見出し画像

「お菓子な絵本」31.処刑

31. 処刑



 カイザー・ゼンメル城の中庭を見下ろす時計台の鐘がまもなく9時を打とうとしている。
 既にローズ・リラは中庭の中央に設置された処刑台上に引き出されていた。そして処刑道具としてその場に鎮座していたのは──、

 ギロチンだった。

 死刑執行の迅速化、及び囚人の苦痛の緩和を目的として、現実世界ではフランス革命時代に登場し、血塗られた恐怖政治の象徴となった、悪名高き処刑道具である。

「いったい何だ? あれは」
 真秀は自分の目を疑った。
 ルドルフ……、何て奴だ! 真秀の怒りのエネルギーは爆発寸前だった。手紙は届かなかったのか? 王子は? 王子はどうしたんだ。何かあったんだろうか。

 処刑台の半径10メートルほどの範囲の所々に警備隊員が配置され、その回りを物見高い群集が取り巻いていた。
 真秀は人混みに紛れて、とにかくその最前列まで進んでいった。黒すぐりの扮装では目立ちすぎるので、城内で拝借してきた地味な色合いのカーテンを、マントのように羽織ってごまかしていた。
 その下に、剣と盾とを忍ばせて。

── どうする? どうすればいい? ──

 処刑台の上には黒装束の死刑執行人が二人。目の部分だけがくり抜かれた黒い頭巾をかぶっている。真秀の位置からは逆光で、しかも陽の光が強すぎてはっきりとは見えなかったが、一人は斧を手にしていた。ギロチンの刃を支えているロープを切る役目だ。
 もう一人はバケツ。考えるのもおぞましいことだが、おそらく処刑後、大量に流れ出る血の処理のためであろう。

 ローズ・リラはその二人の間に、後ろ手に縛られて立っていた。かわいそうなローズ・リラ! どんなにか心細いことだろう。そして処刑台の下、階段の脇には警備隊長のぺルル・アルジャンテ。

 どうみても、手も足も出せそうになかった。

── どうする? これが黒すぐりなら──。

 何とかしなければ。鼓動が体中をガンガンかけ巡る。真秀は自分が本物の黒すぐりになったつもりで考えた。何かできることがあるはずだ。状況を見極めるんだ。だけど、だけど、

── だけどぼくは黒すぐりじゃない! ただの真秀。真秀シュヴァルツ ──。
    
 己の無力さを思い知らされ、真秀は悔しさに拳を固く握り締めた。

 9時の鐘の音を合図に、警備隊長によって罪状が読み上げられる。何か述べておきたいことは? と問われても、ローズ・リラは無言だった。捕まっても何もしゃべってはいけない、というスパイの鉄則を守り通しているのだろう。
 死刑執行人の手によって、彼女はひざまずかされ、断頭台の二枚の板の間に首を挟み込まれた。頭上では鈍い輝きを放つ、血に飢えた巨大な刃が今かと獲物を狙っている。
 バルコニーの特等席にいたルドルフ公が、さっと片手を上げた。斧を持った執行人がロープの前にゆっくりと進み出る。

 その時だった。

 太陽が時計台の後ろに隠れ、長い影が中庭を覆ったのは。影は処刑台に闇を投じ、黒すぐり=真秀の位置までまっすぐに伸びてきた。強烈な光と影のコントラスト。陽光が鮮明であるほどに、影もまた暗すぎるほどに暗かった。

 真秀はそのチャンスを逃さなかった。

 身にまとっていた布を払いのけ、黒すぐり=真秀は飛び出した。勝算など、むろんありはしなかった。しかし飛び出さずにはいられなかった。

〈正義〉という人類共通の意識がそうさせた。

 まずアルジャンテを盾で打っ倒した。殴り倒して気絶させるくらいのことはやっておくべきであったろうが、無防備の相手にそこまではできなかった(仕返しも怖かった)。階段を駆け登り、死刑執行人に盾で殴りかかって、手にしていた斧を叩き落とす。ローズ・リラの元に駆けより、彼女の首を挟んでいる上側の板の留め金を外し──、

 だがそこまでだった。

 処刑台に飛び乗ったアルジャンテが黒すぐり=真秀の背後から腕をつかみ、乱暴にねじり上げた。骨が折れそうなほどの容赦ない警備隊長の力に圧倒され、真秀はうめく。が、それどころではなかった。執行人がロープに向けて斧を振り下ろす姿が視界に飛び込んできた。

「やめろーっ!」声を限りに真秀は叫んだ。

 その瞬間ロープは切られ、刃は悲鳴のような鋭い金属音を響かせながら恐ろしい勢いで落下した。

── ジャンドゥヤさま! ──

 ローズ・リラの心の叫びが聞こえ、真秀は固く目を閉じた。

 ガキッ! 何かが当たる鈍い音。そして静寂。

 何かが起こった。それは確かだった。
 その場の空気は血みどろの惨劇が回避されたことを物語っていた。恐る恐る、真秀はうす目を開けた。

 すべてが静止していた。ローズ・リラ、アルジャンテ、回りを取り囲む群集のすべてが。自身の呼吸までが止まってしまったかのようだった。

 ギロチンの刃が板の上に浮いている。少なくとも最初はそう見えた。

── 時間が止まったのか? ──

 だがそれは間違いだった。
 刃と板のわずかな隙間に一本の剣が挟まれていた。行動を起こしたのはもう一人の死刑執行人。彼の手にした剣が彼女の命をつなぎとめていた。

 スター・サファイアの輝く、その剣が。



32.「捕われの身」に 続く……




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?