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「お菓子な絵本」23.クリスタルに映るもの

23. クリスタルに映るもの



 この風穴洞に暮らす風穴族全員が夕食を共にすべく、広々としたダイニング・ホールに静かに集まっていた。
 洞窟でありながら贅沢なほど高い天井にはクリスタルの煌めくシャンデリアが吊るされ、いくつも並ぶ長テーブルには、清潔な白いクロスに可憐な野の花のアレンジ、優雅に揺れるろうそくの炎という上品で落ち着いたセッティング。
 子どもたちまでが、正装というほどではなくも、きちんとした身なりで行儀良く食事を待っている。王子が同席しているから今宵は特別なのか、5、60人の老若男女が整然と食卓に着いている様は、さしずめ宮廷晩餐会のようであった。

 まずは黒すぐりのジュースで乾杯。
 一同が王子、そして隣席の真秀にうやうやしく杯を掲げる。
 アンジェリカがベジタリアンの王子のために特別に腕をふるった、自然の恵みを活かしたご馳走が続く。
 焼きパプリカの〈カラフルマリネ〉。
〈火傷に注意壺焼き〉は、熱々のパンの蓋の下から、やはり熱々の、こってりしたかぼちゃのポタージュが現れる。
〈野の宝石サラダ〉は、ひよこ豆、レンズ豆、花豆、大豆、小豆、白いんげん、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、クランベリー、赤すぐり、黒すぐり……、世界中の豆とベリー類を総動員したかのよう。フラワーベースのあっさりめドレッシングが、各々の味の競演を最大限に引き立てている。
 メインは風穴洞名物〈黒すぐり団のおしゃべり〉。黒すぐりの葉に型どられたさくさくのパイ生地の中に、卵、チーズ、野菜、胡麻や玄米などの雑穀が何層も重なり、上から見ても横から見ても美しく、ハーブが優しく効いている。

「まったくもってアンジェリカ、きみをグラス・ロワイヤル城に誘拐したいくらいだね」
 ようやく食卓に着いたアンジェリカのグラスにジュースを注ぎながら、ジャンドゥヤは彼女の料理の腕を賞賛した。

「食事は大切なエネルギー源ですもの。戦う騎士殿には栄養をしっかり摂っていただかないと。ジャンドゥヤ、あなたは自分のことを構わなすぎよ」
 アンジェリカは王子の腕をさっと掴み、魔女めいた声色で言った。
「まだまだガリガリだねえ。もっと太ってもらわにゃ」
「ヘンゼルとグレーテル!」
 と、向かいの席の男の子。

 ジャンドゥヤは頬を染めてアンジェリカの手を払いのけた。
「子ども扱いはやめてくれ」
「失礼ながら、殿下はまだまだ子どもですよ」
「子どもじゃない。ヤング・アダルト!」
 ぷうっと膨れっ面をするジャンドゥヤ。

 アンジェリカとのやりとりは、どこか気のおけない母と息子のようで微笑ましい。実はあれで結構甘えてるんだ。母親代わりなんだな、と真秀は思った。
 さしずめ父親役は森番のブレッター・タイクか? いや、あれはちょいとおかしなじいさん役といったところか。背後からいきなり襲ったりするし。
 他にも王室護衛隊のベルガー隊長に、囚人スパイのローズ・リラ。皆、王子のためなら命も惜しくない側近に支えられている。
 そしてこの風穴族、黒すぐり団全員が、王子を愛し、崇拝している様子じゃないか。

 晩餐のしめくくりは、熱々の黒すぐりシロップがけ〈鍾乳洞ジェラート黒すぐり風〉、それに黒すぐりの甘い香りの、ルビー色のハーブ・ティー。

「黒すぐり、黒すぐり、オール黒すぐり」
 真秀は嬉しい悲鳴をあげつつ、向かいの男の子に尋ねた。
「きみたちはいつもこんなに黒すぐりを? 黒すぐり団の掟だったりして?」

「目にいいんだ」
 まだ5、6歳と思われるその子もやはり、ジャンドゥヤ王子を相当崇拝しているらしく、真っ先に王子の正面の特等席を陣取っていた。そしてチラッチラッと憧れのまなざしを王子に投げつつ、パイのかけらひとつ皿からこぼさず、野菜のひとかけも皿に残さず上手に食べていた。
 待ってましたとばかりに、彼はしゃべり始めた。
「洞窟だからね。昼間はなるべく外で太陽の光を浴びるようにしてるけど、どうしても暗がりで目が利きすぎて負担がかかるから、黒すぐりをたくさん摂るといいんだ」

