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オーケストラで「休符」を書くことの難しさ

1.はじめに

「オーケストレーション(管弦楽法)」という技法は、大変高度な技術であるかのように思われます。

音楽が実際にオーケストラなどで演奏されるためには、その楽団の各楽器・各パートごとに譜面が必要です。作曲家の脳内で鳴っているサウンドを正確に表現するために、それぞれのパート譜には適切な音符が書かれている必要があります。このようにオーケストラなどの楽器編成を相手に、各楽器・各パートごとに適切な音符を置いていく作業やその技法のことを「オーケストレーション(管弦楽法)」と呼びます。

オーケストラの曲を作編曲される方、将来的にオーケストラの曲が書けるようになりたいと希望される方、作編曲家のみならず管弦楽団や吹奏楽団などで実際に楽器を演奏されている方……、このような方々にとって「オーケストレーション」という技法は興味関心を引く分野ではないでしょうか?


作編曲家「このへん盛り上がって欲しいし、ちょっと音が高いけどHighDまで書いちゃおっかな……!(笑)」

演奏家(こんな音出せるわけねーだろアホハゲ氏ね)


作編曲家「ホルンには申し訳ないけど、ハーモニーがずっと埋まっててほしいから休みなくてごめんネ!」

演奏家(吹きっぱなしマジしんどい唇氏ぬ)


作編曲家「クライマックスはtutti(トゥッティ※)だァーッ!!」

演奏家(どぉせゥチの音なんて客席に聴こえないしもぅマヂ無理。吹き真似しょ。。。)

(※ tutti …… トゥッティ・全員で演奏すること)


本来上記のようなシチュエーションは現場で発生しないことが望ましいのですが、意外と現実はそううまくいきません。無論、このnoteを書いている私でさえ上記のシチュエーションは心当たりがありすぎて今にも筆を折りそうな勢いに苛まれています。この記事では、上記のようなことがよく起こりがちな「オーケストレーション」という大変深い学問を取り上げ、その中でも意外と語られることの少ない「休符」に着目したお話をします。

2.3種類の休符

シンプルに「休符」と申しましたが、今回取り上げるテーマは、2小節以上の休みが続く「長休符」です。オーケストラなどの「パート譜」では日常的に出没するお馴染みの存在ですね。

ちなみに休符ですが、単に「音を出さない」という指示でも、休符によって得られる音楽的な効果によって、大きく3つの種類に分けることが出来ます。

1つ目はこの記事で取り上げる「数小節間演奏しない状態が続く休符(長休符)」、

2つ目は「フレーズの中や、フレーズの前後に書かれる休符」

3つ目は「上記の1・2どちらにも属さない用法の休符」、

以上3種類に分けることが出来ます。

2つ目・3つ目は気が向いたらまた別の機会で書こうと思います(気まぐれなので気が向かない可能性も充分にあります)。

3.音符を書き足していくことの容易さ

「オーケストレーションは難しい」、と皆さん考えていませんでしょうか?確かに、オーケストレーションは難しいです。しかし、おそらくですが、「オーケストレーションは難しい」と考えている方の6~7割ぐらいの方が考えるオーケストレーションの難しさというのは、それほど難しいことではないのです。

まだオーケストレーションを習い始めて間もない方、あるいは「もっぱら演奏するだけで楽譜を書いたや編曲をしたことはない。オーケストレーションなど未知の領域だ」という方にとって、「オーケストレーションの難しさ」というのは、それこそ冒頭でお話ししたように、「楽器ごとの音域や特性などを勉強して楽譜を書くこと」が難しいとお考えの方が多いのではないでしょうか?

実は、「楽器ごとの音域や特性などを勉強して楽譜を書くこと」というのは、これからお話しする長休符の話と比較すると、それほど難しいことではありません。むしろ簡単な技術なのです。というのも、オーケストレーションの表面上に見える「見かけの技術」というのは、記譜法や移調楽器、楽器の音色や音域などの基礎的な知識をある程度抑えてさえいれば、簡単に真似できるからです。

例えばあなたがオーケストレーションの知識がない状態だったとしても、クラシックのオーケストラ曲のスコアを見ながら、それを見様見真似で書いてみるという「オーケストレーションの真似事」だけでも、多少粗いところや技術的に未熟なところは残るものの、形だけでも成立させることは十分可能です(無茶な要求さえしなければ)。

