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「お菓子な絵本」37.消えた黒すぐり

37. 消えた黒すぐり



 何はともあれ三人は階段を登り、最上階の小部屋を目指した。

── そろそろ次の章に入った頃かも知れない──。

 真秀は考えていた。「彼は味方」の次は「消えた黒すぐり」ということになるわけだ。そして「エピローグ」だから、タイトルはあと二つ。
 いよいよクライマックスだ。
 そう思うと胸が急に苦しくなってきた。このお菓子な冒険物語とも、もうお別れなんだろうか。
 消えた黒すぐり、か。消える? 落とし穴にでも落ちるんだろうか。ニセ黒すぐりのぼくが? それとも本物の黒すぐりのほうが? 

 真秀の血の気がすうっと引いた。まさか、死ぬわけじゃあるまい。

 でも、でも……。何かがひっかかる。何か忘れてる。言い知れぬ不安を真秀は感じ始めていた。何か肝心なことを見落としてるような。

「よし、ここまでだ」

 アルジャンテの声で真秀は我に返った。
 最上階。ロックされた扉の前。三人は緊張した面持ちで視線を交わし合った。




「ローザ?」
 優しげにこちらを見つめる看護師の瞳がローズ・リラのものであると気づいて、マシュマロ・ホワイトは、── 良かったぁ ──。と心の底から安堵のため息をついた。
 それから、自分もどうにかこうにか生きているのだと知った。

「今度は看護師ですか? まったくあなたは変幻自在ですね、ローザ。それともローズと呼んだほうがいい?」
「ローズ・リラは本名。ローザは愛称なの」
「何だ。ぼくはてっきりコード・ネームか何かだと」
「考えすぎよ。さあ、安心してゆっくり休んでちょうだい」
 身を起こそうとしても、身体中がバラバラになっているようでどうにも力の入らないマシュマロを、ローズ・リラはそっと制した。

「あなたに謝らないと。あなたを……、疑ってしまった」
「あの場合、シャーロック・ホームズにだって疑われてたでしょうよ。もう気にしないで」

 ローズ・リラは窓辺に歩みより、レースのカーテンとガラス窓を大きく開いて、穏やかな午後の陽射しと新鮮な空気を病室に取り入れた。
「顔がわれてしまったから、もうスパイとしては動けないけれど、あなたが全快するまではここに居ますからね。それから……」
 ローズ・リラは遠く、山々の向こうを見やった。
「それから?」
「グラス・ロワイヤル城に帰ることに、なるのかな」

 マシュマロの反応を気にしつつ、彼女はゆっくり振り向いた。
「ね、あなたも来ない? グラス・ロワイヤルに。ジャンドゥヤ王子に誘われてるでしょう?」
「あれは、単なる社交辞令だから」
「ジャンドゥヤさまは社交辞令など言わない方よ。本気で見込んだ人にしか、絶対声をかけたりはしないもの」

 意外な事の成りゆきだった。
 グラス・ロワイヤル城で王子に仕える? このぼくが? マシュマロはその魅力的な誘いについて、少しの間思いを馳せた。そしてきっぱり言った。

「ありがたい話だけど、やっぱりダメだ。ここでの任務をきちんとこなせないうちは、どこに行っても同じと思う。ウスノロの汚名を返上して、一人前の警備隊員になることができたら、そしたら考えさせてもらうよ」
「そう言うと思った」
 ローズ・リラは明るく微笑んだ。
「警備隊長のあなたに対する評価を、聞かせてあげたかったわ!」
「何ですか? それは」
「ルドルフ公の御前で語った、部下に対する最高の誉め言葉」
「何かバカにされてるような気がする……」
「あら違うわよ。それよりあなたがここにとどまるのなら、やっぱりわたしも残ろうかな。マドレーヌさまの世話役なんて、どうかしら。彼女が望めば、の話だけど」

── これはある種の告白なんだろうか? ──

 もしそうなら、これは怪我の功名だぞ。マシュマロの心臓が早鐘のように打ち出した。

「大変! あなた、顔が赤いわよ。脈が速いし、熱も……」
 腕や額に触れられて、怪我人はますますのぼせ上がった。
「すごい熱。お医者さまを呼んでくる」
「ちょっと待った」
 マシュマロはローズ・リラの腕を何とかつかんで引き止めた。
「怪我のせいじゃない。これは……、きみのせい」
 頬を紅潮させ、少し怒ったように彼女を見つめる。

