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ピノコの手紙

ピノコの話をします。ピノコとは、ブラックジャックに出てくるあのピノコのことです。私は、ピノコというキャラクターが大好きですが、ピノコのことを思うとき、たまに涙が出そうになります。

ピノコは元々、一人の人間の中にあった奇形嚢腫でした。それがいつしか意志を持ち「切るな!殺すな!」と喚き、その声を断ち切らず、四肢や皮膚を与えて一人の人間として生かしてくれたのがブラックジャックです。人間として生まれ変わる前のピノコは、つまり「病」でした。だからピノコは「病」の生まれ変わりです。万物に意識があると考えれば、悪性腫瘍や良性腫瘍にも意識があるのでしょう。もしも全ての細胞が声を持つのならばそれらはどれも「切るな!殺すな!」と言うのかもしれません。





過去の傷は、私にとってのピノコでしょうか。「忘れない」「忘れさせない」と傷は自ら意志を持ち、自分の中にずっと棲みついているようにも感じます。まるで奇形嚢腫であった頃のピノコのように「切るな。殺すな」とひたすら喚きながら。

恐怖や葛藤、そして絶望の最中にあるとき「自由意志」と言う言葉の何と頼りないことでしょうか。真っ黒な感情の海が荒波の様にぶつかってくるその只中にあって、人間は何を意志の声として聞けばいいのか。せいぜい、波間からようやっと顔を出し息をするのが一時の精一杯。「心など、なければいい」とめどなく噴出する真っ黒な感情のその渦中で、私は何を意志とすることができるでしょうか。

双子の姉の体内で奇形嚢腫として生きながら、ピノコはいつか切られる恐怖にずっと怯えていたことでしょう。醜い形でしか存在し得ない自分の運命を、憎んでいたことでしょう。彼女の「切るな!殺すな!」という恐怖と怒りの叫び。それをブラックジャックだけが「生きる意志」と聞き取りました。それができたのはブラックジャックが、超絶な技法を持つ医師である前に、心を持った一人の人間だったからなのだと思います。

人間の心は、万物にすら意識を見出そうと作用する。いつも必ず無意識に。AIにも猫にも花にでも、必ず「自分と同じこの心があるはずだ」と決まって最初からそう見ようとする。自分と違うと思えば認められない、でも自分と同じだと思えば認め、許せる。「自分と同じこの心がある」奇形嚢腫の声にブラックジャックはそう感じたから、ピノコは「生きること」を許されました。

醜い腫瘍とされていた自分の心を認めてもらえたこと。ブラックジャックにとって敵であったはずの「病」という存在の自分を、許してもらえたこと。同じ人間として生きることを許されたこと。ピノコは嬉しかったはずです。
「私が辛かったように、あなたも辛かった。あなたが嬉しかったように、私も嬉しかった。私が生まれたかったように、あなたもきっと生まれたかった」他者の何らかの意志を見出せたとき、ピノコがこの世に生まれて来れたように、他人という誰かが居て初めて、心は存在の意味を勝ち得るのだろうと思います。

雲や風を掴むかのようにあやふやな私の意志。その「意志」と呼ばれるものが私の中にあるのかないのかということより、もっと重要なのは「他者の中に意志を見出せる能力が予め人間には備わっていること」そちらの方ではなかろうかと私は思うようになりました。

「心など、なければいい」支離滅裂な多過ぎる感情や意志に自分が飲み込まれそうになっている時にでも、私の心を、誰かが自分の心のように大切にしてくれたことを、本当は私も覚えているからです。見えないもの、聞こえないもの、手触りのないもの、あやふやなもの。心がそうであっても、どんな時にも「同じである」と自分の心をヒントとし、誰かが誰かの心を照らし出そうとしてくれている。もしも「許し」というものがあるならば、誰かが照らすその光の中でしかそれは見つけられないのではないか。他者の「意志」を無意識に読み取ろうとする人間の心の始点。それが放つサーチライトが、真っ暗な心の中に小さな許しを照らしてくれるのではないか。ブラックジャックの心が照らす光がなければ、ピノコの命も意志も生まれなかったと思うからです。

私の生きる意志を読み取ってくれてありがとう。私が生きることを許してくれありがとう。生まれさせてくれてありがとう。
ピノコがその気持ちでブラックジャックの横を走り回り、誰かを助けようと共に頑張る姿に、私は涙がこぼれそうになります。ピノコの頑張る姿に励まされて、私の醜さや傷も小さく少しずつ、誰かを救うための何かに生まれ変わってくれるといいなと思います。

R5.9.28

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