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折り合いなんか付けなくて良い

取り繕う時間が勿体ない

最近、人の話を聞くを意識しすぎてアウトプットの質が落ちてるなと感じてるつのだです。もっと自分勝手に行こうと思います!

というわけで折り合いなんて付けなくて良いって話です。

この話は最近ってより、自分の今までの人生を振り返って思うところがあったから書いてみます。

幼稚園の時の自分。この時の自分が一番自身でも好きだなって思う自分です。人前で歌を歌っていたし、先生にすぐになにかあると報告に言っていたし。あと結構やりたい放題やってみました。

社会がどう思うとか、誰が何を思うとかより、自分がこうしたいからこうするを常にやっていたのがこの時期です。

この時期に戻りたいとは思いはしないですけど、結局人生大事なのは、本人ができると思ってるかとか、やりたいと思ってるかに尽きるなと。

でも、年取った自分はとにかく取り繕う。人に対してってより自分自身の気持ちを取り繕って隠す。

そんな時間が本当に勿体ないのに。

自分がどう見えるかなんて知らん

最近、人の話を受けてみるって部分を意識して思ったことがあります。
人の話を受けるってことは、相手の仕草や色々なものを観察するようになります。

それをみると感情とか色々なものが伝わってきて、無意識のうちに自分を抑えてるなと、さっき寝ながらポテトチップスを食べていて気づきました(タイミング)

世の中には人が色々な発信をしていて、色々な想いを抱えていて。その一つ一つが十分に尊いのをわかった上で改めて思うのが、人から自分がどう見えてるのか。そんなことは一旦置いとこうです。

もちろん、人を意図的に傷つけるのは良くないですが、そうじゃない限り気にしすぎるのって縛られてんだろと。

自分が人からどう見えているか、人が自分の発信をどう受け取るかよりも、まず自分がどうありたいか、どうしたいかが先に来るのがすっごくスッキリするなと思ってます。

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