── これは一種の告白なのかしら? ──

 いかに有能なスパイといえども、恋をすると判断力も鈍るのであった。窓からの爽やかな風の中、ローズ・リラは自分がどうすべきかもわからずに、マシュマロ・ホワイトといつまでも見つめ合い、永遠にも感じる時を過ごすのだった。




 ニーナ・カットが打ち込んだコードは、やはりアルジャンテに関する番号だろうということで三人の意見は一致した。

「この色男。まったく迷惑な話だ」
 王子がぶつくさ言う。
「おれの責任じゃない! こっちこそ迷惑な話だ」
「で、最終的に三種類の番号を選ばなきゃならないんですけど?」
 真秀が促す。

 わずかな沈黙の後、三人が同時に口を開いた。

 王子は「誕生日」と。
 アルジャンテは「生まれた年」と。
 そして真秀は「認識番号」と、自信たっぷりに。

「よし。これで決まりだ。問題は誰が、どの順番でその番号を打ち込むか、だ」
 言いながら、アルジャンテの腹はすでに決まっていた。
「お子さん方には引っ込んでもらって、ここはこの城の警備隊長である、わたしに任せて頂こう」
「お子さん方!?」憤慨する真秀。
「子どもだと!?」むろん王子も納得がいかない。
「真秀はともかく、わたしはじきに18になる。もう大人と変わりない」 
「じきに、だろう? 今のところはまだ許可できませんね」
「誰の許可など受けるものか。これはわたしの役目だ」
「こういうのはどう? 三人それぞれが、選んだ番号を打ち込むってのは」
 真秀の出した中間策に、二人はやむなく同意した。しかし順番は? 

 王子が言う。
「もちろんわたしが最期に残る。最初の二回で扉が開かなかった場合、二人には退避してもらう。三回目も失敗したら、塔は崩れるのだから」
「それはこのおれさまが……」
「アルジャンテ」
 アルジャンテを見つめる王子の瞳には、もはや誰も止めることのできない強い決意が宿っていた。二人はじっと見つめ合っていたが、やがてアルジャンテの方が目を伏せた。

「わかった。おれは降りるよ」
 ペルル・アルジャンテは降参した。
「わかってたんだ。あんたらの間には誰も入り込めない何かがあると」

「ダメだよ! そんなの」
 話の成りゆきがおかしくなってきたので、真秀は慌てて言った。王子一人が残るなんて、そんな終わり方、絶対ダメだ。絶対に、いけない。

 王子がアルジャンテに何やら耳打ちしている。

「ほう……?」
 アルジャンテは驚いて真秀を見やった。

「何? 何の話!?」

「話はついた」
 言いながら、アルジャンテは扉にかがみ込み、自分の選んだ番号をさっさと打ち込んだ。
「1、4、9、5」

 キイイイー。何かがきしむような奇妙な音が、塔全体に響き渡った。

「何!?」
 真秀は思わず王子の腕をつかんでいた。

 しかし扉は開かなかった。

「きみの番だ」
 アルジャンテに促され、真秀も番号を打った。
「1、1……、0、1」

 ギギギ……。もっと恐ろしい音が地の底から響いてくるようだった。
 しかしこの番号もハズレだった。

── 彼女は本当にハッピーエンドを望んでいるのだろうか? ──

 ある種の疑いが真秀の胸に沸いてきた。胸がざわざわして、不安で押しつぶされそうだった。何か……、何か忘れている。マドレーヌ嬢のことで、肝心な何かを。

── 彼女に超能力があったとしたら? ──

 自分の命を狙うニーナ・カットを目の前で消してしまったと、手紙にあったじゃないか。そのニーナ・カットはマドレーヌの力を邪悪なものと思っていた。何年もの間ずっと側に仕えていた彼女にそう思わせた、何かがあるんじゃないか? そして自身の力が恐くなって、王子と共に死を迎えたいと願っているとしたら? 

