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[漫画&ブログ] 闇子ちゃん 第30話 ~よし子ちゃん~

今回の漫画は、「良い人症候群」をモチーフに描きました。良い人であろうとしすぎて自分を抑圧してしまう症状です。日本人には多いですよね。むしろ全員その傾向があるのかもしれません。今では反社会勢力みたいな人ですら、「現在は、ガールズバーを営業させていただいておりまして…」的な丁寧な言葉遣いをしますしね。良い人症候群が起きる原因の一つに、「見捨てられ不安」があります。見捨てられ不安とは、幼少期に親との関係が不健全だったために、自分が良い子でないと親から見捨てられてしまう、だから常に良い子でいなくてはという感覚の事です。大人になっても無意識に残り続ける事が多いです。常に良い人でいる事は、常に無理をする事と同じです。なぜなら生き物は基本的に良い人ではないからです。だから法律やしつけが発明されたわけですしね。そして法律やしつけの枠を超えた、漫画に描いたような「他者の望む良い人」であり続け、自分を抑圧してしまうのが、良い人症候群です。

人によっては、そんなに他人に気を使うなんて変だとか、親なんかに左右されない強い人間にならなくてはだめだとか思うかもしれませんが、それは無事に成熟できた人の見方です。幼い子供にとって親がどうであるかは大人が思っている以上に大きな要素です。その関係が不健全だと、それがベースになった不健全な脳が作られてしまうのです。今回の漫画では、よし子ちゃんが優秀であった時のみ母親がポジティブな目線を投げかけるという、「条件つきの愛情」を不健全さの例として描きました。子供にとって最初の他人は親なので、その関係が不健全だと、その延長線上にある本当の他人との関わり方も不健全になりやすいです。その不健全さの1パターンが良い人症候群という事なのです。親に対しての延長で、他人に対しても良い人でいないと見捨てられるという感覚を持つようになってしまうのです。そして他人の集まりが社会なので、良い人でいないと社会から見捨てられる、つまりは死んでしまうという感覚を無意識に持つようになります。なのでよし子ちゃんは、親にも夫にも逆らえず自分を出す事が出来ないのです。これは群れで暮らす生き物の本能です。基本的には無意識なので、実際は「自分を出す」という行動に罪悪感やいや~な不快感を感じるという事が多いです。自分の意見を言う事に罪悪感を感じる人、たぶん現代人には多いですよね。

私の場合も、以前に迎合グセについてのブログを書きました。それは小さい頃保育園になじめなくて毎日周りの園児が怖かった影響で、今も他者になじもうと迎合してしまうくせがあるという事です。それも一種の良い人症候群なのだと思います。多少体調が悪くても、それを隠して他者のために身を削ってしまうような事です。ある種の「自分を出せない」行動であると言えますよね。私の場合は毒親由来ではなく環境由来だったのでそこまでひどくはありませんが、これのもっと強いバージョンが良い人症候群なんだろうなという想像ができます。妻ちゃんも完全に不健全な親子関係で育ったため、良い人症候群が強く、それによるストレスは相当なものだと思います。ネットにある他の人の体験談を読んでも、同じように感じます。

不健全な親子関係を持った家庭の事を機能不全家庭と言います。親が親としての機能を持っていない家庭という事です。親としての機能を持っていないとは、言い換えれば幼児性の強い親という事です。毒親と呼ばれる人達の多くがそのパターンです。例え年齢的に大人でも、仕事をしてお金を稼いでいても、それは心理的な成熟とはあまり関係がなく、強い幼児性を残したままの大人はいっぱいいるんですよね。他者を血の通った人として見れず、「虫」のように見る感覚、結構あるんじゃないでしょうか?それは見下すという意味だけではなく、自分に利益をもたらす用の存在としてしか見れないという意味です。それはイコール幼児性です。幼児は親に対して食事やおむつの介助といった利益を求めるからです。「親も自分と同じ血の通った人間である」みたいな複雑な事は考えないですよね。そしてなぜ幼児性を残したまま大人になるというかというと、その家庭もまた機能不全、要はその毒親の親も毒親であったというパターンが多いのです。さらにその毒親の親もまた毒親…と、毒は連鎖しやすいのです。じゃあずっとその家系は毒親連鎖だったのか、江戸時代とか平安時代から毒だったんだろうかと思いますが、たぶんそうではなくて、どこかの段階で決定的に家庭の機能が不全になるイベントがあったんだと思います。私は戦争の時代がそれだったんではないかと考えています。1945年に終わった太平洋戦争によって家族が欠けたり、バラバラになったり、孤児になったり、いろいろな理由で家庭が不安定になりました。不安定な家庭では子供は心理的に健全に育ちません。それは強い幼児性が残ると言い換えられます。強い幼児性を持ったままだから、その後子供が出来た時にうまく育てられません。そしてその子供も幼児性を残し、その子供もうまく育てられず…とずっと連鎖して、現代は「もう子供とかいらない、育てられる気がしない」という人が増えてしまったような気がします。私の妻ちゃんもそのパターンです。今日本が少子化になっている理由も、そこが大きいのではないでしょうか。

