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「お菓子な絵本」22.ヴァンパイア伝説

22. ヴァンパイア伝説



 マシュマロ・ホワイトは監獄の資料室で、ローザ=リラローズが三カ月も前から服役していたという事実を突きとめた。罪状は立ち入り禁止区域への進入、懲役は無期。

「無期だって!?」

 この程度の罪ならば即日釈放のはずなのに、無期とは。手続き上のミスだろうか? 目まいを覚えながらマシュマロはもう一度じっくり書類を調べてみた。
 やはり改ざんされている。
 おそらく彼女自身の手で。彼女がアリバイ確保の為に牢獄を拠点とし、密かに脱獄を繰り返しつつ諜報活動をしていたことは、もはや明白だった。
 マシュマロの胸に疑惑が広がってゆく。
 霊安所の一件も、彼女が脱獄している際に遭遇したことなのだろうか。とすると、棺桶のふたを閉めた犯人は誰だ? あんなところに行く人物が、他にいるだろうか。むろん彼女がそんなことするはずがない。第一理由がない。仮に殺意があったとしたら、わざわざぼくに知らせるはずもないのだし。
 ではなぜ自分で助けなかったんだ? 正体がバレるから? 

「捕まえたぞ。マシュマロ・ホワイト」

 入り口のドアが乱暴に開かれ、マシュマロは飛び上がった。先輩のダックワーズだ。

「このトラブルメーカーめ。隊長がお怒りだぞ」




 気がつくと、風穴族はアンジェリカを残して忽然と消え失せていた。

「あれ、連中はどこへ行った?」

 王子の了承を得て、アンジェリカが真秀の疑問に答えた。
「ここいらは風穴、つまり火山活動で流れた溶岩のトンネルが縦横無尽に存在してるの。トンネルの出入り口は森の中、畑の中、城の庭、至るところに通じてる。内部からは微かな風が出てるので、注意すれば抜け穴の存在はわかるけど、我々風穴族以外には殆ど知られてない。
 さっきの仲間はトンネルを抜けて、本拠地の洞窟に先に戻ってったわけ」

 それで〈風穴族〉か! 真秀は納得した。

 アンジェリカは後ろから仲良くついてくる二頭の馬を見やった。
「だけど馬が通れるほどトンネルは広くないし、平坦でもない」

 洞窟と聞いて真秀は胸を躍らせた。いよいよ冒険っぽくなってきたぞ。ぼくも彼らと風穴トンネルを抜けてみたかったな。

「それにしても」
 アンジェリカが言った。
「王子も人が悪い。影武者を差し向けて我々を欺こうなんて」
「影武者ではないよ」

 王子は真秀の立場を説明した。
 真秀が剣を抜くのも初めてだったと知って、アンジェリカは心底驚き、そして感心した。

「どおりで。現実世界の方は、この世では何か特別なパワーを兼ね備えてるってわけね。ジャンドゥヤ、あなたもだけど」
「ぼくは現実世界の人間ではない」
 ジャンドゥヤはきっぱり否定した。

「現実世界の血を引くお方には、違いないでしょう」
 アンジェリカは王子と真秀を見比べた。とうに日は暮れて、互いの顔も見分けがつかないほどだったが、二人のシルエットはどことなく似ていた。最初のうち、風穴族が真秀を黒すぐり=ジャンドゥヤ王子と思い込んだのも、単に衣装や道具の問題ではなく、どこか雰囲気が似かよっているからだった。

 頭上に生い茂る樹々がいつしか岩肌に変わり、足元がゴツゴツしてきたので、真秀は自分たちがすでに洞窟に入り込んでいると知った。入口がどうなっていたのか、不思議と気づかなかった。
 奥のほうに、ほのかな灯火。そして洞窟内部の温度差から生じる、かすかに温かな向かい風。自分たちの声や足音が、洞窟の壁に静かに反響していた。
 木でできた扉が行き止まりだった。アンジェリカが強弱をつけながら五回ノックすると小窓が開き、衛兵らしき人物が鋭い視線を投げかけてきた。

「黒い?」
「チューリップ」

 そのやりとりは、何やら合い言葉のようだった。衛兵の問いかけにアンジェリカが答えると、扉がわずかに開き、彼女は明かりの中にさっと中に吸い込まれていった。扉が再び閉じられる。

「くまの?」
「プーさん!」
 こともなげに、王子が答えた。
 真秀は思わず噴き出した。が、笑っている場合ではなかった。続いて王子も扉の中に滑り込んだので、自分だけが取り残されてしまったのだ。フロレスタンとオイゼビウスもいつの間にかどこかに消えている。きっと自分たちだけの居場所があるのだろう。
 真秀は焦った。ぼくの番だ。何を、どう答えればいいんだ? 

