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「見えない力」

私のような感受性の強すぎる人間は世の中で「精神が弱い人」とされる。役に立たない邪険とされ鈍感なひとは精神的にタフで優秀とされる。
高精細なフィルターは、全ての粗悪も邪悪も善意も吸い取り、いずれにも善悪の分別がつけられず、澱のように心に溜まり、やがて、満杯になり、溢れ出し、社会性をなくし、人間性をなくし、人の和から外れ、地球の隅っこに座り、それでも生きていなさいと言われ、じさつはダメだと言われ、時間をやり過ごすために大量の眠剤を飲み、時間をすっ飛ばし、何とかだましだまし世界を生きる。感受性がゆたかなことが世の中を生きるのに一体何の意味があるのだろうかと、こんな時に思う。人のため。人のため。人のため。それが私のためになったことがあったのだろうか。皆んなは自分のために生きる。その姿を、私のフィルターが吸い取る。誰も気づかないだろう。澱が山のように積み上がり、私の心が潰されていくことに。誰も気づかないだろう。何も、考えない、何も思わなくていい、感受性など、共感性など、全ていらないと思いながら、今日も意識を消そうとする私を置いて、今日も世界が回っている。私は違う星に行きたいと思う。


3日間程の記憶が途切れ途切れで、ぼんやりしている。実を言えば、私は上記の文章をいつどんなふうにして書いたのか、よく覚えていない。なぜ書いたこの文章を、その時このwebに掲載したのかも、どうやって載せたのかも、自分でも分からない。



人間はどの姿で居れば、人間に見えるだろうか。虎になった李徴、ジョーカーになったアーサー、精霊に取り憑かれたスクルージ。人間が人間でなくなる狂気を描く物語に触れるとき、私は背中が冷える思いがする。どこか何かの瞬間で、この私も、人間ではなくなるのではないか。そして、自分の中にそうなる種のような爆弾を抱えているように思うからだ。

右足、左足、一歩ずつ踏み出しながら人間は「人間の道」を進んでいるように思う。なぜか時に、歩かされているようにも思う。その脇には崖、あるいは闇、底なしの沼。何かの瞬間で自分の中の爆弾の種が破裂すれば、あっという間に道から弾き飛ばされそこに落ちてしまう。そうやって落ちて、私は私の姿を失くし、人間でなくなってしまうのではないかと思う。

宿命は命の場所を示す。あなたの道はここですよと。運命は命を運ぶ。こちらですよ、進みなさいと。その見えない力の出力やコントロールは、決して私一人の手に委ねられてはいない。そのコントローラーを握るのはもしかすると神様なのかも知れないが、例え神様の手からコントローラーを奪うことはできなくとも、人間には、そのコントローラーのボタンを押せる力があるように思う。そっと神様の隣から手を延べ、別の誰かのコントローラーのボタンを押せる瞬間があるのだと。

科学はいつしか、神様の存在を証明するだろうか。もしもその時が来ても、私はやはり、神様よりも人間を信じていよう。

薄ぼんやりした記憶の中に、そこだけははっきりと残っている声がある。一人の人間が私の耳元で確かに言った。「生きていましょう」「生まれてきて下さってありがとう」と。受話器越しのその言葉と声が、確かにあのとき、私の薄ぼんやりした意識の手綱となり、無意識を推し進めた。「生きていましょう」という声が、私の意識を通り抜け無意識に届いた。

何かと何かの世界線の狭間を縫うように、私の意識はふらふらと浮遊していただろう。でもあの時誰かが確かに、私のコントローラーのボタンを押したのだ。神様の脇から手を延べて「進め」のボタンを。命を運ぶボタンを。「生きていましょう」と。

狂気に落ちるなと、人間でいるんだと、私の耳に声を届けられるのは、神様ではない。他でもない、人間でしかない。
意識と無意識の狭間、神様と悪魔の狭間。その間に人間は居る。人間としての道を歩き、人間で居たければ、その背を押せるのも手を引けるのも、恐らく人間でしかない。聞こえる耳を、届ける声を持つのは、肉体ある人間でしかないのだから。

私は人間で居続けたい。誰かに手を引いてもらったこと、背を押してもらったことを、はっきりと覚えているからだ。



この場を借りて、感謝を。
あのとき、私を救ってくれてありがとう。あなたも、横脇の狂気に堕ちることに、まだ怯えているのだろうか。それとも、敷かれたレールの上を歩かされているとまだ今日も困憊しているのだろうか。誰かと、誰かと、誰かと、誰か。幾人もの人が、神様の傍から手を延ばし、幾つもの人間の手と指が、運命のボタンを押し、だから私もあなたも、今日ここに居る。人間の道に。押されたこと、引いてもらったこと、その肌触りが背や手の皮膚に残っていないにしても、心だけは確かに、ぐんと進められたその感触を覚えているだろう。
その心の感触を、私は忘れずに居たいと思う。心に残るその感触こそが、私もあなたも「人間である」という証だと私は思うから。



ありがとう。生きていましょう。

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