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「お菓子な絵本」27.黒すぐりさまへ

27. 黒すぐりさまへ



── マドレーヌ! ──

 とてつもない恐怖にさいなまれ、ジャンドゥヤは目覚めた。
 ゆっくり休んだはずなのにひどく疲れていた。身を起こし、自分がどんな夢を見ていたのか思い出そうと試みる。

 ……夢ではない。

 マドレーヌに何かあった。
 今度こそ、本当に何かあった。意識を集中させてみる。危険は去ったのだろうか? 

 どうやら今は落ち着いているようだ。感じるのはただ、彼女の深い深い悲しみだけだから。
「マドレーヌ……」
 もうだめだ……。こんなこと、耐え切れない。ジャンドゥヤの胸は張り裂けそうなほどに苦しかった。命を狙われているとわかっていながら、側にいて守ってやれないなんて!
 しばらくの間、片手で額を抱え、感情の高まりを抑えようと必死の努力をしていたが、やがてこぶしを握り締め、決意を固めた。何がなんでも彼女に会いに行く。そして洗いざらい告白する。徹底的に調べ上げて容疑者を捕らえるまでは、誰がなんと言おうと側を離れるものか。

 あれこれと思いを巡らすうちに、エネルギーがあふれてくるようだった。隣では真秀が一心不乱に眠っている。あどけない寝顔を見ていると気分が温かくなってきた。朝一番で、正門から堂々と訪問しよう。ジャンドゥヤ・ブランとして。
 もはや眠れるわけもなかったが、王子は何とか気持ちを切り替え、横になった。



 塔の小部屋には、立てこもった者が最期の時を不自由なくゆったりと過ごせるよう、ひととおりの物が備えてあった。座り心地の良いソファー、寝心地も最高のベッド、書き物机、心安らぐ類いの厳選された本。おそらく遺書をしたためる為の、レターセット各種。ビジネス用のシンプルな物から、金箔の洒落た枠飾りのついた物、上品なレースで縁取られたタイプ等。

 星座の透かし模様が浮かび上がる薄めの便せんを選んだマドレーヌは、心を落ち着けて手紙を書き終えると、花言葉辞典を引いて、本日の花を確認した。ひとたび手紙を書くときは、便せんやインクの色なども含め、細部までこだわらないと気がすまないたちだった。
 この日、6月7日の花言葉は、〈金銀花=運命の糸〉となっていた。
 金銀花。豊かな芳香に、花の色は最初は白から、やがて淡い黄色に変化する。恋人どうしのように仲良く二個ずつ並んで咲く花。
 幸せそうに寄り添って咲く花々を思い浮かべ、マドレーヌは涙ぐんだ。
「運命の糸……」
 便せんを丁寧に折りたたみ、揃いの封筒に入れる。ローズ色のワックスに火をつけて溶かし、封筒の裏に数滴たらす。指輪を外し、静かに押しつける。手紙はマドレーヌのトレードマークである貝殻の印で封印された。

『黒すぐりさまへ 』

 マドレーヌはブラウニーの足に手紙をつかませ、優しくなでた。
「最期のお願いよ。これを黒すぐりに届けてちょうだい」

 鷹はすぐさま塔の小さな窓から森に向かって、まっすぐに飛び去った。

「あ……。お別れも言えなかったじゃない」
 涙がぽろぽろと勝手にあふれでる。もう誰にも会えない。死ぬまでひとりぼっちなのだ。
 ベッドを整え、まくらを抱きしめて静かに身を横たえる。塔が崩れても、布団の中なら少しは痛みが和らぐかも。それに眠ってしまえば、自分が死ぬ瞬間すら気づかないかも。途中で目を覚ましちゃだめよ。恐くなるだけだから。マドレーヌは自分に言い聞かせた。夜が明ける前に眠ってしまおう。せめて夢の世界ではハッピーエンドにしたいな。眠り姫は王子さまの優しいキスで、目覚めるの。
 途端にドキドキしてしまう。
 ジャンドゥヤは紳士なんだから、きっと頬っぺか、おでこよね。いきなり口元とかじゃなくて。それとも、手に優しく……ってとこかな。
 我ながらのとんだ妄想に頬を染め、マドレーヌはブランケットを頭から被ってしまった。



 鷹は王子と真秀の頭上を幾度か旋回した後、二人の間に手紙を落下させた。気づいて差し出された王子の腕に舞い降りる。

「ブラウニー。よくここがわかったな」
「ブラウニー? どうやって入ってきたんだ?」
 真秀も寝ぼけまなこで半身起こしていた。
「鷹は〈森の忍者〉と呼ばれているからね」
 ジャンドゥヤは手紙をランプの灯火にかざし、マドレーヌの封印を見て取るや、思わず胸にひしと抱きしめた。しかし宛て名を確認すると、神妙な顔つきで真秀に差し出した。