「オーケストラの曲が書けるようになりたいので、まず管弦楽法の本を買いました!」

という方がたまにいらっしゃいますが、もしあなたがオーケストレーションするのが初めてで、「今度オーケストラに演奏してもらう機会を控えていて、演奏者に渡しても恥ずかしくない譜面を書き上げなくてはならない」というような状況でない限りは、難しい管弦楽法の本を少しずつ読み進めていくよりも、クラシックの有名な楽曲のスコア(総譜)を見て雰囲気を真似しながら実際に自分で作ってみるほうが、短期間で伸びます。私はそう考えています。管弦楽法の本で知識を蓄えるのは、それらの習作をいくつか作った後で問題ないでしょう。

4.誰でも簡単入門!オーケストレーションの真似事の(極端な)一例

長休符の話をする前に、なぜ休符を書くより音符を書くほうが簡単なのかを駆け足で説明します。とりわけ「オーケストレーションの真似事」で簡単なのは、tutti(トゥッティ)の模倣です。オーケストレーションの作業にある程度慣れている方は、この項目は読み飛ばしていただいても差し支えありません。

まずオーケストラで使われる各楽器の音域を把握しておきます。B♭管クラリネットの最低音はDとか、ヴァイオリンの最低音はGとかですね。

次に、自分が頭の中で思い描いている曲を、

・メロディ

・ハーモニー

・ベース(低音)

・リズム

以上の4つの要素に大まかに分類分けします(ピアノリダクションの譜面を事前に作るとも言いますね)。(※この時点で、例えばアレンジモノを作っている時、メロディは耳コピ出来るけれどベースやハーモニーは音が分からないという場合は、音楽の再現に必要な最低限の要素が不足しているため、どれだけオーケストレーションを頑張っても良いオーケストレーションにはなりません。ベースやハーモニーの音が聞き取れるように耳コピの訓練するか、あるいは誰かに採譜を依頼しましょう。)

通常、特殊な音楽的効果を狙わない限り、

・メロディ:高音域の楽器

・ハーモニー:高音と低音の間の中音・中低音の楽器

・ベース:その名の通り低音楽器

・リズム:打楽器(打楽器に頼りっぱなしというのは芸がないのですが)

これらに任せておけばハズレを引かないというのは、多くの音楽家が経験上理解していることだと思います。

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ですから、上記のそれぞれの音域に属している楽器に、4つの要素を分類させてやれば、超~~~~~~~~~大雑把ですがtuttiのオーケストレーションはギリギリ成立します。ギリギリね、ギリギリ。実際にそういうオーケストレーションをしないといけなくなった時は、「オーケストレーション初めてなんです……無茶してると思いますが……本当……すみません……」っていう顔をしながら譜面を提出したりリハーサルに行ったりするんですよ。分かりましたか?

・メロディ(高音楽器) …… ヴァイオリン・フルート・オーボエ・クラリネット・トランペット

・ハーモニー(中音・中低音楽器) …… ヴィオラ・ホルン・トロンボーン

・ベース(低音楽器) …… チェロ・コントラバス・ファゴット・テューバ

・リズム …… スネア・バスドラム・シンバル・ティンパニ・その他小物

これらの楽器に各要素を、それぞれの楽器の限界音域に抵触しないように注意しながら割り当てていけば大丈夫です。大丈夫ではありませんが大丈夫です。このぐらいのことは、本当に物真似レベルで割と簡単にできます。

サンプルとして以下のような雰囲気ですね。

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メロディ、ハーモニー、ベース、リズムの4つの要素を色分けして示すとこうなります。

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こんな超~~~~ざっくり大雑把で、2~3分で出来上がったようなスコアを「オーケストレーションした」などと口にするのは、オーケストレーションという学問に失礼にも程があるのですが……、しかしですね、仮にもオーケストレーションの素人が、雰囲気で、見様見真似でここまで「それっぽいスコア」に仕上げることが出来ていれば、それは大変すごいことです。オーケストレイターとして、充分オーケストレーションの伸びしろがあります。

木管楽器は全員a2(ア・ドゥーエ:2人で同じ音符を演奏すること)ですし、オーケストレーションとしては全体的に滅茶苦茶手抜きで超大味なんですけれども、でも、アーティキュレーション(スラーやスタッカートなど)をちゃんと丁寧に書いてるだけでも、パッと見た感じでは割とそれっぽく見えます。こういう地味なところからちまちま作業していくの、実は結構大事です。なにせオーケストレーション的に未熟であっても、演奏者が譜面を受け取った時に譜面から受ける第一印象が違います。

