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【短編小説】コロナ禍の恋は難しい

2020年、全世界でコロナウイルス感染症が蔓延した。
海外ではロックダウンが行われ、街から人が消えた。
それは日本でも例外ではなく、ロックダウンこそされなかったものの、おうち時間だの、不要不急の外出は控えるだの言われるようになり、街は閑散とした状態となった。

コロナは世界中の人たちに大きな影響を与え、経済を始めとしたいろんなものに大打撃を与えた。
そしてその影響は、私の生活も例外なくやってきた。

「大変申し訳ございませんが、コロナウイルス感染症対策のためイベントを中止することとなりました…っと」

ベッドに寝転がりながらメールに書かれた文章をつぶやいた。
ようやく気合を入れて始めた婚活ができる状態ではなくなったのだ。

婚活を始めようと思ったのは、大学の友達がSNSで結婚報告をしたことがきっかけだった。
その投稿には「ギリギリ20代で結婚できました♡」とあり、その文が目に入ったとき今まで感じたことがなかった焦りを感じた。
そのとき私は28歳で、30代までそんなに時間がないことに初めて気づいたのだ。

彼氏もおらず、特に出会いもなく、どうすればいいのか呆然とした。
とりあえずマッチングアプリに登録をしてみたものの、なんとなく勇気が出なくて毎日アプリを開いてはスクロールをするだけの日々が続いた。

ようやく本腰を入れようと思ったのは、昔なじみの友達も婚活をしていると聞いたことだった。

「あぁ、あたしも婚活してるよー?あれだったら一緒に街コンでも行く?」
「え!いくいく!」

ようやくこうして私は婚活に足を踏み入れることができた。
これが、29歳まで1ヵ月を切った2月のことだった。

そして、3月。いよいよコロナの足音が聞こえてきて、じわじわとその足音が大きくなってきたころ、私の近くにもやってきて、こうしてようやく踏み入れた出会いの場はなくなっていった。