「きみ宛だ」
「何? 黒すぐりさま? だったらあなた宛でしょうが」
「今はきみが黒すぐりの扮装だ。マドレーヌが夢できみの姿を見ていたとしたら、きみを黒すぐりと思っているだろう」

 まったくこの人は、マドレーヌ嬢のこととなると判断力をまるっきり無くしてしまうんだな。真秀は呆れた。
「ぼくは読みませんからね」
 ごろんと寝転がり、王子に背を向ける。
「真秀」
 しばらくは互いに意地を張り合っていたが、やがて王子のほうが根負けした。
「わかったよ……。では、一緒に読もう」
「いやですよ。人さまの手紙を見るなんて」
「強情な奴だな。では証人になってくれ。おそらく大事な用件だろうから」

 真秀はしぶしぶ付き合うふりをしたが、実は好奇心でいっぱいだった。きっとマドレーヌが塔にこもって、そこから出した手紙だ。「黒すぐりさまへ」というタイトルがあった。これがそうなんだ。
 その前にパラノイアの何とか……だっけ? そんな章もあったはずだ。

 封印を解き、二人は肩を並べて手紙を読み始めた。



黒すぐりさまへ

 わけあって、わたしはカイザー・ゼンメル城の、ある塔の中に閉じ込められております。
 わたしの世話役だったニーナ・カットが、この部屋の扉が開かないようロックしてしまったのです。彼女はここ数年来、わたしを狙っていた人物で、ブラウニーが助けてくれなかったら今度こそ殺されていたかも知れません。

 でも、もう大丈夫です。奇妙なことに彼女はわたしの目の前で消えてしまったのです。おそらく元いた世界、つまり現実世界に帰ったのでしょう。
 ただ、彼女が打ち込んだ四桁のコードが判明しない限り、この塔はやがて崩れ落ちることになっています。


「崩れ落ちる!? って何だよ!」
 わめく真秀を、王子は片手を挙げて黙らせた。


 黒すぐりさま。お願いが二つあります。
 一つはあなたの友人のリラローズさんを助けて欲しいということ。
 彼女はニーナの魔手からわたしを守ってくれていたというのに、濡れ衣で警備隊に捕われてしまったのです。信じられないことに、朝の9時には処刑だと、警備隊長のアルジャンテが言っていました。


「処刑!? 処刑って、どういうことさ!」
 王子が再び片手で真秀を制した。


 あなたもご存じのとおり彼女は無実です。警備隊長にこのことを伝えて下さい。   
 もう一つ。扉がロックされてから半日後、つまり午後の3時過ぎには塔が崩壊してしまうので、それまでに周囲から人を遠ざけるよう警備隊長に伝えて下さい。無理に違うコードを打ち込んだりすると、3度目に、塔はその場で崩れる仕組みです。なのでわたしを助けようなどと思わないように。

 何故ってわたしは大変なことをしてしまったんです。
 自分が助かりたいが為、母の死に対する復讐の為に、あの狂気に満ちたニーナ・カットを別な世界、現実の世界に送り返してしまったんですもの。
 こちらで裁きを受けるべきでしたのに。
 もし彼女があちらの世界でも悪事を働いたとしたら、それはわたしのせい。

 今となっては、わたしは自分の力が何やら怖い気もしてまいりました。ニーナはわたしの望みどおり消えてしまったし、彼女が何年もわたしを狙っていながら実際には果たせずにいたのも、不思議な気がします。
 それは彼女によると、わたしの「恐るべきな力」が邪魔をしていたのだそうです。
 だけどわたしは、それはわたしを守って下さっていた方々のお力と信じたいです。

 わたしは大丈夫ですから、どうか心配なさらないで。
 恐怖を感じないよう、眠ってしまうつもりです。たとえどんな状況下にあろうとも、眠るのは特技ですので。
 あなたもそうでしょう?
 最期の夢の中で、あなたとともに素敵な冒険ができればと願っています。

