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GWの京都3日目: 鞍馬-貴船、京セラ美術館

おはようございます。
今日は雲間から零れる朝陽が心地よい適度な晴れ、街歩きにはちょうど良い一日になりそうだ。

京都のモーニング

昨日は朝一から京都のカフェでモーニングをいただいてから、この後の山登りに備える。朝9時からのオープンに合わせてお邪魔したのはLa Madragueさん。エッグサンドイッチが有名とのことで、普段食べないくせに9時直前に伺うと老夫婦が一組並ばれている。オープンと共に入ると「ご予約されますか?」と聞かれてびっくりしたけど予約がなくてもすんなりに入れてもらえた。お店の雰囲気は本気レトロな喫茶店といった感じで、スタッフ2名の方がそれぞれホールとキッチンを担当されていて、てきぱきと対応をしてくださる。入店直後にオーダーしたアイスラテ、その後少ししてからエッグサンドイッチが運ばれてくる。驚くのはその大きさ、リアルに皆さんのご想像の倍はある。男性でもようやく片手で掴める程の厚みがあり、どうやって食べるのか老夫婦を見やると一つをタマゴを真ん中で半分に切って食べているようなので真似ていただく。

綺麗なベルベットソファ、色とアームレストで右に座る
ボリュームとバリエーション共に満足度が高い

タマゴはとてもなめらかでタマゴ本来の味わいを味わうタイプでパンにはうっすらソース?が塗ってある。ボリュームだけでなく、スープからサラダに加えてキャロットラペと生ハム、甘酸っぱいシロップがかかったヨーグルトまで味のレパートリーも豊富で、ヨーグルトは食後のデザートととしていただく。
名古屋とは違った意味で、カフェやパン屋さんが充実の京都では、朝食は掘り下げれば掘り下げるほど楽しめるはず。大満足の朝食をいただいてそう確信を得ながら、予定を調整してくれた友達と烏丸御池で落ち合って一路北端鞍馬寺へ向かう。

鞍馬山へ

鞍馬山へは烏丸線で終点、国際会館まで北上して、そこからは市バスで登り口の鞍馬まで大体1時間。東京からなら高野山に行く感じに近いけど
さほど遠さを感じないのは、街にいる時から(盆地で)山が見えているからかも。
昨日までとは打って変わって快晴で、青々としている文字通りの青空に、新緑の若々しい緑色が映えて目に心地良い。気候は山の中腹で既にひんやりしているが空気が澄んでいて、気持ち良さしかない。

鞍馬寺

昨日までで既に疲労の蓄積があるので、ケーブルカーに乗りショートカットするもまだまだ階段は続く。地元の幼稚園の子供達と離しては追いつかれを繰り返して山頂に到着。急な階段が続いていたところから突然開かれた場所に出るだけで開放感がかなりあるが、金剛床と呼ばれるここはかなり広い(境内前の広間の真ん中には星曼荼羅がある)。そして振り返って東側に望めば、はるか先に比叡山も山筋もくっきり見える。山間のため新芽の芽吹きがピークなのか、山肌は緑のグラデーションで特にフレッシュな黄緑も目立つ。そして境内に目をやれば、八重桜がまだまだ花を咲かせている。

萌える新緑
萌える苔に、弾ける喜声
春を繋ぎ止める八重桜

恭しく本殿に一礼してから中に入って驚くのは、参拝料がないこと。こんな立派で且つ山の上である事を考えればかなり維持するのも大変なのではと考えるのは邪推なのかもしれない。クリスチャンなのでいつもお寺に行っても参拝はせず一歩後ろからお伺いしている。しかし今日は参拝料代わりのお賽銭を入れていつもよりより近くで中を覗くと、何層もの金具飾りが繋がれたレイヤーがありその奥にご本尊が鎮座している。このレイヤーは羅網と呼ばれ、動植物が網のように相互に関係し合い複雑な生態系を形成している鞍馬山を象徴して表す際にも使われる言葉でもある。それを踏まえて考えると、この本殿はその幾重にも重なる羅網の奥にコアであるご本尊を祀る形を具現化した、鞍馬山の縮図と言えるだろう。

