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[漫画&ブログ] 杉村くん 第18話 ~葛飾くん~

私は20代の頃、漫画を描いて持ち込みをしながら塾のバイトをしていました。時給が高くて短い時間で稼げるのと、朝早く起きなくていいからが、選んだ理由でした。漫画を描く時間、特に集中できる夜中に時間を確保するのにピッタリだったんですよね。以前にも塾に関する漫画を描きました。

しかし、働いてみてわかりました。主役のはずの子供は、結構後回しなんですよね。今回の漫画に描いたように「親同士で宿題の量を競い合う」だけでなく、塾側も親の「うちの子は勉強大丈夫かしら…」の不安をあおって、たくさん授業を契約する方に誘導するのです。授業をする先生はどうかというと、一人一人はもちろん一生懸命に教えるのですが、塾側が時間割を組む都合で、毎回担当が変わったりするのです。子供からすれば毎回同じ先生に教えてもらったほうが、気分的にもわかりやすさ的にも良いですよね。本当にこれってこの子のためになっているんだろうか?実はここの塾って受験を利用したビジネスをやってるだけなんじゃないか?と思う事がよくありました。実際、受験以外にも人生のイベントを利用したビジネスって多いですよね。結婚式とか就職とかお葬式とか…です。本来それらに関わる機関はイベントの「お手伝い」だったはずです。「お手伝い」はあくまで脇役だったはずです。でもそのお手伝いの比率が高くなって、お手伝いの側がメインになってしまう事があるという。そうするとしめしめとお手伝いの側がお金儲けをし始めやすいですよね。

今回の漫画を描くにあたって、海外の読者に日本の受験システムについての解説ページも作りました(私は英訳版の漫画も作っています)。

色々な国の人からのリプライをもらったのですが、どの国にも共通するのは「自分のとこはこんなに何回も入試無いよ」という部分でした。基本は大学に入る時だけのようです。中には、「自分はADHDを持っていて、勉強を強要されるのは拷問だった」という人もいました。そうですよね、勉強なんて頭の使い方の1例というだけなので、それが合わない人なんてわんさかいるはずです。でもこの受験システムは、勉強をできればランクの高い所に進学ができ、その結果ランクの高い就職ができ、ランクの高い人生になりやすくなるという仕組みなわけです。我々の人生はその考えに大きく影響されていますよね。さらにその環境にずっといると、人間としてのランクまで勉強ができるかできないかで決まるような気がしてしまいませんか?ランクの高い学校に行った人は人としてのランクが高く、低い学校に行った人は人としてのランクも低い、そんな空気感がありますよね。でも、私はよく漫画に描いている通りバカヤンキー学生でしたが、周りのバカヤンキーどもはみんな楽しい人達でした。小さい頃からエネルギーが低くて周りになじめなかった私の人生は、あのゆるさに確実に救われました。逆に大学は、それまでとは考えられないくらいランクの高い大学に合格しましたが、そこでは女児にイタズラをしているような人さえいました。乱交パーティーに誘われた事もありました。これはランクが高い学校に行くと悪人になると言いたいわけではありません。勉強ができる事と人としてのランクは関係ないと言いたいのです。当然ですよね。でもその当然が時々わからなくなって、勉強ができれば人間ランクが高い気がして、親同士で子供の成績で競い合ったり、塾ビジネスに乗せられて子供に拷問を与えたりしてしまうのです。地球レベルで見ればそれはおかしな文化であるのに、です。

この勘違い、「勉強して良い成績を取って良い進学をすると人間ランクが上がって良い事になるはずだよ」を「人生ガイド」と言い換えれば、それは勉強に限った事では無いと思うんです。「偉い人の言う通りにすれば人間ランクが上がって良い事になるはずだよ」「道徳に従えば人間ランクが上がって良い事になるはずだよ」「お金をたくさん持っていれば人間ランクが上がって良い事になるはずだよ」など、人生ガイドらしき物はいっぱいあるのです。以前、こういう漫画も描きました。

