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ゼロから始める伊賀の米づくり40:野生動物や自然と共に生きる田んぼ

正月休みの間は、時間に囚われずにゆっくり自然を観察することができます。

そして、じっくり観察してみると、改めて自分の今いる場所は、人間以外のさまざまな生命の生きる舞台なんだなぁ、と実感することができます。

夏の間は雑草が生茂り、それを除草するために暑さと草の生命力との戦いになりますが、冬はまた一味違った自然を体感できます。

まず、朝、目を覚まして田んぼに向かうと、霜の降りた姿を見ることができます。

徐々に夜が明けていく田んぼ

もう少し手前に目をやれば、水たまりは凍りつき、日の光を反射しています。本来ならこれだけ水漏れしているのは厄介なのですが、早いうちに対応したいところです……。

これだけ大きな水たまりも夜の間に凍ってしまいます

実際、この季節になると水道管が凍り、水が出なくなってしまうため、よく晴れる前の日の晩の水対策は重要になります。

さて、畦道を眺めてみると、こちらもまた野草に霜が降りています。

ホトケノザの特徴的なフォルムが、霜が降りて強調されているのがよくわかります。

畦道はホトケノザの他、稲藁や芝などの下草に覆われています

冬の朝の散策のついでに、神社の前の田んぼまで足を伸ばしてみると、こちらも田んぼの土が霜に覆われ、白い化粧を施したような状態です。

さらに、明け方の日の光が霜に反射することで、明るいオレンジ、黄色がかった色が浮かび上がっています。

この時間帯の色彩が、冬の中では一番好きな景色です。

白い霜に覆われた田んぼは、夏の頃とはまったく違う顔を見せてくれています

神社の参道を行くと、この田んぼの途中で何やら蛇行している溝を発見することができます。

田んぼを横切るように、蛇行しながら続いている溝

この蛇行している溝は、動物たちの足跡の痕跡です。まったく同じルートを何度も何度も通り続けることにより、このような跡になるようです。

果たして何匹の群れが通っているのでしょうか。

また、そもそもこれは何の足跡なのでしょうか。

いくつか候補はあり、狐、狸、イタチ、鹿などですが、実際にこの道を通っっている姿を目撃したことはありません。

この溝、トラクターで耕す際にガタンガタンと音を立ててトラクターが跳ねるほど固く踏み固められているので、そんな時にも田んぼと共にある動物の存在を感じることができます。

この日、犬の散歩にも出かけたのですが、そこである動物を目撃することになりました。

小鹿の全体像がはっきりと確認できる亡骸

ある田んぼの畦道を行くと、鹿の亡骸が置かれていました。

肋骨がきれいに剥き出しになっているものの、冬の寒さのおかげか腐敗も進まず、きれいな状態で保存されているようでした。

もっとも、動物たちがついばんだのか肉はきれいに取り除かれています。

あとで話を聞いてみると、ご近所の人が道路の近くで死んでいたものを田んぼの脇へと移動させてやったとのことでした。

この鹿が直接、先ほどの田んぼの溝を作った張本人かはわかりませんが、この開けた田園風景の中で姿を見せない動物たちの中の1匹でもあったのだなぁ、と感じました。

人間が自然を切り拓き、時に我が物顔で活動しているように思えても、田んぼに刻まれた溝から、今回のような亡骸から、日々の生活の中で見る鳥や虫たちの姿から、「私たちは同じ環境を共有しながら、互いの領域や世界を生きている」と感じることができます。

鳥も獣も自然も人も、すべての生命はこの土地に生まれ、日々を必死に生きようとしている一つひとつの生命。

同じ土地を共有して生きている以上、田んぼの中に足跡を刻んだり、田植えされた田んぼの中でカエルが育ち、それを狙ってサギがやってくるのもまた、多様ないのちの営みの重なり合いです。

そこに上下はなく、ただ、自分の(種の)領域を野放図に拡大しなければ、それぞれが適切なバランスで淘汰しあい、バランスしていく。

そういうものではないかなぁ、と感じます。

これは、最近読み進めている今西錦司氏の書籍などからも着想を得たものですが、実際にこのように自然に直面して感じるものから考えると、そのようなアイデアが出てきます。

さあ、そろそろ寒さも緩んで次のシーズンの田植えを考え始める時です。

春に向けて、着実に準備していこうと思います。


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