 1519年6月7日         
  愛をこめて。マドレーヌ・ベッカー



 二人はしばらくの間、無言で手紙を見つめていたが、やがて真秀が口を開いた。
「驚いたな……。ニーナ・カットが第三の人物だったのか」

 王子のほうは、「お休み」それだけいうと、手紙をまくら元に置いて寝転がった。

「ちょっと!」
 真秀は彼の態度が信じられなかった。
「マドレーヌ嬢が助けを求めてるってのに、『お休み』ですか?」

「この手紙は実質上はカイザー・ゼンメルの警備隊長に宛てたものだ。我々はただ、彼に事態を知らせるよう依頼されただけ」
「だったら直接警備隊長宛に手紙を書いたはず」
「ブラウニーは奴を知らない」
「いや、知ってるはずだ。なあ、ブラウニー」
 真秀はベッドの天蓋の枠を止まり木にしているブラウニーを見やった。
「狩りの時、アルジャンテも一緒に居たものね。それに彼宛の手紙なら、塔の窓から落とせばすむことじゃないか。あるいは紙ヒコーキにして飛ばすとか。巡回の警備隊がすぐに発見するだろうし」

 ジャンドゥヤは起き上がり、指先で手紙をつついた。
「見ろ。警備隊長という言葉が三度も登場しているのに、ジャンドゥヤ・ブランの名はひとつもない」

 そこで真秀は噴き出しそうになったが、そんな状況ではなかったので何とかがまんした。アルジャンテに嫉妬してるのか? 真秀は王子の手から手紙をひったくった。
「それはですね……。ほら、ここ。囚人スパイのローズ・リラのことが書かれているから」
「囚人スパイ?」
「ああ、あなたは知らなかったんですよね。彼女は監獄を隠れみのにしてたんですよ。諜報活動に便利だからと」
「ローズ・リラが……。そんな苦労をさせていたのか」
「マドレーヌ嬢は、もしこの文書が第三者の手に渡って、ローズ・リラが王子であるジャンドゥヤ・ブランと通じてることが知れたら、あなたに不利に働くと考えたんでしょうよ。
 だけど黒すぐり宛だったら、その点問題ないわけだ」

 真秀は手紙を徹底的に分析し始める。

「これは救いを求める手紙であり、ラブレターでもありますよ。第一に、『ある塔の中』。こんなあいまいな書き方をするのは、自分の居所を探して欲しいからに決まってる。それから、『私は大丈夫』。本当に大丈夫な人は、あえて大丈夫だなんて言わないもの。
 それから、ここだ。『眠るのは特技。あなたもそうでしょ?』って。この『あなた』は黒すぐりじゃなくて、昼寝が趣味のジャンドゥヤ王子のことだよ。それに『最期の夢の中』で、共に過ごしたいなんて……、好きじゃなかったら、こんなこと書かないさ」

 そこでひと呼吸ついてから、真秀は一気にまとめに突入した。

「つまり彼女は本当はジャンドゥヤ・ブランに助けてもらいたいのに、あなたを危険に巻き込みたくない。でもあなたが好きだから、どうしても事情を知って欲しかったんだ」

「見事な分析だな。ホームズくん」

「ベイカー街の探偵の名をなぜ知って……」
 言いかけてから、真秀はそれが愚問であると悟った。この世界では何でもありなんだ。

「夜が明けたらルドルフ公に知らせよう。しかし現時点で我々にできることは何ひとつない。以上」

 王子は再び横になる。背を向けて。そうなると、真秀にはなすすべもないのだった。



 ニーナ・カットが打ち込んだ四桁のロック・コード……。何かヒントがないだろうか。目次は? 手がかりは?
 とても眠れる状況ではなかったが、あれこれと頭を働かせるうち、いつしか真秀はうとうと眠ってしまった。浅いレム睡眠の中、この物語の目次が反乱を起こしたかのように、ぐるぐると渦を巻いた。そしてお菓子な登場人物の夢の競演。

 マドレーヌはジャンドゥヤが好き。
 アンジェリカもローズ・リラも王子が大好き。
 ジャンドゥヤはマドレーヌが一番好き!
 アルジャンテはマドレーヌが好き。
 だけどマドレーヌは黒すぐり=ジャンドゥヤが大好き!
 ニーナ・カットはアルジャンテが好き。
 だけどアルジャンテはマドレーヌ。
 ぼくは誰が? 
 沢城郁子のことがちょっと好き。……かも知れない。ホントに?
 先輩は真秀シュヴァルツが、きっとちょっぴり好き。……ホントかよ?

 ちょっと待った! 何かつかんだような。沢城郁子は──、いやその前だ。

 ニーナ・カットはアルジャンテが……

「読めたぞ!」
 真秀は飛び起きた。気配で王子を起こしてしまったかと隣を見ると、彼のベッドは……、

 もぬけのからだった。

「だまされた!」真秀は叫んだ。

 ジャンドゥヤもブラウニーも消え失せていた。




28.「鷹は飛び立った」に 続く……



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