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「お菓子な絵本」17.弔いの鐘

17. 弔いの鐘



 息苦しいのは気のせいだけじゃなさそう。あとどのくらいもつだろうか、この空気。

 眠ろうとしても、結局マドレーヌは眠れなかった。そして起きようとしても、起きれない。不安はどんどん増してくる。前にもこんなことがあった。

 あの身の毛がよだつ、邪悪なささやき声……。

 催眠術にかけられたように体が動かない。金縛り? ひとたびこうなってしまったら、外からの刺激でないと起きられないのかも。
 あの時はジャンドゥヤ王子が助けてくれた。五年前の、あの川岸で。めちゃくちゃなやり方だったけど、確かに助けてくれた。だけど今回は……。
 こんなところまで彼が来てくれるわけないじゃない! 

 どこからか、カツカツと、勇ましい足音が聞こえてきた。
 
 あの響きは? きっと警備隊の誰かだわ! 

 助かった。だけど気づいてくれるかな? 
 マドレーヌは自分がたまらまくこっけいに思えた。起こされたくなくて、こんなところに忍んできたのに、反対に、起こして欲しくて必死になるなんて。



 マシュマロ・ホワイトは携帯用のランプをかざし、霊安所の中をのぞき込んだ。
 何もないじゃないか。
 ランプの火をふっと消して、扉を閉めかけたその時、

── 起こして ──。

 誰かに呼びかけられた。

「死者でも甦ったのかしら」というローザの言葉を思い出し、マシュマロは震え上がった。扉を開け放ったまま、その場から退散しようとするも、声にならないその声が、再び聞こえてきた。

── 助けて! 起こしてちょうだい ──。

 いや、本当に死者が蘇生したのだとしたら、誰かが生き返って棺桶に閉じ込められているのだとしたら? 
 助けなければならない! マシュマロは霊安所の暗がりを再びのぞき込んでみた。

 何かが揺らいでいる。光? 

 おずおずと壁づたいに進んでいき、それが棺桶の脇に置かれたろうそくの炎であることがわかった。誰かがここに来た。それは確かだ。
 ろうそくを手に取り、棺桶にかざしてみる。墓碑銘は刻まれていない。だから死体は入ってないはずだ。ふたを開けてみるべきか、1人じゃ怖いから誰か呼んで来るべきか……。

「大至急」とローザは言ってたっけ。

 仕方ない。マシュマロは覚悟を決めて棺桶の留め金を外し、目を開けておくのも閉じておくのも怖すぎるので薄目モードで、ゆっくりとふたを持ち上げた。




「ところで王子殿、マドレーヌ嬢はどうなったのです?」

 真秀は気になっていたことを切り出した。カイザー・ゼンメル城から戻った王子が平然としていたので、マドレーヌは無事らしいとは予想がついていたのだが。

「ああ。落とし穴には落ちなかったそうだ。鷹が飛んできて、警告してくれたらしい」

「鷹? もしかしてブラウニーのこと?」

 例によって真秀が何でも知っているので、ジャンドゥヤはちょっとしかめっ面をした。

「警備隊長殿がやっきになって犯人探しをしていたよ」
「犯人? 犯人なら」
「知っているのか!?」
「その辺までは読んでますからね」

 王子とブレッター・タイクが緊迫に満ちた鋭い視線を交わし合う。

「悪名高き警備隊の三人組ですよ。ニーナ・カットにそそのかされたんです。そのうち一人は改心して、あなたに警告しようとしたんですけれど。名前をあげましょうか? サバイヨン、ヌーガットに、改心したのがダックワーズ」
「ちょっと待て。ニーナ・カットだって?」
「そう。彼女は怪しいですよ。充分、怪しい。目的はマドレーヌ嬢ではなく、あなたで、チェスの負け戦の仕返しという名目だった」

 真秀が言い終えぬうちにブレッター・タイクが立ち上がり、王子にうなずきかけ、上着をつかんで出ていった。

 ジャンドゥヤは改めて真秀に向き直った。
「真秀くん、きみは本当に何でも知っているようだな」
 テーブルの上で手を組み、身を乗り出す。
「こうなったら、洗いざらい吐いてもらいましょうかね」