これだけでも充分に霊的な力を強く感じられるものだったけれど、圧巻だったのはその後、宝殿と位置付けられている地下だった。昨晩夕食を食べた友達が「鞍馬山に行くなら絶対見ておけ」と教えてくれた場所は、実際現地では一切の案内が出ていない。お寺の方に聞いて本堂の1番奥に回り込むと地下に降りていく階段がある。その階段を降りて地下に着くと、羅網が数枚暖簾の様に重なっているなか抜けていく。そこはもう外の光がほぼ入らず中を窺い知る為の光は行燈と蝋燭の灯りだけという暗がりの中、壁という壁に清浄髪(本人の代わりに切られて奉納された誰かの少量の髪)を奉納する壺が所狭しと並んでいる。その様はいつも教会墓地の地下で見る、骨壷が並んでいる様を彷彿とさせて(変な話に思うだろうけど笑)落ち着く。しかし、中央の祈祷場?の前に立つと圧倒的な畏怖の念を禁じ得ないほどの圧を感じる。圧倒されるがままに線香を立ててご挨拶を。そして目が慣れてきて、目の前の札に書かれている言葉に目を奪われる。

祈願
小我・凡我を脱却して
宇宙の大霊・大光明・大活動体にまします尊天に生き
真我にめざめ
己の分身である「清浄髪現世祈願」のために
銘香一火編に注ぐを、薫じたてまつる

『小さな自我などというものから抜け出し、真摯に宇宙と繋がって生きることで初めて真の自分に出会える』という(僕が理解した)この文言の説得力が、その場の空気感と相まって腹落ちの次のレベルで頭と心で理解できる感覚を覚える。肌身で直観的に感じる畏怖なのだろう。
しばらく立ち尽くした後、ようやく動けて入り口とは反対側に抜けようとすると、それまで長い一本の廊下の様に思えていた通路の左に、棚が並ぶ奥に更に伸びる別の通路がある事に気が付く。吸い込まれる様にその通路の奥に進むと、祈祷場の裏に金網に入れられて3体の像が立っている。そもそもこんな近くで仏像を見たことがないという距離で、鞍馬寺の尊天を為す千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊の像を見て感じるその圧はより一層強く感じられる(尊天はこの御三方でひとつ、キリスト教のように三位一体とされている)。御三方とはこちら↓

月輪の精霊―愛=千手観世音菩薩
太陽の精霊―光=毘沙門天王
大地の霊王―力=護法魔王尊

祈祷場の前で感じた畏怖の念はここから来ていたのだと納得。最後はもうクラクラする位脱力感を感じながら地上に戻る。羅網をくぐり、結界から抜け、現世に戻った気分がした。

本殿を出て春の日差しに照らされると、暗がりで精神に偏り切った状態から徐々に体が目覚めて現実に戻ってくる。解凍されて身体の感覚を取り戻して行くイメージだ。
畏怖と感動と満足に満たされて、貴船側に向かう山道に入る。

鞍馬山

貴船への山道は登ったり降ったりしながら山間を抜けていく。その道すがら、太く立派な木々が途中で折れたり根本から倒れたりしていて、それによって出来た隙間の日向から小さな芽や木が育っているのをよく見かける。
木の根道も要は木が大きく成長する長い過程で、少しずつ地面が雨で削られて根が浮き出てきた結果だろう。こうやってこの森は長い時間をかけて森としてあり続け、ここに住む命を繋いでいるのだろうなと実感させられる。

