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「お菓子な絵本」15.忍び寄る人影


15. 忍び寄る人影



「そうだ、マドレーヌ!」

 黒すぐりの衣装を身にまとい、すっかり悦に入っていた真秀は突然思い出した。
「王子、大変だ。すぐに戻らないと」
 ふと目の前に浮かんできた、柩に横たわるマドレーヌ嬢の姿。
「ぼくたちは助かった。だけど、マドレーヌが落とし穴に落ちるかも知れないんだ」

「かも知れない?」

 絵本で見たマドレーヌの死の場面のことは伏せておくべきだ。絶対に。真秀は心に固く誓っていた。
「読んだとこまでは、わかる。だけど先のことは……、はっきりとはわからなくて……」

 落とし穴か! ジャンドゥヤは橋をそのままにしてしまったことを、心底悔やんだ。
「まずかったな。彼女、しっかり者のようだが、あれで結構おっちょこちょいなんだ」
 例によって夢見心地で歩いていて、穴に気づかない可能性もある。

「きみはフロレスタンに」
 王子は有無を言わさず真秀をフロレスタンに乗せ、自分はオイゼビウスにまたがった。
「行くぞ」
「ちょっ、ちょっと待った。行くといったって」
 真秀がまごついてるうちに、王子は駆け出していた。
「きみはゆっくりでいい。後から来てくれ。頼んだぞ! フロレスタン」

「そんな。動かし方だってわからないのに?」

「片足で馬の脇腹を軽く蹴る。それが『進め』の合図!」

 声だけが残り、姿はは遥か彼方だった。

 真秀は途方に暮れた。置いてかれちゃったじゃないか。ぼくはどうなるんだ? 頼るはフロレスタンだけ、か。
「よおし、フロレスタン。進むんだ」
 進めの合図を試みる。
 馬は素直にまっすぐ進み始めた。ゆっくりだが体が上下に揺れる。
「わっ、落ちる。ちょっと待って」
 真秀は手綱にしがみついたが、フロレスタンは黙々と進み続けた。王子の行った方とは反対の方角に。
「ねえ、方向が逆なんだけど。ちょっと止まってくれない?」

 フロレスタンはまったく無視し、カイザー・ゼンメル城からどんどん遠ざかり、森の中に入っていった。

──「止まれ」の合図は? ──

 聞いてないぞ。そうだ。もう一度、脇腹を蹴ればいいのかな。
 遠慮がちに軽く蹴ってみる。
 変化なし。
 もう少し強く蹴ってみる。とたんにフロレスタンは走り出した。どうやらそれは、「走れ」の合図だったらしい。

「わあっ! なんなんだぁ」
 振り落とされぬよう必死でしがみつきながら、真秀は考えた。

── もしかして、日本語が通じない? ──

 そういえば……。王子は何語でしゃべってた? 二人の会話を思い出す。こちらはひたすら日本語だった。でも王子は? 日本語だったような、ドイツ語だったような。英語やフランス語みたいなのも混じってたような。

── でも、ちゃんと通じ合っていた ──。

 互いに違う言葉で話してたような気もするけど、意思の疎通はできてたじゃないか。言葉は問題じゃないんだ。肝心なのは、意思だ。互いの意思を、汲み取ること。

 真秀は呼吸を整える為、体の力を抜き、フロレスタンの動きのリズムに身を任せてみた。少しは楽になったので、何とか姿勢を正し、毅然とした態度でフロレスタンに挑んだ。

「フロレスタン。止まるんだ」

 ピタリと馬は停止した。慣性の法則で、真秀は危うく前に投げ出されるところだった。

── 止まってくれた。ああ、良かった ──。

「さて、と。とにかく降りよう。体中痛くなりそうだ」

 しかしどうやって降りる? 乗った時と逆にすればいいのかな。体を反転させて。ま、とにかく降りればいいんだ。
 真秀はくらにへばりつきながら、ずるずると、降りた。しかし、あぶみに引っかけた左足がうまく外れず、背中からひっくり返ってしまう。
 馬が驚いて暴走していたら、命はなかったかも。フロレスタンが賢い馬で命拾いだ。真秀は冷や汗をかきながら、伸ばした足を慎重にあぶみから外した。地面に打ち付けた肩や、身に付けていた剣と盾が腕や脇腹に当たった痛みが、改めてどっと押し寄せてくる。
「ちぇっ。かっこ悪いな」

 真秀は仰向けに寝転がって空を見上げた。
 木々の間から見える空はやたらと高く見える。それに青い! こんなに青い空、見たことあったかな。目を閉じる。このまま眠ってしまったら、さぞかし気持ちいいだろな。馬の横で寝るなんて、トンデモナイ自殺行為? だけどフロレスタンは踏んづけたりはしないから、大丈夫。
  
 森の中を抜けてくる風が、そよそよと心地よく頬をなでる。

── おかえりなさい ──。

 風の中からかすかなささやきが?