── たとえ最後の番号が正しかったとしても、塔は崩れ落ちるのかも知れない ──。

 そんな真秀の心配をよそに、ジャンドゥヤとアルジャンテは肩を抱き合い、がっしと握手を交わしていた。感動的な光景だったが、真秀は認めようとしなかった。

「真秀」
 ジャンドゥヤが真秀をひしと抱きしめた。

「いやだ!」
 真秀は飛びすさった。
「いやだ! ぼくは行かないぞ。ハッピーエンドを見届けるまでここに、残る!」

 王子の目配せに、警備隊長がうなずく。

「メロドラマなんてごめんだ! ぼくがじゃましてやる。塔が崩れるなんて──」
 最後まで言い終えることはできなかった。みぞおちに強烈な一撃を食らい、真秀は気絶した。

「悪く思うなよ」
 アルジャンテは軽々と黒すぐり=真秀を肩に担ぎ、王子に敬礼してから階段を降りていった。


── 思い出せ、真秀 ──。

 最初に絵本を開いた時……。

 夢の中で、真秀はこのお菓子な世界の扉を開いたときの記憶をたどっていた。が、記憶はすっかり闇の中。既に夢の中でもあちらの世界、いわゆる現実世界の記憶が消え失せつつあった。
 もう戻れない? ハッピーエンドにならない限り、ぼくは永遠にこの物語に閉じ込められるのだろうか。

── 全神経を集中させるんだ! ──

 最初にジャンドゥヤを食べた。だけど、マドレーヌは? そう……、ぼくは食べなかったんだ。あの、ふわふわのマドレーヌ菓子を! 

「ぼくはマドレーヌを食べてない!」

 自分の声で真秀は目を覚ました。

「どこ……?」
 自分がどこにいるのかわからなかった。現実世界に帰ってきたのだろうか。芝生。暖かい陽射し。その中に真秀は横たわっていた。

「お目覚めかね」
「アルジャンテ!」
 良かった! まだここに居たんだ。真秀は飛び起きた。
「うっ、うう。き、気持ち悪い」
 チラチラ、クルクルと、グロッケンシュピーゲルのような金属的な音が、少々こっけいな音階を奏でながら真秀の周囲を取り巻いているようだった。

「悪かったな。ああするしかなかったんでね」

 塔の上での衝撃がよみがえってくる。真秀は猛烈に怒り始めた。
「ひどい! ひどすぎる! こんなのって。ぼくが子どもだからって……」
 いや、それどころじゃない。真秀は芝生に座っているアルジャンテにつかみかかった。
「王子は? 王子はどうなった!?」

 アルジャンテは少し離れた場所にそびえる塔を見上げた。
「まだだ。だがじきに三時になる。その瞬間まで、王子は何もしないだろう」
「その前に彼に伝えることがある。ぼくはあそこに戻る!」
「おいおい、人の恋路をじゃまする気か?」
 アルジャンテは真秀の真意を探ろうと試みた。どうやら真剣なようだ。
「しかしもう遅い。あきらめろ」
「ダメだ! どうしても!」

 黒すぐり=真秀はアルジャンテに剣を突きつけた。
「暗証番号を言ってもらおう。塔の入り口の」

 黒すぐりの剣は警備隊長の剣によって簡単に跳ね飛ばされた。
「バカやろう! 命をもっと大事にしろ」
「命をかける価値はあるんだ! もしこのまま塔が崩れるなんてことになったら、ぼくは、ぼくはこの先、生きていけない!」
 真秀は地団太を踏んで、わめき散らした。アルジャンテは呆れ、皮肉っぽく言った。
「お前さんはたとえ殺されても死なないタイプだよ。おれが保証する」
「じゃあ塔が崩れてもぼくは死なないんだね。だったら行かせてくれたっていいわけだ」
「へ理屈をこねるな! まったく……。こんな強情な奴にはお目にかかった試しがない!」

 アルジャンテは腕を腰に当て、高圧的に真秀を見下ろした。泣く子も黙る警備隊長の図がそこにあった。

「誓えるか? 崩れる前に塔を抜け出すと、このおれに誓えるか!」
「誓います!」
「よし。だが番号を教えるわけにはいかない」
「そんなっ」
「早とちりするんじゃない。おれが開けてやるんだ」


 塔に飛び込むや、真秀はガンガン足音をたてて階段を駆け上がっていった。
「王子! ジャンドゥヤ王子!」

 土壇場における真秀の再登場に、ジャンドゥヤはがく然とした。マドレーヌとのロマンティックな思い出にすっかり浸っていたというのに……。

「マドレーヌは味方じゃない! ぼくは彼女を食べてない」
 ジャンドゥヤの腕をぐいとつかまえて、真秀は叫んだ。

「まだそんなことを言ってるのか? 真秀。自分を何様だと思ってるんだ」

「本当なんだ。ニーナ・カットも、サバイヨンも、ぼくが食べなかった連中はみんな敵だった。だけど敵だと思ってたアルジャンテとは和解しただろ? ぼくが彼を食べてたからなんだ。
 だけど、だけどマドレーヌは食べ損なったんだ!」

 自分のしてきたことが、このお菓子な世界でのすべての冒険が、幻のごとく崩れ去るような感覚に、真秀はとらわれた。

「つまり彼女が敵だと……、悪だと、言っているのか? 真秀」

 二人はきつい形相でにらみ合った。

 この扉の向こうでは、美しい少女の仮面をかぶった魔女が待ち構えているのだろうか? 夢で世界を支配しようとする恐ろしい魔女が。はたまた、うわさのヴァンパイアか? 