幼児性は現代のキーワードでもあると思います。私が子供の頃にいた大人と比べると、現代は子供の頃の遊びを大人になってからも続ける人が多いです。漫画、アニメ、ゲーム、キャラクターもの、おっかけ(推し活)、ドカ食い、たくさんあります。でもそれ自体は悪ではないと思います。一種の軽い依存だとしても、自分を保つために必要な事ですしね。幼児性を持った行動をする事で救われた人は大勢いるはずです。幼児性を持っていない人でも、現代社会は神経質でミスが許されず、ストレスが多く、どこかで子供返りをする必要があります。自分はあまりそういう趣味は無いのですが、こんなふうにブログや漫画を描く事が、それにあてはまるのだと思っています。

https://note.com/yuki1192/n/n50267e4917f2?magazine_key=m0b7b30a5d458


日本ってエンターテイメント大国ですよね。漫画やアニメはもちろん、JPOPもアイドルも音楽フェスも豊富ですし、治安がいいので歩きながらスマホもいじれますし、TVをつければ必ずお笑い芸人が出ていますし、エロコンテンツの規制もすごくゆるいです。世界のどの国よりもエンターテインメントにあふれています。でもその裏には、幼児性を持ったままの大人が多い事、そしてそれは機能不全家庭で育った人が多い事、そしてそれは戦争の時代に起因するのではないかという、悲しい背景がある気がするのです。

すごく日本独特なエンターテイメントの一つに、90年代~00年代のビジュアル系バンドブームがあります。よし子ちゃんもビジュアル系にはまるというキャラで描きました。私は90年代に中学&高校生で、XやLUNASEAの世代なので、ヤンキー文化の延長としてそれらを受け取っていました。…が、今思えばビジュアル系ブームも病んだ世相の表れだったんだと思います。それはその後妻ちゃんと知り合った時に気づきました。妻ちゃんも熱心なビジュアル系ファンでした。


ビジュアル系は確実にヤンキー、というか不良文化の流れをくんでいますよね。シーンを作る大まかなベースが不良性にあり、時々平和な感じやサブカルっぽい感じに派生して、平和性が高いとビジュアル系のファン以外にも売れるようになりやすいという認識で、あまり間違ってはいないと思います。妻ちゃんの例では、ラルク、ピエロ、カリガリ、プラスティックトゥリー、ムックなどのファンで、ピエロが不良でラルクが平和、カリガリとムックとプラスティックトゥリーがサブカル的という印象を私は持っています。でも平和イメージのラルクですら、当時の渋谷系ミュージシャンやアイドルなどと比べると、不良的だったと思います(商品として表に見えている場所でのイメージです)。

https://girlschannel.net/topics/3358341/
https://styles-hairdesign.com/blog/2021/05/16/post-7430/
https://natalie.mu/music/news/8742


不良性とは自由さとも言い換えられます。男性なのに化粧をして、時には女装までする、自由ですよね。歌詞も、例えば恋愛ものでもJPOP的なストレートな内容よりも、病んでいたり肉欲的だったりしますし、全体的に刹那的、破滅的な傾向がありました。あまり綺麗ごとを言わないのも特徴的です。これは病んだリスナーが感情移入できるというだけでなく、JPOPの王道の「素敵な恋をして結婚すれば幸せ」という綺麗ごとから外れた、ある種の自由さでもあったのではないでしょうか。それらの自由さが、よし子ちゃんのような良い人症候群、自分を自由に出せない人にとっては代わりに自由行動をしてくれる存在として映っていたのでしょう。↑↑でも書いたように、人間は素の状態ではそんなに良い人ではありません。でもその良い人である事を強制されている人や、良い人であれという世の中の空気に息苦しさを感じている人にとっては、自由で綺麗ごとから外れたエンターテイメントは大きな救いであったように感じます。

また、幼い子供にとって親は絶対的なもので、それが不安定だった過去を持つ、つまり絶対的な概念が不足している人にとって、ビジュアル系バンドの「美」を絶対的な概念として捉える事が出来たのも大きいと思います。例えば「この掛け軸の絵は良いかどうか」は、良いも悪いも自分次第で不確かですが、「この掛け軸は人間国宝で有名な何とか先生の作品で時価1億円」となれば、人間国宝とか1億とかは絶対的な概念なので、安心して「良い」のジャッジができるのです。そしてビジュアル系の「美」も同じ事だったのかなと思っています。「美」は間違いなく「美」で、それをドーンと自信満々出してくれれば、安心して「そういうもの」として受け取れるのです。それは現代のアイドルブームにも通じる所がありますよね。さらに「美」が細分化して「一見、王道の美じゃないんだけどその中に見え隠れするマニアックな美」という変化球になる所も似ています。

https://ajswgm.lukeseabrook.com/index.php?main_page=product_info&products_id=18832
https://skream.jp/news/2021/06/melonbatakeagogo_interview.php

