見出し画像

建築一家の家を継ぐ=移動する家づくり⁉︎

実家の稲刈りが終わってしばらくした頃。

一念発起してついに、軽トラに積み下ろしできる、米の移動販売車兼モバイルハウス🚚を作り始めました(⁉︎)

画像3

完成の暁にはコロナ禍に配慮しつつ、ご縁のある人、土地を巡りながら米の配達や旅をできれば……なんて考えています🌾

どうしてまた、DIYの経験すらない自分が一念発起してモバイルハウス(タイニーハウスとも)作りを始めようと思ったのか、と言えば……

ここから先は一言で言い表せないので、順番に書いていければと思います。


元々、曽祖父は建具屋、祖父は大工であり、父は一級建築士。

祖父が9年前、父が昨年亡くなった後、祖父の使っていた工房と木材が残されたままとなっていました。

画像1

また、兼業農家として米づくりも行っていたため、2年前の時点で私は米づくりに関しては引き継ぎ、続けてきました。

一年目は地域の先輩方、父や祖父の友人の皆さんに助けられながら、どうにかこうにか。

二年目は、大阪や京都の仕事で出会っていた仲間と共に楽しみながら、自分主導でどうにかこうにか、米の収穫までを終えることができました。

この四年間ほど、父の死やコロナ禍といった出来事が自分に降りかかる中、田舎に生まれた長男としては、家族を守ろうと必死で駆け抜けてきたように思います。

父と祖父亡き後、家には祖母と母が残され、男手は自分と東京に離れて住む弟の二人のみ。

状況的にも心情的にも、自分は家族に向かわざるを得ませんでした。

京都を拠点に、組織運営と集団での学びに伴走するお仕事をしていた自分の人生が、一転することになりました。(快く送り出してくれた仲間たちに、本当に感謝したいです。)

そういった大きな変化がありつつ、自分はこの大きな変化にただ流されるのではなく、大きな変化がもたらす学びや経験を、どうにか自分の今後の人生に活かす方法はないのか、ともがき続けていました。

渦中の学びの印象的なものとしては、家長にあたる存在(ここでは自分)が場にもたらす影響力の大きさがありました。

「これからは自分が家族や地域への信頼を背負っていく。だから、大丈夫だ」

という姿勢を家族や地域の皆さんに言動で示すことが、どれだけポジティブな影響をもたらすか、等がありました。(村落共同体におけるリーダーシップ、とでも言えるものを体現することになりました)

また、米づくりから発展して農業に関する理解も深まりました。戦前・戦後の農政について、水稲栽培がもたらす環境負荷について、世界における日本の農業について、農地と食・国土の安全保障の関わりについて、将来あるべき農のあり方について、等です。

さて、建築・建設も、田んぼ(農業)も、家族の再生も、場づくりやティール組織も、すべて領域としては一見バラバラ。

それでも、どうにか自分のこの身体の中にひとつに統合し、自分だからこそできる、人のためになる活動へと昇華していけないか。

そんなことを考えながら、二年目の米の収穫を終えたのでした。

その頃には、実家の家業である米づくりに関連して、様々な活動の種を蒔いていたのですが、その中で今回のモバイルハウス作りに直接のきっかけとなったのが、循環コモンズ村という取り組みです。

🌾循環コモンズ村の稲刈り🌾 9月も循環コモンズ村にいってきました(^^)🌱 今回はなんといっても、嬉しいことに、陸稲の稲刈りをすることができました🌾✨ 米農家でもある大森ちゃんも「すごいできてますね~!」と驚き👀 重そうに頭をもたげている稲...