上記例は本当に極端に大雑把なオーケストレーションの例なので、より本格的なオーケストレーションは……、

メロディにハモリを入れたり(第二ヴァイオリンや各木管楽器の2ndパートなどに配分)、

フルートやピッコロ・グロッケンなどに、メロディでなく細かな装飾を入れてあげたり、

ホルンには伸ばしの和音でなく対旋律を入れてあげたり、

打楽器がいなくても管弦楽器だけでリズム感が伝わるように工夫したり、

部分的に低音楽器を抜いて全体的に浮遊感を出させたり、

全16小節のメロディで、前の12小節はヴァイオリンがメロディを演奏し、その間トロンボーンは和音を演奏しているが、残った4小節はトランペットとトロンボーンがユニゾンでメロディを演奏する……、

といった色んなアイデアを散りばめていくことがオーケストレーションの技術力として問われてきます。このくらいのレベルのことは色んな曲を聴いたり分析したりしてオーケストレーションの引き出しを増やすという勉強を実践していく必要があるでしょう。

しかし、それでもまだ、本記事の本題である「休符」の難しさという次元には達していないのです。ここまではまだ前置きなんです。

実は、ここまで話してきている「オーケストレーション」というのは、空白の五線紙、真っ白な五線紙に音符を書き足していくという作業の話しかしていないのです。「オーケストレーションの真似事」が簡単な理由は、「真っ白な楽譜に音符を足していく」という、誰でも目に見えて分かりやすい作業であり、それを真似することは誰でも容易だからなのです。

本当の難しさは、「書かれていない空白の部分を見つける」ということです。この「書かれていない空白の部分」というものがまさに、この記事で取り上げている「長休符」そのものなのです。

5.間(ま)を知ることの難しさ

たとえば、オーケストラのスコアを読む時、どういう風に読みますか?

「このセクションは弦楽器主体だな」

「ホルンとチェロが対旋律だな」

「このセクションはオーボエとファゴットの掛け合いだな」

といったような、「音符が書かれているところの情報」に目を向けるのが普通だと思います。

しかし、本格的なオーケストラを書くため、より高度なオーケストレーションの技法を学ぶためには、その観点だけでスコアを読み解くのは勉強として不十分なのです。

「何が書かれているか」

という情報に対応して、

「何が書かれていないか」

ということをセットで考えないといけません。


例えばオーケストラや吹奏楽の譜面を書いたことがある方の中で、

「このパートだけずっと演奏しっぱなしの譜面になっちゃった!」

「ヴィオラとチェロに休みがない!」

「打楽器を持ち替える・移動する時間的余裕がない!」

というような経験をされた方は多いのではないでしょうか?

特にこのような結果は、パート譜を作成する際に気が付きます。パート譜が3ページ以上に連なる長めの楽曲の場合は、譜めくりするタイミングがないという深刻な問題も同時につきまといます。

締切が間近の場合は、ここまで来るとそこから長休符を捻出するために修正する作業が難しいので、潔く諦めて長休符がない状態のままを完成品として提出・納品し、「あとは現場で……うまいことやってください……(希望的観測&他力本願)」と投げてしまうかと思いますが、そのとき同時に自分のオーケストレーションの未熟さを、オーケストレイターである自分自身が実感することになってしまうのですね。

「適切な休符の時間を作る」というのは、どの楽器どのパートにも必要な要素なのですが、それを技術としてモノにするのは、「音符を書く」という作業よりも遥かに高度で難しい「音符を書かない(その音符が必要ないということを分かった上での決断)」という技法であり、自分から積極的に、スコア上で休みのパートがあったらその都度そこをチェックする、というぐらいの勢いで修行していかないとなかなか身に付きません。

オーケストレーションはどうしても「楽器を足していくこと」に観点が行きがちです。そして、「楽器を足していく」というのは、「スコアを縦方向で見ていく」という一面的な狭い観察力をより加速させていきます。しかし、もしあなたがオーケストレーションを勉強していて、オーケストラや吹奏楽の譜面を書いていて、

「このパートにあんまり休みをあげてあげられなかったな……」

と思うようなことがあるのであれば、それはあなたがオーケストレーションの勉強を、「縦でなく横」で見る方向にシフトしていく絶好の機会です。

6.間(ま)を見つけるための習慣・方法

たとえば楽曲内でフルートのソロがあったとします。フルートソロの間は、他の多くの楽器が休みなのに、当のソロを吹いてるフルートは、ソロはもちろんのこと、ソロでない場面も吹かされ続けている、なんて状況、心当たりありませんか?