そしてメンバー間の関係性を楽しむ要素も共通点です。仲が良かったり幼馴染だったりという関係です。これはバンド系全般やお笑いコンビにも言えますよね。現代でも、「若者は90年代のウェットな人間関係に憧れがある」というコラムを読んだ事があります。近しい人間関係を持ちづらい環境だと、それに憧れるというのはあると思います。曲自体に関しては、例えばXはメタル、黒夢の後期はパンクロック、バクチクは時々YMO風味というふうに、少し前の世代の、要は懐かしさを持った要素を持つ事が多かったです。90年代後半の大ブーム後は歌の比重が大きくなり、それは日本に昔からある歌謡曲にも通じます。そしてそれはファンにとっても懐かしい要素であると同時に、懐かしさは辛い親子関係とセットの記憶で、でもそれを好きなバンドが良いイメージで上塗りしてくれる要素もあったんじゃないかと思うんです(そういうバンドばかりではありませんでしたし、考え過ぎかもしれませんが)。というのも、「トラウマの再現」という心理学用語があるんです。過去の辛い出来事と同じ条件に無意識に自分を置いて、「今度こそは」と乗り越えチャレンジをする行動です。家で虐待されて育った人が、同じようなモラハラ彼氏とばかりつきあってしまうというのもその一つです。ビジュアル系の曲の場合、「懐かしさ」をキーワードに、トラウマとセットの懐かしさを、曲が乗り越えさせてくれていたパターンもあったのではと思いました。

その一方、エンターテインメントはあくまで楽しむためのもので、本質的な幼児性の解決には役立ちそうで役立たないかったという事も多かったと思います。風邪をひいた時に飲む薬のようなもので、本質的に虚弱体質を治してくれるものではないというか。なぜなら、よし子ちゃん的な人は親子関係の不健全さで辛い性格が出来上がってしまったため、それを治すのもまた人間関係だからです。おなかがすいた時はご飯をたべればおなかのすきが治るという事です。おなかがすいた時に1億円を手に入れても、嬉しいは嬉しいけれどもおなかのすきは治りませんよね。開いている穴を埋めるには、同じ形のパーツが必要なのです。

https://note.com/yuki1192/n/nd684c50cadf9?magazine_key=m83ac0d58f5d0

とは言え、治りにつながる人間関係を持つのが難しいのも現代の特徴だと思います。さらに、本当にそれで治るのかもよくわからない気がします。結局親子関係でなきゃダメなんじゃないかという気がするんです。私は妻ちゃんと20年以上一緒にいますが、今でも彼女の心と体の不調は続いていますしね。私自身も長い事、うっすらとした悲しさが抜けません。なのでみんなで涙をうかべながら、お互いつらいね、でもがんばっていこうね、と励まし合って生きるのがベストなのかもしれません。そのがんばるエネルギーをもらえる1要素としてエンターテインメントが存在しているから、近年ますます需要が増し、発展しているのでしょう。そういう外からは見えない悲しみを抱えながらニコニコ良い人症候群で生きるのは、もう日本の運命で、そして大きな戦争に参加し、敗戦するというのはこういう事なんだろうかと最近よく考えます。このまま少子化が進めば、元々あった日本の姿は近いうちに滅びるとよく言われますが、戦争だって相手の国を滅ぼす事が目的ですもんね。

私の描いている「杉村くん」のシリーズも、懐かしさの上塗り要素が強いです。そしてヤンキーは悪い奴という絶対的な要素がベースにあり、でも自由でもあるという、ちょうど今回のビジュアル系が持つポジティブ要素と通じます。闇子ちゃんというメンヘラ漫画、妻ちゃんとのエッセイ漫画、そしてヤンキー漫画を同時に描いているのも、それらに何か共通点がある事の表れだと思います。そしてその杉村くんですが、そろそろメジャーデビューが近いです。1月の持ち込みでは、雑誌のページに空きが出れば載せられるという事だったのですが、やっと空きが出るようです。近日中に告知&それ用に描いておいた漫画を公開しますね。私は20代の頃から47歳の現在まで20年以上漫画を描いているわけですが、普通は20年やってだめならもうだめです。ぐだぐだやって20年ではなく、持ち込みをたくさんして20年ですからなおさらです。でも、時々だめじゃない事もあるんです。人生も一緒です。…というふうに、読んでくれた人の何か希望ネタの一つになれれば幸いです。


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