どんなにつらい出来事があろうと、 涙を流すことも 人を責めることも いつだって笑顔で我慢して生きてきた。 私が我慢すれば、いつかきっと幸せになれると信じて頑張った。 でも、それは私の《本気の勘違い》だった。 私が誰かのために頑張れば頑張るほど、 私は私の心を抑え込み、 辛いって言いたくても「我慢しろ!」 泣きたくても「泣くな」 ある時は 私が我慢すれば母を安心させてあげられるとか、 またある時は 夫の顔色を伺い、言いたいことを我慢させたり、 自分の心を蔑ろにして虐め
魂をburstさせたこと、ある? 私はある。 何も気にせずに‥周りを気にせずに自分のハートに集中して感情の全てを燃やして解き放ち昇華させたこと。 悔しかった、悲しかった、辛かった‥それをむき出しにして生きる人は少ない。 受けた感情をありのままに感じて、心の叫びをガツンと出す‥バーストさせるから自分を受け入れて本気で生きれるのだ。 感情をなんとなく抑えているのを昇華したつもりになって、なんとなく生きてはいないか? 本当は悔しかったのに 本当は悲しかったの
自分を愛おしむキッカケにネイルは最適。 性格や顔を愛おしく感じることに対するハードルよりも、ずっと気軽に自分の一部に対して愛と美を感じることができる。 望む感情を味わうキッカケが気軽でも効果は同じだ。 《そんな気軽でいいの?》 そんなふうに考えて、せっかくのキッカケ、チャンスを自ら打ち消してしまっているのは惜しいと思わない? 自分の目で見て自分にある美を認識する効果 自分の内側から湧いてくる喜びからの効果 これらを簡単に実感できるのがネイルなのだ。 だか
人生には余白があっていい。 人生の中では、一見無駄のような時間が大切。 その時間での経験、体験、体感‥が気張ることなく弛むから、心の内側で弦を弾き《本音》を奏でるんだから。 私は、頑張り癖が強い。 生まれた環境からの影響は、自分が思っているよりもずっと強い。 それが今となっては自分の好きな部分を育むチカラになっているから不思議なものだけれど、心を緩めることが苦手だと思う。だから、本音が深層に隠れてしまいがちだった‥無意識だけどね。 私の頑張り癖も、ある側面に
過去のやり直し、必要ですか? 炙り出しなどと表現して、過去を向き合わなければならないことのように捉えている人の話が耳に入る。 私は、過去のやり直し、過去の自分を癒すことが必須とは考えない。 私達は、願いの大きさに関わらず願望や目標、希望‥心に湧き上がることを目指して生きている。 そして、心に浮かんだ瞬間から、そこを目指す私に必要なヒントや、情報、課題が未来から流れてくる。 川をイメージしてみよう。 自分のいるところに目掛けて様々なことが流れてくる。
昨日、奥平亜美衣さん主催のランチ会へ。 美味しいイタリアンをいただきながらラフに参加者ひとりひとりとの丁寧な対話を、星読みをふまえてしていただいた。 想像していたイメージとは良い意味で違った。 本の中にある言葉から沢山受け取っていたエネルギーを、目の前で直接浴びている。それだけでも想像以上の喜びだった。 空気感は同席した方々のカラーによって毎回変化するのだろうが、亜美衣さんは何時も変わらないのだろう。だって、フラットにフランクに存在しているイメージだったから。
今日は東京でランチ会だったんだけれど、新幹線の遅延でランチ会にも遅刻した。 そしたら、なんと!私の席が主催者の方の真正面の特等席だった。 びっくり!なんてありがたい! もしも遅刻しなかったら、多分私は遠慮して1番端っこの席から主催者さんの横顔を見ながらお食事していただろう。
少し前のこと。 参加していたコミュニティで、朝活ライティングというものがあり、参加すると一日のタイムスケジュールがかなり有意義になっていたので大切にしていた。 50分間集中して作業、最後に数人ずつに分かれて近況や、考えていることを自由に話せる気楽な場だった。 ある日いつものように参加して会話した方から、私の発言に対しての指摘をもらった。その指摘自体に私は疑問があったし、はっきりいうとムカついた。 ムカつくくらい疑問だったのに、指摘した方の自信と、以前のキャリ
《手放して空いたスペースに望むものが流れ込んでくる》 このように言われているけれど、言葉通りの解釈をしたつもりがズレていることって多分にある。 イヤ 嫌い ムカつく 許せない 欲しくない このような感情を味わった時に、ノートに気持ちを書いて自分の好みに寄り添っていくと、何らかの思考の転換、修正、整頓ができる。 上記の感情から離れる。 自分の感情を平和にすること🟰手放し、なのだ。 手放しとは、感じているものを捨てることではなくて、心を平安にするた
感じていますか? 感じることをしていますか? 人生の時間をタスク処理のように 〜しなくてはならない、などと言って片付けのように扱っていない? あなたは、それをしている時に何を思う?何か感じてる? そもそも《心》を動かしているのだろうか? たとえば、忙殺されるような思いであったなら、それを打ち消すことなく《私は苦しい》と感じてしまえる方が健康的だ。 今どう感じているのか、さらにそれがどうなったらうれしいのか?心の声を掬い上げなければ救えない。 でも大抵は、自分
実家の木の上に鳩。 巣を作り、凛とした顔で鎮座している。 こんなに近くでカメラを向けても、凛とした顔を貫く姿に強い意志を感じた。 検索してみたら、 珍しいようで、幸運のシンボルとのこと。 なんだかわからないけれど、とても珍しくて良いエネルギーを感じたのでお裾分け。
今、望みの現象化のエビデンスを増やすため、自分を使って実験中。
昨年望む現実を自分で創るための講座で、私を信じて自分ととことん向き合ってきた子が、講座を終えて半年以上経過した今も私のことをInstagramで呟いて感謝してくれている。 涙が出るほど感動した。 そして、このメソッドはやっぱり一生ものだと確信。 ああ、ワクワクが止まらない^ ^
◯◯やるだけで~ ◯◯身に付けるだけで~ ◯◯置くだけで~ 的なことは基本的にない。 よく本のタイトルにあるなあと感じて、ふと書きたくなったので呟いてみる。 キャッチーな言葉は瞬発的に人の興味を引くと思うけれど、実際に興味を持った人の心に変化や刺激、効果‥‥‥エモーショナルな感覚を巻き起こすものは、体感や体験を伴う《理解》でしかない。 だから、自分の今をどう感じて、何を選ぶか? 自分の感覚が好みなら、それを愉しむことがすでに豊かさだと気付けるよね? 好みでなけれ
《結局放ったものが現実化しているんだ》 よく「手放しましょう」「手放せば新しいものが入ってくる」などという言葉を耳にする。 それはそのとおりなのだけれど、実際それを腑に落としてできているケースはどの程度なのだろうか? 《手放せば良きものが入ってくる》 何かが欲しい時、願いを叶えたいとき…… ・手放さなくちゃ入ってこない、やらなきゃ ・手放さなきゃ叶わない、でも怖い このような思考になっていることはない? その場合《手に入らないし、叶わない》 ~しなければなら
《自分を甘やかす》 きびしくしつけず、わがままにさせておく 意味を調べるとこのように記されている。 人は、育つ過程において ・時に厳しいしつけを必要だとされていたし ・ワガママはいけないとされてきた だから、《自分を甘やかす》などという言葉をみるといけないことをするような気がして、かえってビクビクしてしまう人もいるだろう。 現在は風の時代というらしい。 たしかに自由度高い働き方をする人が増えたり、心を解放的に広げていく人が多い気がする。 私自身も、このよう