通常の人道的な倫理観であれば、休みは誰にでもある程度均等に割り振っておいて、誰かがずっと労働しっぱなしというような不平な状況を生まないことが望ましいです(一方で60分の交響曲の中でシンバルが一発だけというような楽曲も存在しますが)。

ですから、フルートソロの間フルートは休みがなかったのだから、今度はフルートソロ以外の場面で代わりに休みを取らせてあげる、というような配慮の視点が、「休符」を意識したオーケストレーションでは必要になってきます。

これ、文章で書くといとも簡単で当たり前のことのように思われますが、これが簡単なようで非常に難しいのです。何故なら、何度も先程から申しておりますように、オーケストレーションとはどうしても「音符を書き足す作業」に注目されがちだからです。音符を書き足していくと、オーケストレーションとして完成に近付いていくような根拠のない錯覚に陥る……、音符を足せば足すほどオーケストラが鳴るように感じる……、そうやって常に音符を足し算していくことに抵抗がなくなってきたオーケストレイターは、音符をたくさん書いていないと不安になってしまうという心理を背景に、楽器の足し算しかできないという状態に陥ります。そのような場合、今度は逆に「音符を書き過ぎない」ということに注意を向ける必要があります。

オーケストレーションにおいて、「休符を書く」というスキルを磨き上げるためには、以下のような発想の転換やチャレンジが必要です。

・スコアを「縦」でなく「横」で見る習慣をつける

縦横

結構面倒くさくてダルい作業なのですが、スコアを縦方向でなく横方向に、1パートずつ横方向に読んでいくことをオススメします。特にこれは、自分がよく知っているオーケストラ曲や、自分が気に入っている楽曲のスコアで実践することが良いです。よく知っている曲の方が、

「ここヴァイオリンと一緒にオーボエもメロディやってる印象があったけど、実はそうでなかった!」

「このセクションは弦楽器が主体だけれど、ヴィオラだけ休みだった!」

といった、今まで自分が脳内でそうであると勝手に思い込んでいたことが、実はそうではなかったということに気付かされます。

・本当にTuttiでないといけない箇所を極限まで絞る

これは演奏時間が3分~5分程度の、短くもなく長くもない丁度よい長さの楽曲では一番難しく、且つ最も必要とされる観点かもしれません。

やはりオーケストラや吹奏楽の魅力の一つはTuttiですから、Tuttiで印象づけたい部分はTuttiで書きがちです。そんな時、本当にスコアの上から下まで隅々まで音符が書き込まれている必要があるTuttiと、そうでない擬似的なTuttiを上手く使い分けることが、「間(ま)」を作る鍵となります。なんとな~く惰性でTuttiにしてしまっているところで、「そのTutti、本当にTuttiである必要がありますか?」と自分に問いてみるのが解決へのヒントになるでしょう。

・各楽器の個性を常に活かすように注意する

ずっと休みがなく、演奏しっぱなしのパートは、おそらくその多くの部分が、他の楽器と被さっているのではないでしょうか?そんな時、その楽器の個性は残念ながら、その楽曲全体において崩れていきます。特定のセクションや小節でフィーチャーされる場面が用意されてあったとしても、演奏しっぱなしであるというプレッシャーや疲労が蓄積しているため、そのフィーチャーされた場面で楽器の個性を最大限に発揮することが、演奏家のパフォーマンス的にも、作編曲家のオーケストレーションの技法的にも、共に難しくなります。

そんな時は、

「この場面は絶対にこの楽器が鳴ってほしい!」

という要素を先に決めておき、そこを優先的に固めておきます。

「この場面は絶対にこの楽器が鳴ってほしい!」と思ったら、それ以外のところはぶっちゃけいなくてもいいや、ぐらいの気楽なつもりでいるのが良いでしょう。

Aのセクションはヴァイオリンが主旋律、Bは木管メインで、Cでホルンが吠える、Dで直管組がメロディ、Eは弦が伴奏の刻み、Fはフルートソロ、終盤に向けて次第にTutti、といったように、予め各楽器やセクションの個性を重視した最低限の楽曲設計を行い、後はくれぐれも書きすぎないように注意しながら、しかし着実に肉付けしていくという作業をしていくと、良い結果が得られます。