 衛兵が三つ目の合い言葉をふっかけてきた。
「怪人?」

 怪人? 怪人といったら、そりゃあ……、あれっきゃないじゃないか! それともオペラ座のほう? だけどそんなことがこの世界で通用するんだろうか……。
 間違ったらどうなる? 今度こそ落とし穴か!? 

「10、9、8、7……」
 衛兵は容赦なく秒読みを開始する。

 何も答えずに失格するより、何か言えば、少なくともチャンスはある。いちかばちかで真秀は叫んだ。
「二十面相!」

 扉は開かれた。視界が急に開け、真秀は歓声と拍手の嵐に巻き込まれた。

「風穴洞へようこそ」

 族の連中が真秀に握手を求めてきた。ちょっとしたアイドルのようだった。だが、真秀はぷりぷり怒りながら、笑っているジャンドゥヤとアンジェリカに向き直った。
「ひどい。合い言葉なんて知らないのに」

「合い言葉? そんなもの最初からないのさ」
 ジャンドゥヤがさらりと言った。
「答えさえすれば、いいのだ。怪人=四十面相だろうが、くまの=パディントンだろうが、黒い=白馬だろうが、何だっていいということ」

〈黒い白馬〉には、一同大爆笑だった。真秀もつられて笑いそうになったが、まだ怒っていたのでがまんした。

 アンジェリカの説明が入る。
「見張りの役目は進入者の心理状態を探ること。相手が信用できる人物かどうかは、内容よりも答え方で判断されるの。声色だとか、目つきだとか、まばたきの回数。そして要注意人物は必然的に監視下に置かれることになるわけ」

「で、ぼくはどうなの。合格?」
「もちろん」
 鋭い目つきの見張り役が太鼓判を押す。

 しかし真秀はまだ合点がいかない。
「だけどなんで皆さんが、デュマの小説や、プーさんや少年探偵団を知ってるわけ? 現実世界の図書館が丸ごと転送されてきたわけでもなかろうに」

「創造者は空想好きで、物語の世界に住んでいるようなお方でしたからね」
 説明しながら、アンジェリカは真秀を風穴洞の図書室へと導いた。

 高い天井、無数のろうそくの灯火。枝分かれする小道、岩場を通り抜ける風の音、水の音……。
 洞窟の暮らしぶりは実に興味深かったので、他の場所も後でゆっくり探検しよう、と真秀は期待を膨らませた。

 アンジェリカはしっとりした海草のような黒髪に同じ色の瞳の、威勢よく、筋骨たくましいワイルドな中年女性だったが、創造者の話となると、うっとり夢見るような口調になるのだった。

「王と女王は我々に現実世界のいろいろな物語を語り継いで下さった。いわゆるストーリー・テリング。むろん内容を全部記憶しておられたわけじゃないから、伝えられたのは限られた話のあらすじや断片、キャラクターの魅力程度にすぎなかったんだけどね。この世界では文学というものが発達してなかったし、現実世界の情報を得る手段としても、たいそう役だってるわけ」

 洞窟に住む族、という風穴族の荒っぽく原始的なイメージは取り消しだ、と真秀は思った。
 ここでの生活は知的で洗練されている。質素でありながら膨大な蔵書数や、居心地の良さそうな読書コーナーが、図書室にかける風穴族の熱意を表していた。簡単な木枠の本棚には小説らしきもの、辞典、楽譜、芸術書、歴史、医学書などの専門分野に至るまでが、きちんと分類され、収められている。各々の本は様々な言語で書かれているようだった。

 真秀はふと、思った。お菓子な絵本は何語で書かれていただろうか? 文字ではなく、実体のないイメージだけだったような……。

 アンジェリカが誇らしげに説明を続ける。
「今日では我が世界でも独自の文学が発達していて、すぐれた印刷技術のおかげで、読書は日常生活の重要な部分を占めてるの」

 柔らかそうなじゅうたんの敷かれた児童書コーナーでは、たくさんの子どもたちが夢中で本を読んでいたが、真秀を見つけると、
「団長だあ!」
 と叫んでいっせいに飛びついてきた。
 真秀はとまどいつつ、彼らと握手を交わしたり抱き上げたりして相手をした。
「団長?」