「アルジャンテは容疑者リストに載っていなかった」
 王子がつぶやいた。
「え……?」
「つまり、敵ではなかったのだ。最初から」
「だって……、ずっと敵対してたじゃないか」
「それは単なる、個人的感情のもつれ」

 ジャンドゥヤは照れくさそうに口をとがらせた。
「ある意味では、信頼していた。彼もまた、マドレーヌ嬢のためなら命を投げ出すことができるであろうと」
 ジャンドゥヤの瞳は静かに燃えていた。マドレーヌへの恋の炎で。
「初めてマドレーヌと出会ったときから感じていた。共通の意識を。彼女とぼくの心の底には、通じ合う何かが流れている。もしきみにとって、彼女が味方でないとしたら──」
「ぼくを敵に回してでも、助けに行く?」
「いや、彼女を味方にしてみせる。と、言いたいのだよ」

 ジャンドゥヤは余裕たっぷりにウィンクした。そして窓から差し込む、傾きかけた午後の陽光に〈星の剣〉をかざしてみせた。

 サファイアのスター効果が現れる。運命、希望、信頼。スターの一条一条を指の先でそっとなでながら、かみしめるように言った。

「たとえこれが定められた運命なのだとしても、人の心までは支配できない。いつでも最善を尽くし、自分の気持に素直に従う。それが、運命を乗り越える鍵だ。ぼくは希望は捨てないし、彼女を信頼する」

 王子の清らかな表情には、過酷な運命を受け入れたうえで、自分の意志に従おうとする強さがにじみ出ていた。何もかも超越しているようだった。
 むろん真秀だって二人に幸せなハッピーエンドを迎えて欲しかった。しかし、真秀の勘、本能が発する警戒信号は依然として治まらなかった。

「いや、ダメだ」
 何がなんでも、真秀は引き下がらなかった。
「あなたがどうしようと、この物語の中ではあくまでも、マドレーヌは敵になるんだ。ぼくが彼女のお菓子を食べない限りは──」

 そこまで言って、真秀はショックで言葉を失った。

 この章のタイトルとその理由が結びついたのだ。すべてに意味があったのだ。これが、ぼくの運命なんだ。今だ。今、それを実行しなくては。
   
「ぼくは消えなきゃならない」
 真秀は自分に言い聞かせた。
「しかも、今、すぐに」

 こんなにも突然に別れがやってこようとは思いもよらなかった。しかし、黒すぐりは消えなきゃならない。消えて、元の世界に戻って、一刻も早く絵本のお菓子を食べないと。でなければ、ハッピーエンドにならないんだ!

「この下は掘だったな。ここから飛び降りれば」

 窓の下をのぞいて見る。ぞっとする高さだ。でも掘に飛び込んでこちらの世界にやってきたんだ。だから帰るときも……。直感がそう語っていた。
 真秀は王子を振り返った。
「ねえ、思えばぼくはこの城を、カイザー・ゼンメル城のお菓子を食べてるんだ。だから塔は崩れやしませんよ。絶対にね」

 真秀の頑固さは、ジャンドゥヤもす既に承知していた。

「行ってしまうのか」
 ジャンドゥヤは胸を裂かれる思いだった。きみもまた、行ってしまうのか。
「真秀。きみはぼくの──」

「忘れやしませんよ。第一の従者でしょ。いつかまた、きっと参上します」
 さっそうと敬礼して、真秀は窓枠に飛び乗った。うるんだ瞳を王子に見られたくなかった。

「お幸せに! マドレーヌさまに、よろしく!」

 声だけが、こだまとなって残された。

「違うんだ。真秀。きみはぼくの……」
 そこでジャンドゥヤは言葉をのみ込んだ。その先を言ってしまうと、悲しみでくじけてしまいそうだったから。成し遂げねばならないことがまだ、あるのだ。

 水音は聞こえてこなかった。それは、真秀の成功を意味していた。




38.「地球は回っている」に 続く……




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