 王子の威圧的な態度に、真秀は開き直って応じた。
「尋問ですか。どうぞ何なりと」

「第一の質問。なぜ、マドレーヌが落とし穴に落ちると思った?」

 一問目から、真秀はぐっと言葉を詰まらせた。

「だから……、未来のことはまるっきりわからないんだ。読んでないから」

 答えになっていなかった。これでは重要な秘密を握っていると証明したようなものだ。自分はスパイになれるたぐいの人間じゃないな、と真秀は思った。

「質問第二。『お菓子な絵本』とやらの作者は誰なのだ?」

 真秀は深く考えながら答えた。
「多分、誰でもない」

 いっときは両親が書いた物語とも思った。自分にまつわる偶然が多すぎたから。しかし今となっては、簡単に割り切れない未知の力が働いているとしか思えなかった。

「ぼくの場合、たまたま絵本の形を借りていただけで、異次元世界の入り口は……、人それぞれ色んな形で、至るところに転がってるんだと思う。それは、洋服だんすだったり、不思議なメロディーや、たそがれ時の微妙な空気の中に隠されてたり。そして、その入り口を見つけられるかどうかは、当人の感受性次第なんじゃないかな」

 自身に言い聞かせるように、真秀は語った。そうでもしなければ、納得できなかった。いきなりファンタジー世界に飛び込んでしまった、我が身の状況に。




 カイザー・ゼンメル城の鐘が、予告もなく突然辺りに響きわたった。

 朝、一日の始まりを告げる祝福の鐘。夕暮れには、日の入りに合わせて一日の働きをねぎらう平穏の鐘が、それぞれ7回ずつ鳴らされる。
 それ以外に鐘が鳴りわたるといえば、それは──

 弔いの鐘。

 城にかかわる重要人物の死を意味する弔いの鐘。かつて公爵夫人、つまりマドレーヌの母親が不慮の事故死を遂げて以来の、五年ぶりの衝撃である。その重苦しい鐘の音を耳にしたすべての者が各々の作業の手を休め、黙とうを捧げつつ、密かにその数を数え始めた。
 鐘の数は亡くなった者の年齢を表わすのだ。

 警備隊本部の司令室。東橋の落とし穴に関する報告書に目を通していたペルル・アルジャンテは、やきもきしながら鐘が鳴り終わるのを待っていた。14、15、16……。16? 

 鐘は鳴り止むことで、マドレーヌ・ベッカーの死を告げた。16歳の重要人物といえば、彼女以外にいなかった。

「ばかな!」部屋を飛び出し、そこら辺の警備隊員を捕まえてわめき散らす。
「何の冗談だ! あの鐘は誰が鳴らさせた!?」

「たった今。報告が入りまして……」
 隊長に事態を報告するという、貧乏くじを引いた哀れな隊員が震えながら口を開いた。
「何の報告だ」 
 胸ぐらをつかまれた警備隊員は隊長の反応を覚悟しつつ、ひと息で言った。

「マドレーヌさまがお亡くなりに」

 アルジャンテの険しい表情がすっと消えた。無気味なほどに冷静な反応だった。
「状況を説明したまえ」

「発見された場所は、霊安所の棺桶の中だったそうです。しかも、こんなものが一緒に」
 隊員が開いた白いハンカチの中に木槌と木の杭があった。
「何だこれは」
「吸血鬼退治の道具であります」

 カタン! やりとりを部屋の隅でおびえながら聞いていた掃除係のメイドが、はたきを取り落とした。恐怖に顔がひきつっている。

「そこのきみ。何か言いたげだな」
「いえ、別に」
「言ってみたまえ!」

 泣きそうになりながら、メイドは心の内にため込んでいたものをわっと吐き出した。
「わたしたちみんな、恐ろしいのです。ベッカー家の皆さまが……。だってルドルフさまもお嬢さま方も、全然外に出られないじゃありませんか。マドレーヌさまは別でしたけれど。でも、誰からも一番恐れられていたのはマドレーヌさまで……。あの方は恐ろしい力をお持ちでしたから」
「恐ろしい力だと?」
「夢で何でも創ってしまう力。あの方が見られた夢のとおりのことが実際に起こるという」
「フロイライン(お嬢さん)。マドレーヌ嬢が眠りながら何か邪悪なものを創り出したり、誰かを傷つけたりするのを、あなたはご覧になったことが、あ、る、の、で、す、ね?」

 警備隊員の全員が知っていた。隊長が部下や使用人に向かって感情を押し殺した調子で、ばか丁寧な言葉を使い始める。その時がこの世でもっとも恐ろしい瞬間なのだと。

「マドモワゼル(お嬢さん)。それは「透視」というものなのです。彼女が創り出すのではなく、実際の出来事を眠りながら感じているだけなのですよ」

 恐ろしく優しげな警備隊長の語り口が、静かな怒り──底知れぬ深さの怒り──を表わしていることにようやく気づいたメイドは、可能性に過ぎなかった自分の言葉を打ち消すべく、新たな証拠にもとづいた事実をつぶやくことにした。