「風穴洞は黒すぐり団の本拠地でもあるのだ」
 入り口に立っていた王子が答えた時点で、子どもたちはようやく人違いに気づいた。
「あっ、黒すぐりが二人!?」
「よく見ると、この人、団長じゃないよ」

 今度はジャンドゥヤに抱きついていく。団長=王子は片ひざをついて、一人一人に声をかけ、抱きしめ、頭をくしゃくしゃ撫で、丁寧に相手をしている。

「この子たちは王子の正体を知ってるわけ?」
 真秀はアンジェリカに小声で尋ねた。

「一部の側近にしか知らされてなかった事実なんだけど、子どもたちの、風穴族ならではの動物的な勘でね。いつしかバレてしまったの」

 王子はふかふかのじゅうたんに寝転がり、おすすめの絵本を競って披露する子どもらに楽しそうにつきあっている。
 真秀は不安を隠せなかった。
 黒すぐりの正体は極秘のはずなのに? こんなに大勢が、しかも子どもまでが知っていて、大丈夫なんだろうか? 

「心配はご無用」
 アンジェリカが察して言った。
「誇り高き風穴族の子だから。口は固いし、幼い頃からちゃんと訓練を受けてるから」

 黒ずくめの、身の軽そうな少年がすっと部屋に入ってきた。

「彼もその一人。危険をかえりみず伝令役を買って出てくれて」

 真秀より2、3歳下とおぼしき、あどけない顔立ちながらもきりっとした決意がみなぎるその少年は、王子の元に誇らしげに歩みより、さっとひざまずいた。
「マドレーヌさまの情報を入手して参りました」



 警備隊本部司令室。
 ぺルル・アルジャンテ警備隊長はマシュマロ・ホワイトの報告を、苛立ちげに歩き回りながら聞いていた。
「つまりだ。トロいのはホワイト、お前ではなく、誤った情報を伝達した隊員たちだった、ということか!」
 アルジャンテはがく然とした。警備隊の無能がこのような形でさらけ出されるとは。

「そんなことは……。彼らがトロいとかいうのではなくて、これは一種の思い込みが原因ではないかと」
「思い込み? ご丁寧に弔いの鐘まで鳴らされた事件が、単に思い込みによるものだと?」
「自分が最初の隊員に報告したとき、彼はわたしと一緒にいるマドレーヌさまの姿を見ているのです。問題はそれが次の隊員に伝えられた段階で、棺桶で発見されたと聞けば、誰だって棺桶の中の死体を想像するのではないでしょうか。棺桶=死体という思い込みが誤解を招いたわけです。
 鐘を鳴らさせた者も、機転を利かせたつもりだったのでしょう」

「警備隊員は情報を正確に伝えるよう十分な訓練を受けてるはずだ。そこに自身の思い込みをはさむ余地など、あってはならんのだ!」
 アルジャンテはマシュマロをにらみつけた。そしてふと、思った。もし、こいつ一人に罪をおっかぶせることができれば……。ルドルフ公への言いわけも筋が通るというものだ。
「いや、だめだ」
 責任逃れの誘惑を、アルジャンテは何とか退けた。部下の無能は上官たる自分の責任だ。
「ルドルフ公へ詫びを入れてくる」
 面倒なことはさっさと済ませるのが彼のやり方だった。ドアに手をかけぶつくさ言った。
「マドレーヌ嬢がヴァンパイアとして退治された、などという妙な噂までが、お耳に届いてないといいが」

「わたしがヴァンパイアだとか、殺されただとか、ずいぶん物騒な話ですこと」
 ドアの外に現れたのは当のマドレーヌだった。

「マドレーヌさま! ご無事でしたか!」
 警備隊長はとっさにひざまずき、マドレーヌの手をひしと握り締めた。恐る恐る顔を上げる。
 マドレーヌは怒りを押し殺した様子で、つーんと取りすましていた。
「ご安心を。父はお昼寝していて、鐘の数など気にも止めなかったそうよ」