「へえ、黒すぐりは目にいいのか」

「それにね、万能薬でもあるんだよ。ビタミンCバッチシだしね。喉の薬に風邪薬とか。ま、おれたちゃ風邪なんかひかないけどな」

 シュヴァルツ家の庭にも黒すぐりの木はあるので、真秀にもなじみはあった。
 寒冷地で放ったらかしでもしっかり育ち、甘味は控え目で酸味と渋味の強い野性的な味わい。初夏に実がなる頃は、学校帰り、家の前で友人らと延々と続く立ち話のつまみにパクリ。嫌々手伝わされる庭の草むしりの合間にパクリ、とやるのが楽しみなのだ。

 そして正義を愛し、悪を正す騎士〈黒すぐり〉と〈黒すぐり団〉の名の由来については、王子は「単なるインスピレーション」と、はぐらかす。

 しかし真秀にはこんなヴィジョンが見えるようだった。

 ジャンドゥヤが王子としての身分を偽り、黒ずくめの騎士にでも変装して戦おうと目論み始めた、とある昼下がり。
 たまたま目の前に野生の黒すぐりの木があり、何気なくひと粒口にする。その瞬間、謎の剣士のアイディアが夢のように広がりゆく……。

 食後の片づけは子どもらの当番制。温かいもてなしのお礼にと、真秀も手伝いを買って出たが、客人にそんなことはさせられないと丁重に断られる。真秀は風穴洞の温泉に案内され、一人ゆったりと熱い湯に身を浸からせる贅沢な時間を与えられた。

 風穴洞の名物とも言えそうなその温泉は、とてつもなく奇妙なものだった。

 小さな池といった湯船が段々畑状にいくつも並んでおり、洞窟の壁の高い所から沸き出る、ほどよい加減の温泉が上から順々に一番下の大きなプールまで流れついでいる。
 風穴、つまり溶岩のトンネルは、火山の噴火にともない、あっという間に出来上がった偶然の産物であったが、温泉のほうは気の遠くなるほどの長い年月をかけて、自然の力が作り上げた芸術品であった。
 ここではろうそくは使われておらず、天井や壁面にはりつく蛍のような昆虫が光源となっていた。ゆるやかにうごめく虫たちが放つ青や紫が主体の虹色の光が、蒸気の中でオーロラのごとく幻想的に輝いている。
 それに同調するかのように、チェレスタ風のきらきらと金属的な音色の、喜びに満ちた音階がどこからか聞こえていた。

 真秀は王さまになった気分で最上部の湯船を陣取り、こんなところに沢城郁子がいたら大変なことになるなと思って、おかしくなった。
 郁子の虫嫌いは、テニス部仲間でも有名だったから。先輩が悪ふざけを仕掛けてきた時は、たった一羽の蝶でもいれば、逆襲には充分であった。虹色にきらめく美しい光が虫のものだと知ったときの郁子の顔は、さぞかし見ものだろうな。
 しかしこの期に及んで先輩のことを思い出すとは。真秀は苦笑したが、沢城郁子に関連したことで気になることがあった。

 彼女に何か大事な用件を頼んだような……?

 そう、大切な予定が控えていたはずだ。何だったか……。湯当たりだろうか? 

── 現実世界の記憶が薄れてきてる? ──

 創造者は十年もこの世界に留まっていたという話だが、現実の生活を忘れてしまうほど、この世界は魅力に満ちているのかも知れない。
 そしてぼくは……、ぼくはどうなるんだ? 

 真秀は意識をはっきりさせるため、確かにわかることだけを考えようと努めた。

 ぼくは真秀シュヴァルツ。黒すぐりでも何でもない、ただの真秀で、シュヴァルツだ。現実世界には家族がいる。友人も。だからいつかは帰らなきゃならない。必ずだ。そしてこの物語には終わりがある。目次は永遠に続いてたわけじゃない。

 目次を思い出せ、真秀。

 人並み外れて、真秀は記憶力が優れていた。というより、いざ物事を覚えようとする時の気迫が普通ではなかった。が、何気なく見たことに関しては簡単にはいかなかった。真秀は意識を集中させ、自分が見た目次を思い出せる限り順に記憶に叩き込んだ。覚えておけばきっと役に立つ。あるいは、現実世界に戻る手がかりになるかも知れない。