Posted by 吉原 優子 on Wednesday, October 6, 2021

そこでは、自然の循環の中で動植物が集い、作物が育つ場所に、人「も」住むというあり方で野菜や米(陸稲)を育ててきたのですが、新たに「ビーバーハウス」を作ろう!という話が盛り上がりました。

ビーバーハウスの名付け親の吉原優子さん曰く「人が住んでいるというより、自然の環境に溶け込んで、ビーバーが作ったような、動物たちも使ってそうな家」とのことで、そのアイデアを実現すべく、同じくコモンズ村に共感した建築家・堤庸策さんの熱も上がっていきます。

自分たちの思いから、家すらも手作りでチャレンジしそうな雰囲気です。

また、この話を妻にしてみると、
ビーバーハウス?私はキャンピングカーが良いな〜。軽トラを改造したりしてさ。コロナで宣言が出てると旅行も行けないし」と、今回の移動する家づくりに直接繋がるフィードバックがあったりしました。

カッコいい移動販売車で言うと、 移動する竹村商店(焼き芋屋さん)にも影響を受けているかもしれません。

そんな交流がありつつ、妄想だけは稲刈り前の8月から膨らませていましたが、稲刈りを終えて一息つき、ようやく移動する家づくりに着手できました。

画像3

昨年3月に父が亡くなって以来、仕事、生活、家族のあり方が大きく変わらざるを得なくなり、家族の再生と新生活の構築に時間を注いできました。
兼業農家の米づくりも継いだものの、日本全体で見ても地元の地域レベルで見ても、将来が明るいとは言えません。

また、新生活の構築の中で、祖父が残した工房と木材はどうするのか?という問題も降りかかってきました。自分は文系に進んだため、建築、建設の家業は廃業です。誰も取り扱いができません。それでも、祖父や父の遺したものは大事にしていきたい…。

葛藤の中、時に鬼滅の刃の主人公・炭治郎(長男)の顔が浮かんだりもしました。

そんな中で、育てた米が「美味しい」と言ってもらえたり、リピートがかかることは本当にありがたいことでした。

先述の交流と自分の抱えているものが、ある日ふと結びついたとき、「そうだ、軽トラハウスを作ろう!」となりました。

家を作ることは、祖父や父もやっていたこと。米づくりに続き、家づくりという「家業」を現代風にアレンジして、家のプロセス、DNAを継いでいこう。

米は育てて収穫して終わりではなく、欲しいと言ってくださる方、美味しいと言ってくださる方との関係も大事にするため、直接お届けしよう!移動販売車的な使い方もできるはず。

なんなら、これに乗ってコモンズ村を始め、いろいろな場所へ乗り付けてみたらどうだろうか?

木材や工房もただ処分するのではなく、最大限そのポテンシャルを活かし切った上でどうにかしよう。技術は身につければ良い。

画像4


そう決めたら、ここまで一気にきました。

画像3


木材の切り出し、設計などは当然初めてですが、人生のあれこれを注ぎ込むつもりで取り組んでみると、独力でも案外やれるものなのだと実感しました。

祖母も「木を切る音を聞いてると、お祖父さんがいた頃を思い出すわ。お祖父さん、機械で足を切ってそれはそれは酷い事になってなぁ……」と話す等、現時点でも少なからず家族にも影響があったようです。

こんなことが起こるのも、家族中心の生活に切り替えるとなった時、送り出してくれた皆さんのおかげ。無理を言ったり迷惑もかけたと思いますが、本当にありがたいです。

上記のように、様々な人の言葉や私たち家族に降りかかった出来事、家族の歴史などを統合するように現れた「軽トラハウス」のプロジェクトですが、隙間時間を見つけながらの為、完成までもう少し。

純粋な思いにポップな意匠、そして家を継ぐとは「家の歴史、プロセス、DNAを継ぐこと」というギリギリまで拡大した上で生まれたこの取り組み…

何が起こるか楽しみな未来に向けてやり遂げたいと思います。

乞うご期待🌾

https://junkanforestrice.mystrikingly.com/


サポート、コメント、リアクションその他様々な形の応援は、次の世代に豊かな生態系とコミュニティを遺す種々の活動に役立てていきたいと思います🌱