 アルジャンテは、マドレーヌとマシュマロの証言を克明に記録させることにした。

「足音は聞こえなかったのですな」

 聞こえた足音は、助けに駆けつけてくれたマシュマロ・ホワイトのブーツの音だけだと、マドレーヌは強調した。

「犯人は靴を脱いでいた。明らかに計画的な犯行、ということになるな」

 手がかりとなる証拠品は、マシュマロがハンカチに包んだ木の杭と木槌。そして、無神経にも隊員の指紋だらけにされたろうそくの台。マドレーヌが廊下から外したほうではなく、火が消えていなかったほう。その出所を探るようその場で指示が出された。

 マドレーヌは証言を続けた。
「彼女は『マドレーヌさま』といったの。あれは……」
「何ですと?」
「マドレーヌさま、と」
「いや、その前だ。『彼女』と言いましたよ!」
「そう、彼女……。あっ」
 犯人の実体に一歩近づいて、マドレーヌは身震いした。
「どうしてそう思ったのかしら。でも、わかる。間違いなくあれは女の人」

 容疑者は女性、と記録される。

「そうよ。彼女よ。五年前のボートのときもそうだった。あのときと、同じ声」
「そしてその声には催眠的な要素があったと?」
「ええ、金縛りにあったみたいに、本当に動けなくなったの」
「五年前が事件の発端だとすると、何か心当たりは?」

「五年前といえば……、公爵夫人の事故がありましたよね」
 マシュマロがうっかり口をはさみ、マドレーヌもアルジャンテも表情が凍りついた。

 公爵夫人の話題はタブーだった。自室のバルコニーからの転落死、という悲惨な事件は当時多くの波紋を呼び起こした。自殺とも他殺ともささやかれ、徹底した調査にもかかわらず事件は迷宮入り。
 警備隊長は辞任。新任の隊長が若きぺルル・アルジャンテ、その人だった。
 当初はやっかみで、事件はアルジャンテが仕組んだこと、とうわさする者も少なからずいたが、やがて誰もが彼の手腕を認め、かつ恐ろしさのあまり、そのようなことを口に出せる者はいなくなった。

 失意のルドルフ公は以来、世捨て人同然の生活を送るようになる。いっさいの負担がマドレーヌの身にのしかかるが、城における事実上の権力は、マドレーヌを補佐する警備隊長が握ることとなったのだ。

「マドレーヌさま?」
 失言に気づいたマシュマロが、慌てて彼女を気遣った。

 マドレーヌは人形のように硬直していた。
 悲しみのあまり封印されていた記憶が、突如として甦ったのだ。彼女は事故現場に、同じ部屋に居合わせたのだ。母親を亡くしたショックで口も聞けぬ少女に、事故の状況など聞けるはずもなかった。

 しかも彼女は──眠っていた──のだ。

「言い争ってた。女の人がいて、……いやな笑い声」
 宙を見つめ、マドレーヌがつぶやいた。

 そう、彼女は眠っていたのだ。そして、見ていたのだ。

 アルジャンテは私情を捨て、冷酷にマドレーヌを問いつめる。
「突き落とされたのですね?」
「お母さま、動揺してた。父がどうのと言ってた」
「犯人は女性だったんですね!」
「わからない! わたし、捨てられたのよ! 母はわたしを捨てて、一人で死んじゃったんだから!」

 自殺か、他殺か、あるいは事故か?

「どうやって落ちたのか、それだけでいいんです!」
「やめて!」
 マドレーヌは取り乱してソファに崩れ、耳をふさいだ。

「隊長!」
 どやされるのを覚悟でマシュマロが止めに入る。
「捨てられたなんて……。あなたが母上にどれだけ愛されていたかは、城中の者が知っていますよ」

 マドレーヌの三人の姉は、ルドルフ公とは再婚であった夫人の連れ子であったが故に、夫人はルドルフ公との間に生まれたマドレーヌを、ことさら可愛がっていた。
 マシュマロ・ホワイトの入隊は事件のずっと後であったが、それは有名な語り草となっていた。

「マドレーヌ。ひとつだけ」
 警備隊長としてではなく、幼なじみの友人としての口調で、アルジャンテは語りかけた。
「犯人はあなたに姿を知られたと思っているだろう。夢の中でね。そしてその記憶が甦るのを警戒し、あなたを狙っている」

