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スイミーのことを考えた

「ひとくちで、まぐろは赤い魚たちを1匹残らず飲み込んだ。逃げたのはスイミーだけ」

作者のレオ・レオニはなぜスイミーを「目」にしようと思ったのか。白でも金でも銀でもなく、模様でもほくろでもなく、黒の「目」に。

きっと、海も世間もさほど変わらない。物影から一歩踏み出せば、いつどこからでも敵や恐ろしいものがやってくる。だから群れていることは安心に繋がる。みんなと力を合わせて、たくさんの中に紛れて姿を隠していれば、同じ泳ぎ方で同じ方向を泳いでいれば、きっとどこまでも逃げられるはず。大きな目に映ってしまえばもうおしまいだから、目立たないように、見つからないように。

黒い体は目立つから、生きている命そのものがリスクの塊。だからこそスイミーは、誰よりも海という世間を観察していたに違いない。何が危険なのか、いつが危険なのか、どこが危険なのか。何をすれば安全か。たった一匹で、自分の身を守るために、海や世間を詳しく観察し続けていたに違いない。

「ひとくちで、まぐろは赤い魚たちを1匹残らず飲み込んだ。逃げたのはスイミーだけ」スイミーがたった1匹、逃げ切ることができたのは、恐らくただの偶然ではない。スイミーがどの魚よりも真剣に生きる術を学び続けたからだ。

「ぼくが目になろう」――赤い大きな魚の目に化けて、スイミーはたくさんの赤い魚を守ろうとする。黒かったからという理由だけが、スイミーが目になれた理由ではないはずだ。スイミーは誰よりもリスクや世界を深く見通す力を持っていたからこそ、他者を守れる「目」になれた。

そして、その「目」には他の誰にも見えないものが映っていた。スイミーは海の中の微細な変化も、他の魚たちの些細な動きも見逃さずに捉える。彼は赤い魚たちと一緒に泳ぎながらも、常に次の危険を予測し、対処することができた。スイミーは単なる目ではなく、仲間を導く灯台のような存在となった。

スイミーの存在によって、赤い魚たちはより大きな力を持つことができた。彼らはスイミーという目を信じて、安心して広い海を泳ぎ続けることができた。スイミーもまた、仲間たちの中で自分の役割を見つけ、海の中をみんなで冒険する楽しさに巡り会えた。


「だけど、いつまでもそこにじっとしているわけにはいかないよ。なんとかかんがえなくちゃ」 一匹でも海を泳ぎきれる力を持ったスイミーが、蓄えた自分の知恵をシェアし、食べられることを恐れて隠れている赤い魚たちに呼びかけるこの場面が、私は一番好きだ。

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