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日本作品のタイトルはどのように翻訳されるか

数年に1回、海外の映画の邦題が原題から変更されて、内容を適切に表現できていないと、映画ファンから批判されている。

近年で話題になったのは、

邦題:ゼロ・グラビティ
原題:Gravity

邦題:ドリーム
原題:Hidden Figures

あたりだろうか。

そのような中、ふと、逆に日本作品のタイトルは英語でどのように翻訳されているのだろうか、と興味がわいた。
特に長いタイトルや文章のようなタイトルの翻訳はどうなっているのだろうかは気になるところだ。

というわけで、変わったタイトルの多いライトノベル、海外で知名度のある作家の書籍、海外で評価の高い日本映画の3つについて英題がどのようになっているかを調べてみた。
なお、英語タイトルはWikipediaの英語ページを参考にしている。

〇ライトノベル

特徴的な題名が多いライトノベルはどのような英訳がされているだろうか。結果は、長いタイトルでもほとんど直訳であった。ライトノベル全般に言えることだが、海外でも日本文化に理解ある層が買っていると思われるので、長い直訳だったり、日本語そそままでも受け入れられる可能性がある。

ブギーポップは笑わない

Boogiepop and Others

ライトノベルのタイトルに否定形が多くなった要因といわれるヒット作。"Boogiepop dose not Smile"ではないらしい。
日本語の文庫本の表紙にすでに"Boogiepop and Others"と記載あったためそのまま英訳に使用した可能性がある。
『ブギーポップは笑わない』では、奇妙なヒーロー、ブギーポップとそれを取り巻く人々の群像劇で話が進行していくので、"Boogiepop and Others"も内容に沿っていて良い訳だ。

涼宮ハルヒの憂鬱

The Melancholy of Haruhi Suzumiya

ライトノベルの大ヒット作。これは直訳で翻訳されている。『ハリーポッターと賢者の石』のように英語タイトルは題名に主人公名が入ることが多い気がするので、直訳調でも英語圏で受け入れやすいのかもしれない。

俺の妹がこんなに可愛いわけがない

My Little Sister Can't Be This Cute (Oreimo)

日本のライトノベルのタイトルが長くなる火付け役になったといわれる作品。
Wikipediaではこれ以上ない直訳となっていた。しかし画像検索してみると、"Oreimo"表記のものしか出てこなかったため、海外未翻訳の可能性もある。

転生したらスライムだった件

That Time I Got Reincarnated as a Slime

転生モノの代表作も直訳調。「~だった件」というニュアンスもうまく汲み取られている気がする。

〇書籍

ライトノベルは日本文化に興味のある層をターゲットとしていたようなので、直訳調が多かった。では、海外でも知名度があり広く出版されている書籍ではどうだろうか。
結論から言うと、こちらでもタイトルはほぼ直訳のようだ。ただし、いくつかの作品では邦題から変わっているケースもある。

神の子どもたちはみな踊る

after the quake

村上春樹の作品タイトルはほぼ直訳で翻訳されている。唯一といってよい改題されたタイトルが上記の短編集『神の子どもたちはみな踊る』だ。ただし、この短編集の中に収録されている同名の短編「神の子どもたちはみな踊る」は"All God's Children Can Dance"と直訳のタイトルが付けられていた。
短編集『神の子どもたちはみな踊る』は、どの作品も阪神淡路大震災後の世界をテーマにした短編集なので、"after the quake"という英訳はこの短編集のテーマをちゃんと汲み取っているといえるだろう。そのためか、日本語の文庫版にの表紙にも"after the quake"と記載がある。
なお、村上春樹の中でもかなり長いタイトルを持つ長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』であっても"Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage”と直訳になっているので、村上春樹作品はよっぽどのことがない限り、翻訳による邦題からの改変はなさそうだ。

