて今にも泣きそうな顔をしていた。でも泣き顔だけはお互いに見せないよう、いってきます!と手を振った。
きっと背を向けた途端に2人共泣いていたと思う。

家族と離れるのが1番辛くて、そんな辛い思いをしてまで何で上京するのか正直良く分からなかったけど、10年以上同じブランドで美容のお仕事をしてきて、ある程度のキャリアやレベルに達してこれ以上何を目指したら良いのか分からなくなっていた時に、働いてみたいブランドを見つけてそれなら東京でと思ったのがきっかけだった。
2018年の1月に今年中に東京に行きたいと思ってからは、あっという間だった。2月から5月までバイトを増やしてお金を貯めて、6月に東京に下見に行き物件を一件だけ見て即決。7月から契約した。
知り合いも友達も東京には居ないし、土地勘もなかったので、全てが0からのスタートだった。
しかも上京した日には面接が控えていたので、何もない部屋に荷物だけ置いて、スーツに着替えて面接に向かった。

この会社に入りたい一心で上京したので、他の候補は全くなく、落ちた時の事は一切考えていなかった。

面接を終えて、結果は1週間後と言われたと思う。その日は夕方に段ボールなどの荷物が届く予定だったので近くのコンビニで必要なものを買って帰った。
住む家はシェアハウスに決めていたので、家電や家具などの最低限のものは付いていて、引越しと言っても簡易的に終わった。
片付けが落ち着いてテレビを付けると、朝出発時に降っていた雨は岡山で豪雨になっていて、避難勧告が出ているとニュースで知った。
今から5年前の西日本豪雨、とてもショックだった。家族や友達を置いて東京にいる自分が悪者に感じた。

家に電話をすると家は大丈夫だけど、道が水没している所があると言っていた。
こんな時に上京した事は間違ってたのか、もし1日出発が遅れていたらきっと私は東京に行く事を辞めていたと思うし、実際行けない状況になっていた。

その日から暫くはSNSやニュースを見て状況を確認したり、家族に連絡を取って過ごした。
そうこうしていると、直ぐに1週間が経って、面接の結果の連絡も入った。
無事に採用が決まって面接から20日後に仕事がスタートする事になった。

この上京した日からの20日間、そして上京するまでの準備も含めて沢山の判断をして、自分でも信じられないスピードで色々な事が変化した。
きっと行くべき場所には自分の意思や行動以上に何か特別な力が働いていると思う。

自分が自分らしく生きる為に用意された場所の方角に向きが合わさると、急に磁石みたいに引き寄せられる。

当時の私は仕事のマンネリ以外にも色々な出来事から、変わりたいと強く願っていた。

もうすぐで上京して丸5年。
今は沢山の仲間に囲まれて私を知ってくれている人達と、馴染みのある場所も増えた。
仕事一筋の毎日だったけど、楽しみも増えた。
そして来週は父の日。
今年もお父さんにちょっと良い靴下を贈る。
周りの人や環境に自分は本当に恵まれている。感謝を忘れずにこれからも多少の無理をして頑張ろうと思う。

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