「このセクションで必ずこの楽器を目立たせる」だけでなく、それに加えて、「ではこの楽器を目立たせるために、他はどうしてあげるのがいいか?」という問いを常にセットで持っておくことが大事です。この問いを地道に一問ずつ対応していくことで、着実なオーケストレーションが出来上がると同時に、演奏者にとっても非常に演奏効率の良い最大限のパフォーマンスを期待することが出来ます。

・新しいアイデアを入れられるように空白を残す

「ここはヴァイオリンがメロディで、あと笛の高い音も欲しいからフルートにもメロディ足しとこう。でも音量的に聴こえるか不安だからオーボエも足しておこう……」

という雰囲気で楽器が足されていく&ユニゾンされていく課程は、オーケストレーションの作業ではしばしば発生します。そして、これはオーケストレーションの技法として間違ったことでなく常套的なテクニックの一つではありますが、同時にこれは落とし穴の一つでもあります。

何かの音楽的アイデアを思いついてそれを真っ白なスコアに書いた時、それは同時にそれ以外の音楽的アイデアを書くための余白をなくしてしまうというリスクがあることを覚えておいてください。

たとえば先程の例では、ヴァイオリンがメロディというアイデアは良いでしょう。そこに笛の高い音が欲しいというアイデアも良いです。しかし、音量的に不安だからオーボエも足すというアイデアは、オーケストラを色彩豊かに彩るという観点からして少々ネガティブな理由ではないでしょうか?オーボエにも同じメロディを足してしまうと、その小節のオーボエは本当にメロディしか出来なくなってしまいますし、メロディ以外のことをやらせてみようかな?というアイデアや可能性を閉ざしてしまうことになります。

もし音量的に不安だというのであれば、もちろんメロディを足すというのも立派な解決法の一つですが、それだけでなく、メロディを足す方法の他に伴奏やそれ以外の音を減らすというアイデアがセットで思いつくようにするべきです。例えばその音量的な不安がある区間、ホルンが1stから4thまで4パート全てが白玉でハーモニーを伸ばしていたりしませんか?それは実際にホルンのハーモニーが供給過多の状態ですし、またこの状態も、ホルンがハーモニー以外のことをやるという別の可能性を閉ざしてしまっているわけです。ホルンのハーモニーを減らすのであれば、(少々和声的な知識や感覚が必要ですが)ハーモニーの音を必要最低限まで減らしたり、あるいはホルンでなくクラリネットやファゴットに和音のアルペジオをさせて和音感を豊かにしたり、色々な代替手段があります。またそれでホルンは空白になりますから、じゃあ今度は1stだけにちょっとコンパクトでオシャレな対旋律を入れてみようとか、そして空いたオーボエには最終的に、メロディの呼びかけに対する応答のフレーズを入れてみようとか、そうやってオーケストレーションの可能性は無限大に増えていきます。

7.まとめ

音符や楽器をただ単に足していく道をアクセル全開で進んでいくと、途中で色々な分かれ道や交差点があることに気が付かずに、最終的に行き止まりにぶち当たって詰みます。そしてあまりに音符の密度が詰まりすぎている場合、バックしてリルートすることも出来ず、まさに、「オーケストラアレンジは一通り終わったけど、全く休みがない譜面になっちゃった。でももう締切まで時間がないし、書き直す時間もない……」という状態になってしまうわけですね。そうはならないように、周りの景色を見渡せるように何度か車を停めてみたり、いつでも事故を防止できるようなスピードでオーケストレーションドライブしていくことが必要です。

いずれにしても、「今まで見えていなかったものに気づく」「空白が見えるようになる」という悟りが、オーケストレーションを勉強していく上で必要なのは言うまでもありません。全ての楽器を愛してあげて、そして楽曲内のどの場面で楽器を可愛がってあげるか、という設計が重要になってきます。

オーケストレーションを初めて勉強する人は、真っ白なスコアに音符が書けない、という状態からスタートしますが、やがて真っ白なスコアに音符が書けるようになってきて、そして音符を書きすぎる傾向になった時、そこに来て初めて、『管弦楽法』の本を真剣に読む、ということが必要になってくるのではないかなと考えています。全ての楽器を愛してあげるためには、楽器のことを詳しく知っておかなくてはなりません。

オーケストレーションはただ譜面を書く作業をするだけでなく、実際に自分の譜面を演奏してもらうという経験を経ないと上達しないことが多いですが、今回お話ししてきた内容は、オーケストラの演奏の現場でなく座学の範囲で出来ることですので、オーケストレーションのアイデアが枯渇してきた方は、一度発想をリフレッシュして、別の観点で自他のスコアを研究されてみてはいかがでしょうか?