「でも、マドレーヌさまもついになってしまったんですね、あれに」

 警備隊員の誰もが彼女に必死の念を送った。これ以上何も言うな、と。

「あれとは?」
「だって、棺桶に木の杭とくれば……、おわかりでしょう?」
「いいや。ぜんぜんわからんね」
「だから、その……、あれに……」
「わかるように話したまえ! あれとは何だ」

 その名を口にするだけでも呪われそうだった。だが、警備隊長の剣幕のほうが、もっと恐かった。メイドの女性は消え入りそうな声で言った。
「ヴァ、ヴァンパイア……」

「気が狂っている!」
 アルジャンテはあまりに馬鹿げた会話にうんざりした。しかし、こうしたうわさは根絶せねばならない。
「いいか。ここにいるもの全員が証人だ。よく聞け。論理的にいくぞ。今からおれの質問に答えるんだ」

 警備隊員の一人に向き合う。
「マドレーヌ嬢が今日のチェスの試合に出ていたとき、太陽は出ていたか?」
「出ていました」
 隣の隊員に尋ねる。
「伝説ではヴァンパイアの弱点は何となっている?」
「陽の光、水、バラの花、ワイン、木でできた杭に、銀の銃弾。それに──」
「もういい。試合中、太陽の光をまともに浴びていた彼女は、その時点ではヴァンパイアなどではなかった。そうだな」
「はい」
 質問する相手を次々と変えていく。
「ヴァンパイアは、昼間行動するかね?」
「いいえ。夜だけです」
「今は夜か?」
「いいえ。まだ日は暮れていません」
「今日の昼間、ノーマルな人間だった者が、この時間までにヴァンパイアに噛みつかれるチャンスはあるか?」
「ありません」
 最後に、メイドの女性に向き直る。
「さて、結論を出そうじゃないか。フロイライン、マドレーヌ・ベッカーはヴァンパイアなのか?」
「……いいえ」

「よろしい。こんりんざいそのような噂を口にする者がいたら、このおれさまが相手になる。城中の者によく言っておけ。第一、吸血鬼などがこの世に存在してたまるものか。ベッカー家の全員、れっきとした生身の人間であることはおれが保障する。いいな!」

「はい!」その場の全員が直立不動で答えた。

「ところで」
 アルジャンテは、吸血鬼退治の道具を持ってきた最初の警備隊員に確認した。
「きみはこれを受け取ったとき、何という報告を受けたのだ? もう一度、正確に伝えてくれたまえ」
「マドレーヌさまは霊安所の棺桶の中で眠っているところを、ヴァンパイア・ハンターに退治されてしまったらしい。そしてこれがその道具らしい。とのことです」
「きさま。さっきの報告と全然違うじゃないか。らしい、だと? 確かではないのだな。第一、この杭には一滴の血もついてない。その情報の発信源は誰だ? 第一発見者は」
「ウスノロ・ホワイ……、いえ、マシュマロ・ホワイトであります」

 ウスノロか! 奴がこのバカげた騒動の根源だったのか。読めてきたぞ。

「奴を探せ。大至急本部に出頭させろ。それから、マドレーヌ嬢の捜索を続行せよと、全隊員に伝えるんだ」
「隊長……? しかし、彼女は……」
「この目で確かめるまでは、もはやどんな情報も信用できん!」




 その鐘の荘厳な響きは、郊外の森にまで伝わってきた。1、2、3……

「何かな? 鐘の音?」

 王子は片手を挙げて真秀を黙らせた。
 ……14、15、16。

 ── 16。途中で止まるな! ──

 ジャンドゥヤの願いもむなしく、鐘は鳴り止んだ。

 王子はふらりと立ち上がり、力ない足取りで戸口に向かった。

 カイザー・ゼンメル城のローズ・リラと、黒すぐり団の幹部への伝令を飛ばし、戻ってきたブレッター・タイクが暗い表情で入ってくる。二人は無言で顔を見合わせた。

「真秀、最初の質問に答えていなかったな」
 王子は戸口に手をかけ、振り返らずに真秀に尋ねた。
「このことを、知っていたのか?」
「このことって?」

 ブレッターが鐘の音の意味するところを真秀にそっと告げる。王子の耳に入らぬよう、気遣いながら。

「あっ、棺桶のシーンはやっぱりそういうことだっ──」
 真秀は言いかけ、慌てて口をつぐみ、目を伏せた。

「知っていたのか」

 真秀はだんまりを決め込んだ。自分の口の軽さを呪いながら。

 沈黙は肯定を、つまりマドレーヌの死を意味していた。開け放たれた扉からジャンドゥヤは出ていった。




18.「スター・サファイア」に 続く……




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