影響は婚活だけでなく、仕事にも影響を及ぼした。
緊急事態宣言が発出された頃には、原則テレワークとのお達しがでた。

しかし、私は運悪く経理部でどうしても出社しないとできない仕事が一定数あった。
なので、週1回は出社することになり、1人寂しくオフィスで仕事をする羽目になった。

みんながテレワークの中、なにが楽しくて出社と思っていたが、そんな中でも楽しみがあった。
なんなら出社ありがとう、なんて思っていた。

一人きりの経理部のドアが開いた。

「お疲れ様です、今大丈夫ですか?」

その声に顔をあげる。
入口に立ち、書類を持った高円さんの姿が目に映った。

「高円さん、お疲れ様です」

思わずあがりそうになった口角を下げ、私は席から立ち上がった。

「いつも多くて申し訳ないですが、経費書類です」
「いえいえ、いつも正確に作成いただいていて助かっています」

そう言って、私は高円さんから書類を受け取った。

「電車、ちょっとずつ人増えてきましたよね」
「本当ですよね。テレビであれだけ密を避けましょうなんて言ってるに密だらけ」
「ほんとそれですよね」

クスッと笑い、目尻が優しく下がった高円さんにキュンと胸が鳴る。
ドキドキとなる心臓に余計に緊張が高まった。

そう、私がめんどくさい出社の中で密かに楽しみにしているのが、この時間だった。

高円さんは、この4月に本社に異動してきた営業社員で、4月の始め不安そうな顔をしながらこの経理部にやってきた。

「すみません、経費の書類を出したいんですが…」

その不安そうな丸々とした目に私は思わず吸い込まれそうになった。
数秒目が合ったあと、私はハッとして立ち上がった。

「経費書類ですね、ありがとうございます」

そうしたいただいた経費書類は丁寧に作成されているのがわかって、私の中で印象が上がった。

「すみません。僕、この4月に異動してきたばっかりであまり勝手がわかっていなくて」
「そうなんですね。異動してすぐこれじゃしんどいですよね」

思わず私はちらりと後ろを見た。
2人以外誰もいないガランとしたオフィスは、やっぱりちょっと見慣れなかった。

「たぶん不手際あると思うので、そのときは遠慮なく言ってください」
「わかりました!わからないことあれば遠慮なく言ってくださいね」

この日以来、高円さんが経費書類を持ってきてくれたときは、少し雑談をする関係になった。

高円さんが営業部に帰ったあと、私は1人経費書類を見つめた。
相も変わらず丁寧に作成された書類は、今日もとても美しかった。

「はぁ、いいなぁ。いいなぁ…」

オフィスに1人でいることをいいことに、遠慮なく独り言をつぶやく。
あの優しい目を思い出して、またこっそりにやけた。

意外と出会いはすぐそこにあるんじゃん、と削がれていた婚活のやる気が復活し始めていた。
それも婚活みたいな義務のようなものではなくて、いかにもな「恋」の予感で、久々に私の胸はときめいていた。

6月に入った頃、出社での仕事も少しずつ解禁されていき、出社の日も週1から週2に増えた。
オフィスにも人が戻ってきて、少しだけ活気も戻ってきた。

しかし、それは高円さんとの2人きりの時間がなくなることも意味していた。
経理部にも毎日2人以上はいることになったので、高円さんが来てくれても必ずしも私が対応できるわけではなかった。

でも、経理部に来た高円さんは私に会釈をしてくれて、そのたびに私も笑顔になってペコリと頭を下げた。
その度に、少し細くなる目に胸が温かくなった。

コロナが収まったら、一緒にデートとかできたらいいな、なんてドキドキと想像していた。
そう、ここまでは思っていた。
ここまでは。

その日、私は経費書類を持って廊下を歩いていた。
要修正の書類を営業部に差し戻すためだった。
その書類の中に高円さんの書類はなかったが、営業部に行けば高円さんに会えるかなと営業部に向かう足取りはルンルンとしていた。

書類を握りしめ、休憩室がある角を曲がる。
あともう少しで営業部、というところで声が聞こえた。

「田中さん?」

その私を呼ぶ声はいつもときめきをくれる声だった。
足を止め、その声の方へ振りむく。
はい、という声はしっかりと出したつもりだったが、実際は覇気のないものとなっていた。

「やっぱり田中さん、廊下で会うなんてめずらしいですね」

いつものように声をかけてくれたけど、私はいつものように返事ができなかった。
ぱちぱちと思わず凝視をしてしまった。

高円さんのはずなのに、高円さんじゃなかった。

「田中さん…?あ、マスク外してたんだった、すみません」

休憩室の椅子に座っていた高円さんは、マスクをつけて立ち上がった。
マスクをつけた高円さんは、私がよく知っている高円さんだった。
だけど、私の心臓は今までと違う鳴り方をしていた。

「あ…、あの、高円さんのものではないのですが営業部の経費書類の差し戻し分をお届けしようと思って…」

なるべくいつものように喋ってみたが、いつもみたいに顔を見ることはできなかった。
ちらりと目線だけをあげると、そうなんですね、と笑った。

「それなら僕持っていきますよ。わざわざありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」

そのまま流れ作業のように私は書類を高円さんに手渡した。
高円さんは書類を手にすると、またいつものように優しい目をして笑った。

「いえ。こちらこそいつもありがとうございます」

その目に私の胸はもう鳴らなかった。

その後、私はどきまぎしたまま経理部に戻った。
デスクに戻り思わず大きなため息をついてしまい、隣の先輩に怪訝そうな目で見られた。

いや、そりゃ自分の中で勝手に作り上げていた私も悪いけど…

あまりにも違った高円さんの表情に、私の気持ちがどんどん冷めていったのがわかった。
そんなことで冷めてしまう自分に、とても悲しくなった。

あぁ、コロナ禍の恋って難しい。

また漏れたため息に、先輩が咳ばらいをした。

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