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記憶の列車

「人間は、経験を記憶するのではなく、記憶を経験しているのではないだろうか」通勤列車に揺られながら、ふとそんなことを考えた。

私たちは「意識の列車」に乗っていて、前に進んでいると思い込んでいるのではないだろうか。記憶を後ろに残しながら意識を前に進める。それを「生きること」だと思っている。

でも本当にそうだろうか?私が乗っているのは本当に「意識の列車」なのだろうか。  

私たちは、知ってることに従ってしか進めない。これからどこに行こうとしているのか、そこで何をするか、知っていることの通りにしか進めない。何時何分、どこの駅、どの列車。私の足は知っているそのことに向かって、今日も進んでいる。知らない駅へは永遠に行くことが出来ないように、知らないことは最初から、もはやできもしないのだ。
私たちはだから、経験を記憶するというよりも、「記憶を経験している」のではないだろうか。

私たちが乗っているのは「意識の列車」ではなく「記憶の列車」なのではないか。後ろへ後ろへと外に流れる景色とは、意識の方ではないだろうか。




「記憶の列車が、意識という景色の中を前に進んでいる」

そう思った時、車窓の景色が何故だかいつもとは違うものように映り始めた。





誰かと目が合う。意識の風景の中で、誰かと私の目が合う。その瞬間、私の記憶が喋り出す。何かを思い出しながら、同時に、誰かに何かを思い出させようとしながら。例えば、誰かの記憶の目と、私の記憶の目を合わせて深く深く語り合うとき、時間すら意識の中からかき消されている。夜と朝の境界線を空の上にくっきりと指し示せる人は居るだろうか。ここからは私、ここからはあなた。その境界線はどのように示せばいいのだろう。私とあなた。その境界線は、外への意識が遮断されればされるほどますますぼやけていく。自分の記憶の中にその誰かを招き入れ、目を合わせながら語り合うその時、境界線はぼやけ、自分の記憶の中に、別次元の異空間がぽかんと現れる。

そしてあるとき、意識の風景から、誰かの目が消える。そのとき、私の記憶の目と誰かの記憶の目は、もう視線を交わせることはない。「誰かの目はもうそこにない」意識の風景が大きく切り替わったとき、はたと気づく。私たちは最初から、違う記憶の列車に乗っていて、違う意識の風景を生きている。あなたと私にははっきりと境界線があって然りなのだ。ここからはあなた、こっちが私。そして全くもって当たり前のことだけど、私は初めから誰かの記憶を生きられないし、その誰かも、決して私の記憶を生きられない。お互いは、元々ちがう意識の風景を生きているのだから。


「錯覚」事実とはちがう認識をしてしまうこと。そうか。私は錯覚していたのだろう。語らいが深く進むにつれ、私は自分の記憶の中の異空間に誰かを招き入れ、その誰かと目が合っている、記憶を共にしているといつのまにか錯覚してしまっていたのだろう。未来に居る誰とも、記憶に居る誰とも、今、この私は初めから目を合わせられるはずもないのに。そうか。私は長らく、無人の空間の中で誰も座っていない椅子に向かって、自分の記憶をただ自分に向けて話しかけていただけだったのだろう。

「本当は何もなかったのだ」

意識の風景がぐにゃりと歪み始める。


時に人は、この「錯覚」のことを愛と呼んでみたりするのだろう。得体の知れないこの幻想を、よく分からないものの一括りの総称として、聞こえ良く愛と呼んだりする。例えそれが、誰かへの言い訳、性欲の正当化、犠牲への代償、暴力の理由、そんなものだったとしても、それらを愛と呼ぶことで、愛が未来永劫、人々の壮大な憧れとして君臨し続けるように。
何かを悟らせるように、胸に一つの言葉が浮かぶ。

「ただ私は、その誰かにとっての、流れる意識の風景の一部だったに過ぎない」

意識の風景の中のごく一部の私。愛されなかった私。その実感が胸に迫ってきたとき、ひやりとしたものが背中に広がり始める。今、自分がどこにいて、私は誰だったのか。宙に浮いたように何もかもがぼんやりしてくる。それなのに、頭の片側のある箇所で、何かが火花を散らす勢いで回り始める。どこ。今?誰?境界線が目の前に現れる。幻想と現実の境目。私と誰かの境目。その境界線はやがてぱっくりと裂けていき、そこに底のない、ただの黒い闇が現れる。
車窓に映るみっともない醜い自分の顔と目が合った瞬間、意識の風景がさらに加速度を増して歪み始める。

広い広い空の上に朝と夜の境目が欲しいのならば、私ならナイフを握る。そのナイフで何度も何度も空を切り裂き、無様な境界線をこの手で何本も空に残そうとするだろう。やがてその切先は私へと向き、私の皮膚を破り、血管をちぎり、骨を削り、骨髄に達する。それでも私は何度でも、何度でも切り付け続けるだろう。全てが剥がれて私の身体から離れるまで。私の中から誰かの目が、匂いが、声が、その全てが消えるまで。


軋む車輪の音が、叫び声の様に耳に響き始める。手のひらに汗が滲み出す。心臓の音が速くなる。呼吸が浅くなってくる。いつのまにか、涙で景色はただぼやけてしまっている。言葉が頭の中を駆け巡る。

