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読書×人間観察【批判は時に必要で、批判をすることで新たな出会いがある】

はじめに

こんにちは、30歳にして習慣の重要さに気づき【読書】【インプット】【アウトプット】【早起き早寝】を習慣とし、【note】や【ブログ】を通じて書く楽しさに目覚めた『由紀』です。

前回、自分自身の読書スタイルに気づいた、というお話をしましたが、今回はそこに至った経緯を話したいと思います。
前回の記事はこちら

ハードルは上げすぎない

読書をする前にある情報ってなんですか?

・タイトル
・表紙
・著者
・書店での展開方法
・口コミなどのレビュー
・CMなどの販促

いろいろあると思いますが、一様に『購買意欲を掻き立てる』ものだと思います。
購入者(読者)に『読んでみたいな~』と思わせるのが上記の戦略だと思うのですが、何事もやりすぎは良くないということです。

上げすぎたハードルを越えてくる書籍もありますがそれは稀なケースで、大半はハードルを上げすぎると期待外れになることが多いです。
なのでほどほどにしてもらえると我々読者からすると嬉しいのです。

批判に至るまで

直近で読んだ2冊の本が批判をすることになったきっかけです。
それがこちら

両方とも読了しているので下記にてまとめてあります。

どっちの本が読みたいですかね?

私のレビューなんか読んだら正直どっちを読んだらいいかわからなくなると思うのですが、あくまで表紙と帯で選ぶとしたら?

『バナナ』が気になりませんか?
わたしも『バナナ』が気になっていました。
書店でも見かけたこともあるし、なぜか気になる表紙と文言だったので。
まあ、読了後のこれじゃない感が異常だったのでレビューをさせていただきました。

無とバナナを続けて読んでしまったのがいけない

小説を続けて読んでも、著者の違いを味わえてよかった。
くらいで終わるのですが、ビジネス書・自己啓発書になると話がかわります。
『内容』が重視されてしまうのです。
『無』に関しては、正直読むのが難しかった。約2週間くらい読んでいました。
一方『バナナ』に関しては、読むのは簡単、約3日で読み終わりました。
まあ平たく言うと

密度の違いが凄かった

『バナナ』がまあまあ普通の内容なら、なにも感じなかったと思うのですが、あまりにもひどかったので、批判せざるを得ない状態になってしまったのです。

ひとつ前に読む本が『無』でなければよかったね『バナナ』

比較


『無』
・著者の主観が少なく、世界中の大学の研究結果に基づく内容
・です。ます。調である
・一人称がほぼない
・読書の醍醐味である、自分ではたどり着けない場所に連れて行ってくれる

私の考える読書とは『知らなかったことを知れる』というのも重要だと考えているので、こういった書籍はとてもいいのです。

私の『無』のレビュー記事の抜粋部分だけみてもその内容の濃さは伝わると思います。この1冊にこれだけの情報を詰め込めるのか、と。

『バナナ』
・ほぼ著者の主観、エビデンスもなく本当かどうかわからないし怪しい
・~のはず。~だと思います。
・一人称が「僕」
・名著、名言を載せているが知っているものばかりで『知る』ことがない

個人的に「僕」という一人称は、年齢が若いならなんとなく許せるのですが、こんな50歳越えてるおじさんが「僕」って、、、日常生活でつかうならまだしも、文章にするなら「私」とかにすればいいのに。

~のはず。~だと思います。
これは本にするならやめるべき。
こんな曖昧な人の本信じられますか?

追加で批判するなら、あまりにも自己満足が過ぎる。
僕はこう思います。僕はこうだった。だからこうなった。
こんな自己中な人間の書く文章が『バナナ』に集約されています。

「おわりに」を読むと人柄が読み取れることが多いのですが
この『バナナ』に関してはとても分かりやすく書いてあるので読んでみてほしいと思います。

この2冊を人間観察として読むと

『無』
著者は、好奇心旺盛で気になったらすぐ調べる、勉強熱心な人で、
自分とはどんな人間かを理解し、視野が広く、いろいろなことを客観的に見れる人だと感じました。
そして、「人に読んでもらいたい!」という意思より「こういうことがあります」という「ただ事実を述べる」ことにとどめているので、この本は学ぶ意志のある読者にとっては良本で、学ぶ意志のない読者にとっては駄本となるでしょう。

『バナナ』
著者は、自己中心的で自己満足のためにこの本を書いたのではないか?と思います。自分の行ってきたことに自信があり人の意見には耳を貸さない。自分がこうだからみんなもこうだよね?といった視野の狭い思考の持ち主。謙虚さが足りないので、自己成長がない人間で。それでいて肩書だけが立派なので、これ以上の成長は望めないし、おそらく30代くらいで成長は止まっている。
そして、「僕は今まで考えて考えて四苦八苦してきた」だから読んでほしい「僕のことをみて」みたいな可哀そうな内容になっている、精神年齢は小学生くらいじゃないか?
読書をしない精神年齢小学生くらいの頭の持ち主には良本で、学ぶ意志があり成長を望む人にとっては駄本となるでしょう。

おわりに

今回は批判に関する記事を書いてみたのですがいかがでしたしょうか?
不快にさせてしまったようであればもうしわけありません。

ただ、批判はしっかり読書をしている人でないとできないものです

なにがどう悪かったのか、理由があればなんの問題もないと思います。

ちなみに、高評価は誰でもできます。
「よかった」「たのしかった」それでも高評価
商品を作った人は高評価がきて当たり前という前提でモノづくりをするはずです。高評価が多いのは当然です。

一方、低評価はちゃんと評価しないとできないのです。
「わるかった」「だめだった」これでは意味がありません
高評価前提でモノづくりをしている人からすると、
「なんでわるかった?」「なんでだめだった?」これが気になるのです。
なので、批判や低評価をするときは理由をつけるべきだと私は考えます。

そして、自分自身が低評価をするとき、他の低評価を見てください。
同じ思考の仲間がいます。
これは、すぐに友達になれるレベルの情報です。
ちゃんと考えて同じ思考になるということは、「考え方が同じ」ということです。
ここで私は「たまには低評価も悪くないな」と感じました。

ここまで、お読みいただきありがとうございました。
バナナを低評価した人、ぜひ友達になりましょう(笑)

最後になりますが、『バナナ』のAmazonレビューで面白かった文章をのせます。

【この本をベストセラーにした方法が知りたいです】
内容は薄く、ページ数も少ないのですぐに読み終わりました。本を売り出す宣伝力と人脈、マーケティングセンスはあるのでしょうが、文章力は乏しいようです。この本がベストセラーなのは、その中身ではなく、販売方法に答えがありそうです。「『バナナの魅力を100文字で伝えてください』を売るためにした10のこと」という本ならば読む価値はありそうです。

Amazonレビュー「Kindleユーザー」様


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