 今や風邪もすっかり治ったようで、心身ともにリフレッシュして温泉から上がると、脱衣かごにあった衣類はいつの間にか洗濯され、乾かされた状態できちんと整えられていた。風穴内を流れる風は、夏はクーラー、冬は暖房、そして乾燥の役目も果たすのだ。
 気が利いてるなあ。しかし……。真秀は感謝しつつも、まだ黒すぐりの衣装を着なければならないことに少なからず抵抗を覚えた。道化のパジャマはブレッター・タイクのところに置いてきてしまったし、仕方ないか。王子の影武者に間違えられたりするのも何か意味のあることなのかも知れない。

 どこからか、甘美なメロディーが聞こえてきた。

 フルートだろうか。その微妙な音色につられていくと、先ほど食事をした大広間にたどり着いた。トーンを少し落とされたシャンデリアの下、風穴族の皆に囲まれてジャンドゥヤがフルートを奏でている。
 音は洞窟の壁に静かに、夢のように反響し、小さな音楽劇場さながらの空間を創り出していた。
 ジャンドゥヤの音楽はメロディーであってメロディーでないような、フルートの音色そのものを愛するかのような、とらえどころのないものだった。真秀は洞窟の壁にもたれて、聞いたこともないその唄に酔いしれた。

 アンジェリカが森の中で要求していた「美しい音楽」とは、このことだったのか。

 一枚の絵のような情景が、真秀の心に浮かんできた。
 山の中腹にそびえ立つ白亜の城。輝く朝日、湖のほとりで少年が奏でるフルートの調べ。不思議で、魅惑的なメロディー。ああ、あれはグラス・ロワイヤル城だ。そしてあの少年はまだ幼いジャンドゥヤ王子。

 真秀の頬をひとすじの涙がつたう。
 どうして哀しいんだろう? どこであの光景を見たんだっけ? 記憶をたどるうち、真秀はあまりの衝撃に倒れそうになった。

── 絵本じゃない。夢で見たんだ! ──

 今朝のことだ。学校をむりやり休む羽目になって寝てしまった時の夢。絵本を手に取る前の話だ。

── 初めに、夢があった ──。

『お菓子な絵本』は、やはり現れるべくして、ぼくの前に現れたんだ! 

 いつしか、ジャンドゥヤのメロディーの調子が変わっていた。とりとめのない調性から、よく知った曲へ。それはモーツァルトだった。〈フルートとハープのための協奏曲〉。
 文学だけでなく、音楽までもがこの世界に伝えられているのか。真秀は感心した。楽譜とピアノがあれば、少しくらいは伴奏できるんだけどな、残念。と、思いきや、優美なハープの音。アンジェリカが小さな竪琴で、王子のフルートに調子を合わせている。
 アドリブではあったが、二人の演奏は何ともいえず素敵な雰囲気をかもし出していた。

 洞窟の夜会は風穴族の全員合唱による、おごそかな〈夕べの歌〉で幕が閉じられた。

 皆が思い思いの寝床に去っていく中、王子とアンジェリカは隅のテーブルに向かい合って座り、何やら秘密の相談ごとを始めたようだった。
 風穴族のリーダーであるアンジェリカは、黒すぐり団の幹部でもあるのだ。真秀は遠慮して席を外そうとしたが、二人に呼び止められた。

「きみも見ていくといい。何かの役にたつだろう」

 金の縁取りにガラス玉のはめ込まれた、丸い大きなペンダントがテーブルの上に置かれている。王子がアンジェリカに説明を促した。

「これは、見る者の心を映すクリスタル」

──〈クリスタルに映るもの〉だ! ──

 このことだったのか。真秀は事が目次通りに進んでいることを確信した。

「本人が抱えている一番重要な事柄が映し出される鏡であって、それは憧れに満ちた素晴らしいものかも知れないし、とてつもなく邪悪なものかも知れない。何が映るかは、当人の心の状況次第ね」
「一種の占いみたいなもの?」
「占いではない。真実だ」
 王子はそう言って両手でクリスタルを包み込み、目を閉じて意識を集中させた。