万延元年のフットボール

The Silent Cry

ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎の作品。今回調べた書籍、映画中で一番邦題とかけ離れた英訳タイトルが付けられていた。その他の大江作品はおおむね邦題が直訳されている。
本作品を読んだことがないのでなぜ"Silent Cry"というタイトルが付けられたのかは不明。ただ『万延元年』を訳しづらいのは確かだ。

人生がときめく片付けの魔法

The Life-Changing Magic of Tidying Up

片付け方の本で一世を風靡し、いまや世界でも人気となった「こんまり」こと近藤麻理恵の本。
ほぼ直訳。ゆいいつ「ときめく」という日本語が”Changing”に訳されている。この本のキーは片付けを"ときめくか、ときめかないか”で決めるという手法にあるのだが、それを単にChangingと訳してもニュアンスが伝わるのだろうか?
答えはきっとイエスだろう。伝わっていなかったら、世界のKonMariにはなってはいない。

〇映画

本題の映画にうつる。短い邦題は直訳が多いが、長い邦題には、書籍とは違って、英訳に際してタイトルが短くなるケースが多くなっていた。

千と千尋の神隠し

Spirited Away

ジブリの中でも海外評価が高い本作は「神隠し」の部分だけで英タイトルとなっている。
ジブリの作品は少し日本タイトルが長いためか、邦題の一部のみが英訳タイトルになるケースが多い。本作は「千と千尋」の部分が、漢字に意味を持たせているため訳が難しいという理由もありそうだが、『借りぐらしのアリエッティ』は"Arrietty"、『崖の上のポニョ』は”Ponyo”というように、ジブリ作品は「の」の前後どちらかのみが英語訳されていることが多い。

そして父になる

Like Father, Like Son

子供の取り違え事件を通じて、父親がどちらの子供の親であるべきかに葛藤する作品。
海外で評価が高った本作には意訳が入っている。「そして」という部分のニュアンスを伝えることが難しいためだろうか。
作品を通じて福山雅治演じる父親視点で話が進み。あまり息子側の視点は多くない中でもタイトルに"Son"も入る英語訳は興味深い。

万引き家族

Shoplifters

「家族」の部分は訳されていない。が、複数形なので、単なる「万引き犯」よりも「万引き家族」感は出ている。
日本では通常一人で行う「万引き」と「家族」を合わせたタイトルで人々を振り向かせるフックを重要視しているが、海外では映画の内容を直接説明しすぎるタイトルはつけられない傾向を感じる。

隠し砦の三悪人

The Hidden Fortress

黒沢作品の中でもっとも有名な作品『七人の侍』は"Seven Samurai"と侍も翻訳することなくそのままの直球訳となっている。その他の作品もおおむね直訳だが、この作品のみ「隠し砦」の部分だけの英タイトルになり、「三悪人」の部分がなくなっている。
ジブリでもそうだったが、日本語タイトルに頻出する「の」は、様々な意味を持つために単に"of"と訳せないのか、「の」を挟んだどちらかの単語を英語タイトルに持ってくることが多い印象がある。

その男、凶暴につき

Violent Cop

ビートたけし演じる粗暴な刑事が主人公なので、確かにタイトルに偽りはないのだが、邦題のほうが作品のイメージをより喚起させるように感じる。日本で「暴力刑事」というタイトルだったら、絶対に売れなかっただろう。
その他の北野映画はほとんど直訳されていたが、『3-4x 10月』は英語で"Boiling Point"に改題されていた。日本語でも何と読んでよいか分からないし致し方ないだろう。

〇まとめ

文学作品の場合はほどんどのケースで直訳で翻訳されていた。
一方で、映画の場合は長めのタイトルはできるだけ簡潔なタイトルに変更されるケースが多いようだ。
日本人の感覚からするとあまりに特徴のないタイトルの映画よりも、目についたときに興味を惹かれるタイトルのほうが客足が向きやすいだろうと考えるところだが、英語圏では抽象的なタイトルが好まれるようだ。この感覚はもしかしたらタイトルからあまり内容を推定できないようになっている日本の小説のタイトルのつけ方の感性に近いのかもしれない、と思った。


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