── お待ちしておりました! ──
── おかえりなさいませ ──。

 幸福な輝きに満ちたクリスタルのきらめきのような、声にならない声が心に直接語りかけてくる。

 どうして「おかえり」なんだ? 初めての場所……、というより、まったく未知の世界だってのに? 

 真秀は深い呼吸とともに全身の力を抜いてリラックスし、身も心も大地に委ねてみた。

── ぼくはいったい何をしてるんだ? こんなところで ──。

 その時、幸せに満ちたはずの風の中から何かの気配を真秀は感じ取った。
 ジャンドゥヤ王子?
 いや、もっと何か……、妙な気配。

── 殺気!? ──

 とっさに飛び起きたが、遅かった。背後から忍び寄ってきた襲撃者は、既に真秀の首にロープを巻きつけていた。本能的に真秀はロープの内側に両手を食い込ませ、満身の力を込めて抵抗した。息ができない。

「うっ、うう……」

── 死ぬのか? こんなところで? ──

 黒すぐりとして? 王子の身代わりになって? その為に、この世界に来たのか!? 

── いやだ! ──

 ロープに抵抗するすべての力を左手にゆだね、真秀は右手で地面を探った。石ころか何か使えそうなもの……。手近に草があった。根こそぎむしり取り、背後の敵に投げつけた。

「あっ!」草の根の泥が目に当たり、襲撃者はのけぞってロープから手を離した。と同時に、

「やめろ! ブレッター」

 凛とした声が響いた。

── 王子か。助かった ──。

 真秀は、もう振り返る気力もなく、激しく咳き込みながらうつ伏せにへたり込んだ。

 襲撃者=ブレッター・タイクは目をこすりながら、黒すぐり=真秀と、馬上のジャンドゥヤ王子を交互に見て、驚愕の声をあげた。
「あっ……。え、ええっ!?」

「彼は、わたしではない」




── 近づいてくる ──。

 廊下を静かに進んでくる何らかの気配を、マドレーヌは眠りながら感じていた。

 どうして? どうしてこんなところにまで? 

 見回りの警備隊員だろうか。それにしては足音ひとつたてないなんて。
 でも、大丈夫。こちらが息をひそめていれば、気づかれやしない。こんな暗がりなんですもの。スリル満点のかくれんぼ、だわね。

 霊安所の扉の隙間から、人影がするりと中に入り込む。

── 来ないで。こっちに来ないで。わたしを寝かせておいて ──。

 マドレーヌの願いもむなしく、人影は何の迷いもなくまっすぐマドレーヌの柩に忍び寄ってきた。手にしていたろうそくで、中に横たわるマドレーヌの姿を確認する。

── 見つかっちゃった。こんなところで眠ってたなんて、厳重注意くらいじゃ済まされないかな? ──

 マドレーヌは覚悟を決めた。起こされて、パーティーに引っ張り出されるのか。さあ、さっさと起こすがいいわ。

「マドレーヌさま。お休みなさい」
 子守唄のようなそのささやき声は、悪意にみちていた。

 この時になって初めて、マドレーヌは強烈な殺意を読み取った。しかし体が動かない。意識はあっても、体はすっかり眠っていた。

 人影はろうそくを足元に置き、一本の木の杭をマドレーヌの心臓の位置に垂直にかざし、ぴたりと狙いを定めた。反対の手に握った木槌をゆっくりと振りかざし、杭めがけて──

── いや! ──

 その時だった。地下墓地に通じる扉が、激しい音をたてて突然開いた。
 襲撃者は驚きのあまり凶器を取り落とすと、棺桶にふたをして逃げていった。その際のカチャリという音は、マドレーヌをさらなる恐怖に陥れた。

── 閉じ込められた!? ──

 ただでさえ重たいふたに留め金まで掛けられたら、中からは開けようがない。とたんに息が苦しくなってくる。
 マドレーヌはパニックにならないよう、落ち着いて自分に言い聞かせた。大丈夫。土に埋められたわけじゃないんだから。たかが棺桶じゃない、空気の出入りする隙間くらいあるはずよ。

 しかし内部にクッションと布が貼りめぐらされた柩は、完全に密閉されているようだった。

 わたし、このまま死ぬの? 誰にも発見されずに。
 最悪の事態。が、そんな考えは即座に否定する。悪いことばかり考えると、本当にそうなってしまいそう。だから、助かることだけを考えよう。さっきの扉の音、あれは誰かが警告してくれたのよ。その人は犯人を追いかけて……、だから戻って来てくれる。きっと。

 でも、もしその人が犯人にやられちゃったりしたら? 

 犯人がまた引き返してくる? それともこのまま……。だめだめ。何を考えたってどうにもならないんだから、考えちゃ、だめ。
 眠ろう。眠ってしまうの。空気の無駄使いをしないよう。
 眠れば何か見えてくるかも知れない。犯人が誰か? も。そうよ。

 マドレーヌは自分が眠っている姿を想像し、何とか心を落ち着けようと必死の努力をするのだった。



16.「第三の人物」に 続く……




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