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イタリア文化論

おはようございます。
今日は大掃除の日ということで朝から早速洗濯機を回す。掃除する前にエアコンのフィルターを変えなければいけないので、3つとも外して埃を洗い流して乾かしながら念入りに掃除。とりあえず拭き掃除は後回し。

今日はちょっと話を変えて、クリスマス前に出張でいたイタリアに関して、メモ程度ながら考察をまとめたい。

カトリック文化圏としてイタリア

クリスマスで盛り上がる12月中旬をイタリアで過ごして(と言ってもほとんどホテルとショールームだけど)感じるのは、いわゆる日本人が思い描くどストレートなクリスマス。どこに行っても奇を衒わない、円錐形の緑のツリーに赤やゴールドのオーナメントがふんだんに(でも決して多すぎない)まさにいい感じに飾り付けられている。そして、ゴリゴリのクリスマスソングがそれと基本セットになっているものだから、否応なしにクリスマス気分を盛り上げてくれる。
もちろん、これはキリスト教国なので当たり前と言えば当たり前。イタリアだけではなく、キリスト教圏の国々では子供の頃から親に連れられて教会に行き、個人として初めて所属するコミュニティが教会という人も多いだろう。そして、学校でもキリスト教について学ぶ(日本でもキリスト教系の学校でキリスト誕生のストーリーをクリスマスの時期に子供達が演じるクリスマス会があったりする)。若い世代ではクリスチャンという人は減ってきているようだけど、そんなベースがあるからイエス・キリストの誕生を祝うキリスト教最大のビッグイベント、クリスマスは毎年そうしてきた様に12月には早くから祝福の準備を始めクリスマスイヴから当日にかけては家族揃ってお祝いする。
Natale con i tuoi, Pasqua con chi vuoi (クリスマスは家族と、復活祭は大切な人と共に)という諺?慣用句がある位イタリア人には当たり前の事なのだ。

クラシック、時々コンサバなイタリア

これだけ聞くと、いわゆるキリスト教圏の西洋諸国の典型的なクリスマスのように感じる方も多いだろう。しかし、僕が感じたのはあまりにクラシック的すぎるな、という点だった。もちろん、キリスト教の中でもより厳格なカトリックだからということもあるだろう。しかし、鶏と卵の話の話になるけれど、イタリア人は結果として極めてコンサバなのだ。こういえば、皆さんにも「意外感」を少し感じてもらえるかもしれない。
イタリア人がコンサバだという、クリスマス以外の例を見ていきたい。

例えばイタリアの代表的な文化のひとつ、パスタ。
日本でも人気のカルボナーラだが、ローマ発祥の郷土量料理のこのパスタには絶対にクリームは使わないだけでなくチーズは羊のチーズのペコリーノ・ロマーノでなければならず、ベーコンも本当は豚ほほ肉のベーコン、グアンチャーレでなければならない(代用される事の多いパンチェッタ ばら肉)。
すごいところは、それをほぼイタリア人全員が同じ認識でいてそれ以外は違うものなり紛い物と認識するところだ。(イタリアではチーズも生ハムもバルサミコもスイーツも各地でそれぞれ設けられた厳密な条件をクリアしたもののみが初めて本物として認められる。)
大阪人と広島人がお好み焼きを巡ってそれぞれの立ち位置を主張するようなことをローマ人ではなくともイタリア人として、イタリア人が誇る食文化を厳格に認めて守っているのだ。(だから派手さで勝負するアメリカ人シェフがカルボナーラ始めイタリアの伝統的なパスタを勝手にアレンジしてテレビで案内したりすると「侮辱だ!」と怒るイタリア人も多い。)
観光客が多いレストランで生クリームを使ったカルボナーラを出していて、それをあくまで「フェイク・カルボナーラ」として掲載していたのも象徴的だ(そこまでして作らなくていいのにね、と思いつつ)。
これはカルボナーラだけでなく、ペペロンチーノ、アラビアータ、ポモドーロ、ボロネーゼ、ボンゴレ・ビアンコ、ひいてはラビオリまで、どの定番メニューにおいても同様なのだ。

そして、イタリアのカフェと言えば、エスプレッソ。
バールで彼らが持っている選択肢はエスプレッソ(シングル)、ダブル、エスプレッソを1.5倍のスチームミルクで割ったマキアートに、2倍のミルクで割ったカプチーノまでがメイン。
ディナー後ともなれば、レストランではマキアートまでしかメニューに無い事もザラで、日本でやる様にアイス・ラテを頼むと苦虫を噛む様な表情になるか、そもそもコンセプトが理解出来ない。彼らはエスプレッソを楽しむ事がスタイルで、たくさんのミルクで割って飲む事もそもそもアイスで飲む事がない上に1ミリの興味もなく、おそらく軽蔑すらしていると思う。(敵意はなく事実として)
2018年秋にスターバックスが初上陸でドゥオモの近くに満を持してリザーブ・ロースタリーを開いたのに、今はツーリストメインになっているというのも頷ける。(これにはカフェ文化だけの話でなくて、アメリカンカルチャーへの冷ややかなスタンスもあるだろうけど)

イタリア人のコンサバさを示す、食事に関する面白い逸話をもう一つ。
2015年にミラノで行われた万博の際のこと。各国のブースでは各国の文化や技術が紹介されて、一箇所でまるで何カ国も旅した様に楽しめる万博。日本に限らず、各国の郷土料理を楽しみに訪れる方も多い。そんな中万博を目掛けてミラノを訪れたイタリア人たちはサンドイッチなど普段食べ慣れたランチボックスを用意して、各国の料理ブースは大量の食事が余ってしまったとか。

また食以外で言えば、まさに伝統行事のクリスマス。
ミラノのクリスマスと言えば、年間を通して人気のガレリアの十字の中心に飾られるクリスマスツリー。そこに今年2023年のクリスマスには、デザイナーが変わりガレリアから近い路面店が12月にリニューアルオープンしたGucciが店舗のディスプレーと同じテーマのモニュメント的なツリーを建てたのだ。これに対して観光客の僕もちょっと「え」と思ったけど、イタリア国内のSNSでは「クラシックなクリスマスを返せ」ともれなく炎上したらしい。

他にもクラシックなイタリア人の例を挙げればきりがない。
音楽でも、クリスマスのマライアやワムはもちろん、マイケル・ジャクソンやボン・ジョヴィなど日本で言うところの昭和時代の音楽が今なお街に溢れている。
アズーリの名で親しまれる代表のカルチョ(サッカーのイタリア語)スタイルと言えば、カテナチオ(鍵をかけるの意)で鉄壁のディフェンスからファンタジスタと呼ばれる芸術的な点取り屋が勝利を決め切るスタイルがその代名詞だった。しかし、フィールドプレヤー全員がどれだけ多くのポジションをこなせ、走れるかが求められスタイルが全世界で主流になる昨今、厳しいヨーロッパ予選で苦戦を強いられ、2018年のロシア、2022年のカタール共に予選敗退でW杯出場を逃している。

イタリア人は、神様はじめそれぞれにあるべき姿、本物を認めてそれを守り続けることにひとつの美学を見ているように思える。
明日はこのイタリアにおける「コンサバ」に感じる違和感に関して考えてみたい。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、まずは良い年末を。

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