コミュニケーションの本質を考えてみる。
私たちは常日頃、無意識のうちにコミュニケーションを取っている。無意識のうちにそれを求め、誰かに伝達するという行動を取っているのだ。
「無意識に求めている」と感じたのは、今年20歳になる娘が赤ちゃんだった頃のことだった。手で物を握りしめることができるようになって、その握りしめた物を私に手渡して笑った瞬間だ。
まだ会話が成り立たない幼い娘が、「コミュニケーション」を目に見える形で示してくれたのを感じた。
先日、渋谷で開催されている #分身ロボットカフェ に娘と一緒に行った。
その時の感想を聞いたのだが、「・・・凄かった」を繰り返す。
いつもながら言語化が苦手な彼女。
娘「だって、うまく言葉が出てこないんだもん。」
私「それで良いの?」
娘「良いとは思ってないけど、まぁいっかーで済ませちゃう。」
少し考えを深めたくて、いろいろ質問してみた。
「もし、あなたが OriHimeパイロットさんみたいな状況になったらどう感じるかな?」
彼女からは次のような答えが返ってきた
・寂しい
・刺激がない
・つまらない
コミュニケーションの本質を考えてみる。
健常者として生まれ、今のところ健常者として生活していると、当たり前のことに価値を感じなくなっていることが多々ある。
「言語化」について当てはめてみる。
・会話ができなくなると、寂しい。
・会話ができなくなると、刺激がなくなる。
・会話ができなくなると、つまらない。
つまり、健常者として、「会話できる」「言語化できる」というチカラを持っていながら、それを蔑ろにしていいのか?ということ。
そう考えると、言語化って大切だね。
もっと自分の思ったことを誰かに伝えられるようになりたい。
想像することで、思考が変わる。
このカラダに備わっているものについても、
たまにきちんと考えてみる。
そういうきっかけをくれた OriHimeパイロットさんに感謝します。
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