胸に手を当てて聞いてみろ
感じていますか?
感じることをしていますか?
人生の時間をタスク処理のように
〜しなくてはならない、などと言って片付けのように扱っていない?
あなたは、それをしている時に何を思う?何か感じてる?
そもそも《心》を動かしているのだろうか?
たとえば、忙殺されるような思いであったなら、それを打ち消すことなく《私は苦しい》と感じてしまえる方が健康的だ。
今どう感じているのか、さらにそれがどうなったらうれしいのか?心の声を掬い上げなければ救えない。
でも大抵は、自分の気持ちを感じてしまうと心がポキンと折れてしまいそうで怖いから感じることを自分に許可出来ない、そんなふうに自分を虐めてしまうんだ。
以前の私も、もれなくそうだった。
頑張り過ぎながらひた走って創造していく未来は、同じように頑張り続けなければならない現実になると気付かずに‥
私は、病気という強制終了にて降参できたことはラッキーだったと思っている。あそこでストップせずに進む未来など、今は想像もしたくない。
もしも、強制終了をラッキーだと捉えずに《病気になって大変な経験》だと捉えていたなら、私の今はない。
今とは別のルートを歩んでいるはずだ。
だから、一つ強く伝えたいこと‥
私達が体験する瞬間全てに《選択肢》が与えられていて、それをギフトと捉えるか、災いと捉えるかを自由に選んでいるという事実。
私達は、常に与えられ続ける選択を前に《私はどうしたい?》と問う時、感情《心》だけでなくあなた自身を救っている。
自分を救えるのも
自分を幸せにするのも、
自分を不幸にしてしまうのも‥
自分なのだ。
感じているのを受けとめるのなら最低限不幸に向かう道への選択肢は消える。
だから、昔からよくある《胸に手を当てて聞いてみろ》という言葉って、無意識の自虐癖に気付くためのメッセージだったんだな、と納得した。
あらためて聞くね。
あなたは、感じていますか?
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