8.もし休みのない譜面に出くわしたら?

たとえばこれを読んでいるあなたが作編曲家でなく演奏家で、しかも今取り組んでいる曲に休みが全然ない場合、どうしましょうか?

いや、作編曲家・オーケストレイターの立場の口から全く休みがない譜面の話だなんて、実際演奏者の負担を考えるとそのような譜面が出来上がるべきではないのですが、この記事は作編曲をしない演奏主体の方も読まれているかと存じますので、このようなシチュエーションにどう対処するか、私なりのアイデアを書き残しておきます。

譜面を書いた人がどういう発想・どういう気持ち・どういう意図でその譜面を書いたかによって、その譜面に対する気持ちの推し量り方も変わってくるのですが、原則として著作権的な倫理観から、書かれた音符を丸々カットするなどの譜面の改変は、譜面を書いた人からの許諾がない限りは推奨されません。

なので、音符を変えることなくそのままの譜面で、しかし休みがない中で演奏し続けても疲れないようにするためには、演奏はするけれども負担軽減のために手を抜くところ、逆に主張するために手を抜いてはいけないところ、それぞれのセクションをなるべく明確に区分することが推奨されるでしょう。そのためには、程度にもよりますが、指揮者の判断とその裁量が必要不可欠です。

作編曲者の許諾なしに譜面や音符を変更するというのは通常あってはならないことです。一方で、もし人前で音楽を演奏する場合、良い演奏・良い音楽をお客さんに届けようとする努力をすることは、音楽表現をする上で間違った行動ではありません。

何度も言うように、オーケストレイターとして本来はこうあってはならないのですが、もしオーケストレイターが何らかの事情(技術が未熟である、納期の関係で緻密な編曲をする時間がなかった、etc.)により、オーケストレーションの時点で「良い音楽をお客さんに届けよう」とする努力をいくらか放棄せざるを得なかった場合は、その努力を代わりに指揮者、あるいは演奏者が担うことが必要になってきます。

ですから、譜面に書かれてある音符は変更しないにせよ、

「ここはフルートのメロディを目立たせたいから、伴奏はメゾフォルテと書いてあるけれどピアノに落とそう」

とか、

「ここのホルンのグリッサンドを目立たせたいから、それまではフォルテの指示があるけれどもホルンの存在を控えめにしておこう」

といったことを実践するのは、良い演奏・良い音楽をお客さんに届けようとする点で音楽倫理に反することではありません。そのように考えていくことで、「演奏しっぱなしの譜面でマジで吹き続けてしんどい」というような譜面にも、以上のような具体的な目標を持って、より良い演奏に近づけることが出来ます。作編曲家orオーケストレイターと演奏家とでは、譜面を書くか譜面を演奏するかでお互いやる作業は違いますが、立場が違えどどちらも、良い演奏・良い音楽をお客さんに届けるためにどうすればいいか、という同じ課題について考える義務があるのです。

それともう一つ、これも私自身心当たりがあることなのでしたためておきますが、作編曲家orオーケストレイターが長休符を与えることを意識していても、どうしても音楽的演出や意図によってなかなかまとまった休符が与えられない、という状況にならざるを得ないこともしばしばあります。それは演奏家の方への苦労は計り知れないものかと存じますが、それは、その譜面を書いた人がその楽器を愛しすぎた結果、だと考えていただければ幸いです……。

その曲で表現したい要素や詰め込みたい魅力が多すぎて、この楽器にあれもさせたい!これもさせたい!と思いながら書き進めた結果、音符の密度が高くなってしまうことがあります。それは演奏家の方に苦労をお願いすることに違いはないのですが、同時に演奏効果の期待度が大きいという気持ちの現れでもありますから、なんとかその期待に答えるように努めていただければ、その譜面を書いた者としては大変この上ない喜びかと思います。

9.おわりに

最後になりますが、これは譜面を書く立場の方々に向けてのアドバイスです。

アーティキュレーション含めて譜面は懇切丁寧に書いておけ。演奏者は譜面に現れる楽譜書きの態度を見ているぞ…………。


おわり。

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