毒親あるあるで、よく子供に「ちゃんとした人でいろ」を押し付けすぎるというものがあります。これも「ちゃんとした人でいれば人間ランクが上がって良い事になるはずだよ」という人生ガイドです。勉強ができれば、礼儀正しければ、学校の生徒会とか委員会とかに積極的に参加していれば、いろんな「ちゃんとする」がありますよね。で、本来はその目的は「良い事になるはずだよ」の部分だったはずです。でも「ちゃんとする」のほうが大きくなってしまい、子供に「ちゃんとさせる」とコントロールするほうが目的になってしまうんだと思います。葛飾くんは塾長に「全然出来ない」と言われつつもテストでは60点をとっていました。バカヤンキーの私からすれば60点は十分ちゃんとしています。でも宿題を毎日20ページ出さないと親同士の競争に勝てない親からすると、ちゃんとしてないんですよね。それは「自分はADHDを持っていて、勉強を強要されるのは拷問だった」と全く一緒です。そしてそういう関係性の中で心を壊してしまった人は大勢いるのではないでしょうか。少なくとも現代は「ちゃんと」のレベルが上がってしまい、例えば昭和レベルの「ちゃんとしてる」では「全然ちゃんとしてない」とみなされてしまう世の中だと思います。人間の能力自体は昭和も令和も一緒なのに、です。でも能力以上の事を求められている、ファミコンでプレステ5のソフトを動かす事を求められているのが現代なのではないでしょうか。それが現代の生きづらさの大きな原因になっていると思います。今はCMで子供が大人びた事を言って大人がハッとなって教えられるみたいな内容が多いのですが、それって子供にハイスペックを要求する病んだ世の中を表しているようにも見えます。

ちなみに私は塾のバイトを退職後、塾長に2ちゃんねるで「杉村とかいう気違い」とか、「はやく死ね」など、長い間書かれていました。なぜ塾長とわかるかというと、彼しか知らない情報も書かれていたからです。地域の大勢の親の信頼を集め、子供の人生を預かる塾のマネージャーですらその程度の人間ランクなのです。みんなそんなに大した人間ではありません。私もそうです。私は東大生も、コロンビア大学生も、女児にイタズラする大学生も、窃盗で逮捕された元モデルのイケメンも、何十年もひきこもっている人も知っていましたが、みんな基本はだいたい一緒です。なので、フォロワー100万人のインフルエンサーも、世界で活躍する何かの会社の経営者も、そしてあなたもだいたい一緒なんだと思います。ただ各人が時々何か得意な事があって、それがはまるフィールドが世の中にたまたまあって、時々目立つ人がいるというだけです。塾長も2ちゃんねるに悪口を書きつつも、営業トークというフィールドでは優秀だったのかもしれません。そういう意味ではみんなそんなに違いはないと思っています。ただ、「なんかいい奴」と「なんかいやな奴」という違いは存在します。それは自分の感じ方ですからね。なんかいい奴とは、緊張しない相手の事です。例えば多少へまをしても気にしないか気が付いていないような相手の事です。そして結局のところ、毒親ってそういう所なんだと思います。色々自分も勉強しましたが、最終的には「なんかいやな奴」に集約されるんですよね。一緒に暮らしているのに、なんかイライラする、なんか緊張する、へまをしたらすぐ指摘されるような、宿題が5ページだと少ないザマス20ページが良いザマスというような相手の事です。そしてそのいやな感じの本質は距離感のバグりです。距離感が近いほうにバグっていれば、他者と自分が一体化して、他者のへまにすぐ気づいてすぐ指摘してしまったり、他者の成績が競争ネタになるという事です。遠いほうにバグっていれば、ネグレクト系の毒親という事です。これは「ちゃんとしてる」とは全く関係がありません。ちゃんとしてるは世の中の人生ガイド的な視点で、いい奴いやな奴は個人的な視点だからです。人生ガイド成功例の東大生でも、子供にとってはなんかいやな親になったり、人生ガイド失敗例の窃盗で逮捕されていても子供にとってはなんかいい親になる事は全然あるのです。だから、「ちゃんとしてる人」より「なんかいい奴」が増えればいいなと思っています。それは他人が勝手に決めた人生ガイドに乗っかれてるから優れているとみなす世の中ではなく、自分で自分にとっての感じ方を大事にできる世の中だからです。その方が生き物として健全だと思います。

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