「でも、どうして今頃になって?」
 涙を拭きながら、マドレーヌは言った。

 今頃じゃないんだ。アルジャンテは思った。黒すぐり団からも密かに警告は受けていた。もうずっと長い間、彼女は狙われている。

「地下牢の誰かかも知れないじゃない? わたしの密告で捕まった人が恨んで──」

「マドレーヌ!」
 アルジャンテが怒鳴り、マドレーヌは口をつぐんだ。

 カイザー・ゼンメル城警備隊の管轄内で行なわれる数々の悪事をマドレーヌが夢で暴き、隊長に密告、警備隊による周到な調査の上で確実な証拠をつかみ、逮捕にこぎつける。
 しかしそれは当のマドレーヌと父のルドルフ公、歴代の警備隊長のみしか知ることのない、最高機密事項であった。このことが世間に知れでもしたら、彼女の立場はますます危うくなる。悪いことをしようする人間にとって、眠りながら無意識に、良きも悪しきも、様々な出来事を見通してしまう人間など、邪魔で、かつ危険きわまりない存在に違いないのだ。

 おっとり屋のマシュマロ・ホワイトにもそのくらいは理解できた。警備隊長と目線だけで守秘義務の誓いを取り交わし、その秘密は聞かなかったことにする。

「警戒体制をレベル7に」
 アルジャンテはマシュマロに命じ、マドレーヌに向き合った。
「二四時間体制で護衛をつけましょう。犯人を突き止めるため、全力を尽くします。ヴァンパイアのうわさの件については──」
「うわさなんて、気にしない」
 マドレーヌがさえぎった。
「わたしが吸血鬼じゃないことは事実なんだから。あえて否定して回ることもないわよ。恐がりたい人は勝手に恐がってればいいのよ」

 強い人だなあ。マシュマロは二人に敬礼し、感心しながら退室した。アルジャンテの意地悪げな声が追いかけてくる。
「それから来週の早朝訓練に〈恐怖の伝言ゲーム〉というメニューを加えてくれ。今回の件に関わったまぬけな隊員も含め、全隊員徹底的にしごき上げるからな。覚悟しとけ」

 本部長に命令を伝達してから、マシュマロは熱心に窓を磨くメイドの姿を目に止めた。
 壁に耳ありとはよく言ったものだ。窓越しに、我々の会話を聞いてたな。よくもこんなところに入り込めたものだ、とマシュマロは呆れた。彼女のことはあえて報告しなかったが、これ以上あちこちで活躍されたらかばいようがないぞ。
 お近づきになって口封じする色男作戦は通用するだろうか。マシュマロは声をひそめて話しかけた。
「まったくあなたは神出鬼没ですね、ローザ。それともリラローズ?」

 彼女は窓拭きの手を休め、本当はね、とにっこり微笑んだ。
「ローズ・リラ」




 伝令少年の報告による、マドレーヌの棺桶騒動のいきさつを聞いて、真秀は昔やった伝言ゲームを思い出した。
 クラスのお楽しみ会で自分が企画したゲームだった。たった五人を通しただけなのに、伝言の内容は、

「7月17日に洞窟探検を決行する。懐中電灯を持参せよ」が、

「1月11日に動物園で結婚する。怪獣弁当を持参しろ」に、変換されていた。

  
 カイザー・ゼンメルの警備隊も、小学生レベルだな。真秀は思った。それにしても……。
「ヴァンパイアの伝説なんて、そもそもどうしてこの世に広まったりしたんだろう」

「だから、第三の人物」
 真秀のひとりごとに王子は機嫌悪そうにつきあった。
「王と女王は悪影響を及ぼすといって、怪奇小説のたぐいはこの世に持ち込まなかった。多少の恐さはあっても子どもが安心して読めるような良質なミステリー程度まで。なのにどこからか、悪趣味なホラーが流れてきて、人々の好奇心をあおってる」   
「第三の人物がバラまいてるのか」
「明確な己の意思を持たない者……。この世にはまだ、善悪の判断がつかない者がいる。そして心の弱い人ほど、恐いものや邪悪な力に魅きつけられてしまうんだ」

 ヴァンパイア伝説に象徴されるように、未知なるものに対する恐怖という概念が人々の心に潜む限り、こうした妄想はゆるぎない確信となって無限に広がってゆく。黒すぐり団の使命は、人類の内なる心の闇との戦いでもあるのだった。




23.「クリスタルに映るもの」に 続く……

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