倒木とこれからの森を担う若木
違う木の種が割れ目から芽を出している
地を這って歩き出しそうなくらい力強い木の根
新緑とマイナスイオンと木漏れ日、癒ししかない

そうこうしながら降り続けてようやく隣の鞍部、貴船へと降り立った。

貴船町

貴船町は正しくは鞍馬貴船町といい、貴船川に寄り添う様な形で形成されている。おそらく長い歴史の中で貴船川によって侵食されたエリアに天皇ゆかりの貴船神社やその関連施設が建てられ、そこに繋がる道も整備されたのだろうと思われる。貴船と言えば、この貴船川にかかる川床が有名で(鴨川の川床は水路の上にあるので一部の京都人はあれを川床と認めない、というのもなんとも京都らしい)、もうこの時期から既にお店のある横の川はほぼ川床で覆われている状態。
数ある川床の中でも、友達が調べてくれた奥宮の手前にある兵衛さんの川床は、綺麗で足を川に浸けることもでき、景色も良い。今年の、というか人生初の川床を夏を待たずに満喫して1時間ほどまったりゆっくり山登りの疲れを癒す。

すぐ小さな段差があって水の音が耳に心地良い
男性陣が女性から支持を受けて撮影会。 
水は冷たい。
The 川床 with a kilono lady
北に登っても、苔と新緑全開

そこから、奥宮に臨み相生の杉含めて木々やシダ、苔など豊かな緑に包まれて進む。

ほぼ自然に埋もれている、奥宮の手水舎
シダによる太陽礼賛
山道に比べて歩きやすく、気持ち良さしかない

奥宮は拍子抜けするほど小さくシンプルな建物で、それが逆に凄みとして感じられる。
そこから降って貴船神社本宮へ。ここまで来ると鞍馬寺と奥宮でもう胸がいっぱいで、参道に連なる灯籠も「そういったスタイルなんですね」という感じになってしまった(それだけ前の2つが凄かったということですよ)。

京セラ美術館

この後、叡電とバス(市バス5号)を乗り継いで市内ど真ん中、京セラ美術館へ。
これは複数の友達が村上隆のもののけとKyoto Graffieがとても良かったとお勧めしてくれたから。
村上さんはアートをビジネスとして成り立たせている、言わずと知れた稀代のアーティストなのだけど、僕は昔から余り興味がなくてスルーしていた。そんな中の今回で観てみたけれど、やはり絵画はしっかり来なかった。京都に纏わる京都四神とか入り口の阿吽の金剛像もコンセプトは面白かったけど、興奮するという程ではなくて。恐らく村上さんが放つ刺激を受け止める受容体がないんだろう。

現代の阿、
現代の吽、虎のパンツ強そう

Kyoto Grapgieでも、同様に全く刺さらない方がある一方で、残りの2人の作品は見ていてザクザク刺さったので、これはもう単純に好みの差なんでしょうね、と。
特に自分は、写真に対して場面場面を美しく切り取るメディアとしての役割を求めている事に気付く。写真で非現実の世界を表現されるのはなぜか好みではなく、それは絵でやって欲しい、と思ってしまう(しかも自分が好きなテイストで)。身勝手ながら、自分の好みをいろんなアーティストの作品を一気に見ることで、それがわかったのは良い気付きだった。

マルチカラーのトランク、何だか懐かしい

その後河原町に渡ってたまたま見つけた棕櫚やたわしを扱う内藤商店さんで、家の鉄鍋を洗うたわしを物色。店の奥に入ると、歴史あるお店に似つかわしくないと言ったら失礼だけど、それ程若いモッズな青年がとても丁寧かつテキパキと製品に関して接客しているのが聞こえてくる。たわし同様に買い替えしようと思っていたバスマットに関して伺ってみると、藁みたいな素材を編んだバスマットは京都府内の銭湯でも使われていて、耐久性にとても優れていること、そして使う際の注意点とメンテナンス方法もこと細かに教えてくれる。こんなに気持ちの良い接客を受けたのはいつ振りだろうと思う程完璧な接客で迷いなくバスマットを購入させていただいた。
その後もはやマイパン屋さんとなった丸太町のフリアンディーズさんで、半生ラスクをお土産に買って、東京では普段食べないくせに京都に来たら食べる癖がついたDemiさんのタンシチューハンバーグをいただいて3日目を無事に終える。

皆様も普段と違う場所に行ったり普段しないことをして、リフレッシュしながらGolden Weekをお過ごしください。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良いGolden Weekを。

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