「風、土、火、水。自然界をつかさどる四大原素の力によりて、ここに真実を見いださんことを」
 アンジェリカの口から、やけに仰々しい言葉が発せられる。

 ジャンドゥヤはゆっくりとまぶたを開けて、真剣な面持ちでクリスタルを見つめた。

 真秀は少し離れて様子をうかがっていたが、ジャンドゥヤの顔から血の気が引いていくのを見て、つい好奇心にかられて近づいた。
 脇からクリスタルをのぞき込む。ちょっと待てよ? そこに映った二人の人物の姿は──、

「ぼくの両親だ!」

 ジャンドゥヤの集中が途切れ、映像は消えた。

 アンジェリカがとっさに真秀をさえぎった。
「真秀。人の心を勝手にのぞいたりしちゃ、いけない」
「あっ……」
 真秀は慌てて身を引いたが、既に遅し。

 ジャンドゥヤは放心した状態でふらりと立ち上がると、振り返りもせずに広間から出ていった。後を追おうとした真秀は、アンジェリカに腕を捕まえられた。
「そっとしといてあげて」

 真秀が自分の両親と思ったのは、実は創造者の姿だったはずだと、アンジェリカは説明した。
 冷静に考えてみると、確かに二人は王と女王にふさわしい衣装をまとっていた。だから自分の両親であるわけがないと、真秀も納得する。
 行方不明の創造者のことが、今だに王子の心の深い傷となっていることを、真秀はアンジェリカから改めて聞かされた。
 加えて創造者の息子としての、事実上の「王」としての重圧。18になると、いよいよ戴冠式が控えていること。それまでに両親を超えようと、必死にあがいていること。
  
「彼はこのクリスタルのカウンセリングを通じて、あたしにだけは心の内を明かしてくれる。だけど彼がどれほど苦しんでいるか、他の誰も知らないの。彼はもう充分に創造者を超えてると言えるのに。自分に厳しすぎるんだわ」

「あなたにも、あの映像が見えたの?」

 アンジェリカはかぶりをふった。
「クリスタルに映るものは、本人にしか見えないの。あたしは相手の瞳に映った姿を見ているだけ。だけどもし本人が心を隠そうとすれば、あたしには何も見えないってわけ」
 眉間にしわを寄せ、アンジェリカはしばし考え込んだ。
「それにしても真秀、なんであなたがクリスタルに映った創造者の姿を見ることができたのか、皆目わからないわ」

 ジャンドゥヤの心に同調できるなんて。アンジェリカは真秀を見つめた。やはり似てる? それにこの面影。
 この少年まさか、ひょっとすると……。

「真秀。あなたもやってみる?」

 待ってましたとばかりに、真秀は心を真っ白にしてクリスタルに挑んだ。儀式のようなアンジェリカのセリフの後、ゆっくりと目を開ける。そこに真秀が見いだしたのは──

 ドラゴンだった。

 翼を持った、火を吹くドラゴンが、クリスタルの中で動めいていた。真っ赤な目をした悪の化身は、みるみる巨大化し真秀に向かって焼けつく炎を吐き出した。
 真秀はとっさに盾で炎をさえぎり、ドラゴンの炎に負けずとも劣らない、熱く燃えるような鋭い瞳をドラゴンに投げかけ、思いきり剣を抜き放った。

「真秀!」

 アンジェリカの叫び声で真秀は正気を取り戻した。何? 何がどうなったんだ? 

「真秀。あなた、大丈夫?」

「ドラゴンは? ……幻覚だったのか」

 アンジェリカの顔には恐怖の色がにじんでいた。
「こんなこと……、初めて。ずっといろんな人を見てきたけれど」
「ドラゴンのこと? それとも幻影と戦おうとしたこと?」
「どっちも。あなたの抱えてる問題は、……大きすぎる」
 深いため息をついて、アンジェリカは椅子の背に寄りかかった。
      
「ぼくがどんな問題を抱えてるっていうのさ」

 アンジェリカはかなり消耗した様子だったが、やがて落ち着くと、今起きたことの解釈を真秀に告げた。
「あなた自身には何の問題もない。これはあなたの内面じゃなくて、現実世界における象徴的な悪の問題」

 アンジェリカは言葉を濁した。自身の過酷な運命を知るには、まだ幼すぎる。あらゆる可能性があり、夢や希望に満ちあふれた将来を思い描くことのできる年頃だ。

 とても言えなかった。

 真秀が、ドラゴンに象徴される世の中の絶対的な悪に立ち向かうべく、生涯をかけて身を投じる運命にあるなどと。



24.「憧れの星」に 続く……



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