yukari

本の感想や日々の色んなこと、など。

yukari

本の感想や日々の色んなこと、など。

最近の記事

「見えない力」

3日間程の記憶が途切れ途切れで、ぼんやりしている。実を言えば、私は上記の文章をいつどんなふうにして書いたのか、よく覚えていない。なぜ書いたこの文章を、その時このwebに掲載したのかも、どうやって載せたのかも、自分でも分からない。 人間はどの姿で居れば、人間に見えるだろうか。虎になった李徴、ジョーカーになったアーサー、精霊に取り憑かれたスクルージ。人間が人間でなくなる狂気を描く物語に触れるとき、私は背中が冷える思いがする。どこか何かの瞬間で、この私も、人間ではなくなるのではな

    • 「祈りの声」

      私の頭の中に、奇妙な形の生き物が棲んでいる。頭は馬で、下半身は魚。「海の馬」と呼ばれるそれは、神経、伝達部質、情報、その他多くのもので頑丈に繋がれ、どこを走ることも、どこを泳ぐことも許されず、今も脳という広い海の中に留められている。まるで陸に繋がれた船のように、海の馬は嵐の荒波であろうとも、もはやどこにも逃げられない。 ただ闇を描きたければ、キャンバスを真っ黒く塗りつぶせばいいのだ。それなのに画家は、黒い悲しみや苦しみを姿として描き「本当の闇」と見えるものを描いている。その

      • 顕神と私のともだち 

        縋る目をしている人に出会うことがある。その人達は生きる事を諦めてはいない。その中には時に「今この瞬間を逃せばもう終わりかもしれない」と思わす人も居る。本気が、縋る目の中に見える。だから、手は差し伸べられる。 縋る目で、彼らは絵筆を握っていたに違いない。居るのか居ないのかよく分からない神様を、ともだちのように心に据えて。 人間はたぶん、神様に出会うために生まれてきてはいない。人間はたぶん、ともだちに出会うためにこの星に生まれてきた。心を通わす人、言葉を交わす人、できれば分か

        • 記憶の列車

          「人間は、経験を記憶するのではなく、記憶を経験しているのではないだろうか」通勤列車に揺られながら、ふとそんなことを考えた。 私たちは「意識の列車」に乗っていて、前に進んでいると思い込んでいるのではないだろうか。記憶を後ろに残しながら意識を前に進める。それを「生きること」だと思っている。 でも本当にそうだろうか?私が乗っているのは本当に「意識の列車」なのだろうか。   私たちは、知ってることに従ってしか進めない。これからどこに行こうとしているのか、そこで何をするか、知って

        「見えない力」

          ピノコの手紙

          ピノコの話をします。ピノコとは、ブラックジャックに出てくるあのピノコのことです。私は、ピノコというキャラクターが大好きですが、ピノコのことを思うとき、たまに涙が出そうになります。 ピノコは元々、一人の人間の中にあった奇形嚢腫でした。それがいつしか意志を持ち「切るな!殺すな!」と喚き、その声を断ち切らず、四肢や皮膚を与えて一人の人間として生かしてくれたのがブラックジャックです。人間として生まれ変わる前のピノコは、つまり「病」でした。だからピノコは「病」の生まれ変わりです。万物

          ピノコの手紙