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私がエッセイを書き始めようと思った理由

「人が持つ痛みや悲しみ・曖昧さなど、心の機微をことばで表現する活動をしています。」

久しぶりにSNSのプロフィールを更新した。

厳密にいうと、これから活動をしていきます、という予告であり宣言なのだけど。

先取りして自己紹介してしまうと、それに合わせよう合わせようと頭や手が動くから、不思議ですよね。



小さなことは気にしないで突き進む、キラキラっとしたポジティブ思考に憧れたし、人間誰しもポジティブであらねばと思っていた時期も長かった。紆余曲折を経て、私もポジティブ派に仲間入りできたよね、とも思っている。

そう、仕事のストレスが限度を越えて適応障害になった頃の自分と比べてみると、確かに心持ちは大きく変わった。失敗は成功に近づく経験値だ、とか。やってみなきゃわからない、とか。同意を込めて自然に首を縦に振れる。


でも一方で。

あの週末の天気のいい昼下がり、生パスタ屋さんで口をついて出た絶望も、私を構成する細胞のひとつなんだよね。


「いいことがあってもどうせその次には悪いことがやってくる。それなら、いいことなんてない方がいいのに。」

by 24歳の私。



前向きでまっすぐでさわやかで、まるで洗い立てのパリッとした白いブラウスのような、光を生きる人間になりたかった。

SNSでは陽の部分を意識して発信していたし、笑顔とノリをモットーに飲み会に参加していたから、私が光側の人間のように映っている人もいるかもしれない。(そしてそれはとっても光栄なことで、シンプルに嬉しくもある。)

でも、光があるところに影はあるわけで、そのコントラストこそが「今の私」なんだよなぁってことに愛着を感じるようになってきたのが、ここ最近のこと。


見て見ぬふりを続けてきた、悲しさ。

隠そうとしている、痛み。

いまだに昇華できない、切なさ。

誰にも言えず誰にも頼れず抱えていた、苦しみ。


ネガティブな気持ちや劣等感や葛藤が絡み合っている影の部分も、受け取って咀嚼してエネルギーにしたい。それを味わう過程を言葉にかえて、文章で表現したい。

不器用で気にしいで、周りの目を気にして色んなことを感じて考えてしまう繊細で臆病な私だから、書き残すべき感性があるんじゃないか。

勝手に使命感みたいなものすら感じてます。


だから、プロフィール欄にこう書いた。

「人が持つ痛みや悲しみ・曖昧さなど、心の機微をことばで表現する活動をしています。」

(あくまで暫定。活動が具体化したら、自己紹介はきっとまた上書きされるので。)


いじめられた経験とか、天職迷子で転職を繰り返したこととか、フリーランスになったあとに感じた強烈な劣等感の話とか、内向型の自分が嫌いだったとか、これまですでに発信してきた影エピソードもある。でもそれは輝くアフターの姿を際立たせるためのビフォーとしての役割が大きかったというか。

▼参考:私の自己紹介記事

https://naikougata.jp/naikougata-story1



でもこれから書き方をちょっと変える。無理にポジティブに着地させようとしないし、結論や教訓で締めくくらなくていいってことにする。

まだ言葉にしていない経験もあるし、まだ言葉にできていない感情もたっくさんある。

あなたが見て見ぬふりをしている悲しみや、迎合することに必死で行き場もなく押さえ込んでいる苦しさや違和感を、私の言葉で緩められたなら。

誰だって大なり小なり持っている影と私のそれが交差して、誰かの心の支えや何かのきっかけになれたらいいなと思う。

書くことは、私自身を受け入れる空間。書くことは、私のようなあなたへの祈り。



と、ここまで書いて気づいたけど、ちょっと斜に構えている人や闇を感じる人がわりと好きだったりする。オードリーの若林さんとか。本やテレビを見て「そうだよね、私もそう思ってていいんだよね。」って、なんか安心する。あんな存在に、私もなれるかな。


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