「何もなかった」「私は居なかった」「私はどこにも居なかった」



「お前は存在していなかったんだよ」




列車は尚も私を揺り動かしながら、ひたすらひたすら、前へと進む。

汗が噴き出てくるのに、ハンカチが見つからない。焦りで手が震える。どうしてこうなるのだろう。私は何をしていたのだろう。私は何を間違ったのだろう。今、私はどこに居るのだろう。私は何なのだろう。言葉が頭の中を駆け巡る。

「私は居なかった」

「私は居なかった」





「私は居なくていい人間」





車窓の風景が流れていく。意識の風景の中を、列車は止まることなくさらに前へと進んでいく。今すぐ自分を空っぽにしてこの空間から飛び出したい衝動に駆られる。

列車の音が、心拍をどんどん跳ね上げていくのが分かる。冷えた指先が次第に痺れてくる。

落ち着かなければ。落ち着かなければ。
呼吸を整えなければ。

念じるように心の中でひたすら唱える。



思い出せ。思い出せ。焦るな。あきらめるな。

思い出せ。











その時だった。拳を強く握り締め、歯を食い縛りながら下を向いていた私の耳に、一人の人間の声が飛び込んできた。

「おはよう」

まるで自分に向けられているかのように、見知らぬ乗客のその声は大きく私の耳に響いた。その瞬間、記憶がぐんと、大きく前に進んだ。




「おはよう」
ふいに一人の友人の顔が浮かんだのだ。泣き腫らした目の私を、いつもと変わらない笑顔で「おはよう」と出迎えてくれたあの人の顔。「ね。がんばろう。大丈夫だからさ」何の境目も持たない、いつもと変わらない笑顔と声だった。彼女の意識が途切れるほんの数日前に、私にかけてくれたその言葉。それを思い出したとき、はっとした。ぱっくりと口を開けた暗闇から、ふわりとした光のようにその記憶は現れた。照明が点ったように視界が明るくなり、我に返った。
ゆっくりと顔を上げてみたとき「愛だった」と思った。その顔に向かって「愛だ」とはっきり思った。言いようもない安堵が、じわりと胸に広がる。浮遊する彼女の意識が、私の背中に手を当ててくれているように思えた。

落ち着こう。


愛が分からなくて苦しむのなら、分かっている愛を何度でも思いだせばいい。

握り締めていた拳が緩み始める。涙がこぼれ落ちる。

深呼吸だ。

大丈夫だ。「人間は、記憶を経験している」

大丈夫。ね。頑張ろう。大丈夫だからさ。

耳を澄ます。意識の風景を目に映す。今、私はどこの駅を通過したのか。意識の風景の中から知っているものを懸命に探す。時間を取り戻さなければと思った。

もうすぐ、降車の駅だ。整えなければ。「おはよう」と扉を開けた時、いつもの優しい顔が今日も待っている。もうすぐだ。整えなければ。深呼吸だ。

落ち着こう。

車窓の風景が目に映る。意識の風景の中に、真っ青な秋空があった。何の境目も持たない真っ青な空が。私が切付けなくともいずれは真っ暗な夜へと変わる真っ青な空が。

未来の感触は不確かだ。空(くう)を掴む手触りに人間は満足しない。「在る」という感触を人間は求め続ける。記憶の列車は前に進む。「在る」「在った」という感触を求めて。

甘え、執着、妬み、寂しさ、自己卑下。それらを排除して誰かを愛せるならば、誰も愛を怖いなんて思わない。

愛は不気味だ。届かないものに手を伸ばそうと、人の何かを掻き立てる。不気味だ。

星に手を伸ばそうとする姿は、不気味だろうか。居るのか居ないのか分かりもしない神様を信じる姿は、愚かだろうか。振り払う人の手を握りに行こうとする姿は、惨めだろうか。

ぶきみだから、おろかだから、みじめだから。そう言い聞かせてぴたりと止む感情は優等生の心のように清らかでさぞかし美しい。

制御された魂は、さぞかし美しい。

それに引き換え、私のこの無様さの何たることだろう。なんと歪なことだろう。

でも泣きながら、どうしようもなく思うのだ。


私の何が悪い。美しくなくて何が悪い。



泣きながら生きて何が悪い。みじめに、おろかに、不気味に、無様に、何かを一生懸命思って、何が悪い。


自分の魂が歪で、醜いとすっかり知っていて、それを引き受けて生きることの、何が悪い。



ゆっくりと自分の心に話しかけてみる。

箱の中身が空(から)だと知っていて、取りに行こうとする人間がどこに居ると思う?

箱の中には、ぎっしりと記憶が詰め込まれているんだよ。開けられる日のために、箱があなたより前で、待っているんだよ。

その箱のことを、心と呼べばいい。待っている。開けられるのを。ずっとずっと自分より前に在って、開けられるべき日が来るのを、待ってくれているんだよ。



「大丈夫。ね。頑張ろう。大丈夫だからさ」


ゆっくりとまた深呼吸をする。


車窓の風景が目に映る。涙が出るほどの真っ青な秋空。今の私の意識の風景。それを大きく吸い込むように、最後の深呼吸をする。意識の風景の中を、記憶に向かって、私の列車が前へと進む。 

心の中で、よく知っている言葉をつぶやいてみる。それは見えない境目を知らせる合図。

「おはよう」

私の今朝が始まった。

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