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そこに、いた証明。

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記憶に残る、大切な人たちとの瞬間を切り取ったもの。
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#エッセイ

幼き頃の「すっちゃん」は、食べないでと泣いた。

わたしの「すっちゃん」は、もうすぐ二十歳になります。 20年前のわたしは、もう入院していた頃かと思います。 逆子がまったく治らず、お腹の張りも強かったこと。それから、「あまり大きくないので早めに産みましょう」という先生の助言のもと、帝王切開での計画出産が早々に決まりました。 世の中には出産方法にこだわりを持っている方もいると思いますが、わたしにはどうでも良いことでした。目的が「無事に生まれること」だとはっきりしていたので、安全第一にしか感心がいかなかったのです。 不安な

記憶を辿るとき、そこには今の自分につながる線が見えるのだ。

どうしてもの予定がある時に限って、お天気が悪くなるものだなと、朝起きてすぐの空を見て思いました。 とはいえ、遠くの土地では災害に遭われている方もいるので、雨風が強いくらいで挫けるわけにはいきません。 都内の新型コロナウィルス感染者数にモヤッとしながらも、窓を打つ波のような雨風を横目に、出かける支度をしました。 * * * 向かうべき場所の途中には、私が数年間一人暮らしをした場所があります。一人暮らしといっても、共同生活と言ったほうが適切かもしれません。 マンションの一室

子供たちへの3つの質問が証明する、子供に「反抗させない」子育て

「反抗させない」って、どういうことだと思いますか? 子供に有無を言わさぬ子育てみたいな? ほめ育てのこと? 私には、大学生と高校生の子供がいます。姉と弟です。 この二人には反抗期がありませんでした。 反抗期がなかったと言うと 「そんなわけがない。親に隠れて悪いことをしてるはず。」 「そういう子は大人になってから苦労するよ。」 「友達親子ってやつ?」 なんて言われることがあります。 そんな時の私は、笑ってそれを受け流します。どれでもないし、どれも本質から外れているよう

あの角にあった紫陽花は、どんな色で笑っているか。

近所の紫陽花が咲き始めています。毎年、わたしの背丈を有に超える高さにまで枝葉を伸ばしてから花を咲かせます。 生命力を感じすぎて、いつも複雑な気分になります。 生命力を感じすぎる・・・ って言うのも、変な発想なんですがね。笑 というのも、紫陽花の花の季節が終わってしばらくすると、驚くくらい小さく剪定されるからです。 わたしの腰の高さくらいまで剪定されて、ミニマムな姿をさらして何ヶ月もそこにいるのです。 春を感じ初めた途端に、じわりじわり。 春になったのを自覚した途端に、ぐ

その手はもう、しばらくつながなくていいだろう。

娘の部屋に、もう何ヶ月も置いてある大きな箱があります。 それはそれは大きな箱で、身体の小さい私が体育座りして楽に入れるほど。 届いた時はびっくりしたけれど、すっかり部屋の一部と化していて違和感がなくなっています。 今日、ふとその箱を見て思い出しました。 あと2ヶ月もしたら、彼女が二十歳を迎えることを。 それに気づいた私は、自分の中に何かを感じていました。 数時間後、二人で出た散歩の途中、私は、まるで子供みたいに彼女を困らせました。彼女が涙が止まらなくなるまで困らせました

ブルーインパルスの飛行は、無駄だったのか。

2020年5月29日(金)12時25分 わたしはPCで、Twitterを見ていました。 いつの間にか正午を知らせる街のチャイムが鳴っていたらしいことに気づきます。PCに集中しすぎてしまう、わたしの悪い癖です。 適当にスクロールしていると、防衛大臣の河野太郎さんのツイートに目が止まりました。 他にも多くの人が反応していました。 「ブルーインパルス?・・・って、何だっけ?」 聞いたことがあるけれど何であったのか記憶になく、すぐにググってみました。 「お!これは・・・。スゴイ

昨日見た夢は、今日の午後に。

眠りが浅いからかよくわかりませんが、夢をよく見ます。夢を見ていることを覚えていると言った方がいいのかな? 私の夢はだいたい、たいしたストーリーではないことが多いです。普段から淡々と過ごしていることが多いのですが、夢にもそれが反映されているようです。 風景は、幼い頃に住んでいた団地と、今住んでいる街が多いです。そこにこれまで行ったことのある場所が盛り込まれている感じ。 団地に住んでいたのは小学校2年生までなのですが、自分でも不思議なくらい映像として記憶に残っています。

息子の知り合いのネコ様に、会う。

二週間ぶりに家の外に出ました。 よく晴れた風の街は、やはり通常よりも人出が多い雰囲気でした。川を渡る橋ですれ違う人など、いつもであれば2〜3人程度のような気がするのに、10人くらいの人とすれ違いました。 川沿いは、散歩したりジョギングしたりしている人が多く、何だかびっくりするぐらい爽やか。こんな時ですが、街が活き活きしているような感じを覚えました。 「ミャーオ」 橋のたもとに降りると、彼がいました。 「おお!この子は、あの子じゃないか」と、 訳のわからない言葉を発して

優しい言葉が欲しくて。

志村けんさんが亡くなったニュースは、すごくショックだった。 正直、芸能人が亡くなったニュースで、こんなに泣いたのは初めてだった。 子供の頃から知っていたし、出演番組ももちろん観ていた。けれど、特別ファンだということもなく、欠かさず観ていたというわけでもない。 何故こんなに涙が出るんだろう・・・。 そう思いながら、Twitterを目で追う。 そして、次々と同じようなツイートが表示される。やっぱり事実なのだ。デマではなかった。 長く病気を患っていたなら、すんなり納得できた

109の文章を書いたことで、得られた思い。

note毎日更新が100日間続いた。遠く離れたところに住む、大切な友達が教えてくれた。 彼女自身が、Facebookライブを100日間連続UPを達成したからだ。 お互いに6日間くらい続いたところだったか、別のメディアだが、偶然にも続けていこうとしていることを共有し合ったのだ。 彼女はすべて真面目な内容なのだけれど、私はちょっと違う。 「今日は書くことがない」的な、かなり投げやりな文章も書いていたからだ。まあでも、結果としては100日間書いたことには変わりがない。だから良しと

あんなことがあったなと、思い出す時まで。

昨日、用事があって東京駅周辺に出没した。 ちょうどお昼休みぐらいの時間帯だったけれど、どことなく人が少なく。歩きやすさを感じる反面、いつもと違う雰囲気に居心地が悪かった。 企業人のような人たちの少なさも感じたけれど、何よりいつも多くの外国人観光客がいるのにその気配がない。 私は人混みはもちろん好きではないし、並んでどこかのお店に入るようなことも余程のことがないとしない人だ。それなのに、人が少ないのを感じて居心地が悪くなるなんて複雑な気分だった。 あんなことがあったなと、

3.11に思う、生かされているということ。

今日は一日、3.11のことを考えていました。 正直、昨年までは深く考えることを避けていました。 それから、今日のnote毎日更新に「東日本大震災」のことを書くことを迷っていました。 どんな言葉を使っても、軽々しいものになってしまうと思ったからです。 あの日あの時、私は子供二人が通う小学校の校庭脇を歩いていました。ちょっとした忘れ物を、子供の靴箱に入れようと思っていたのです。 その時間は体育の授業などはなく、校庭は誰もいませんでした。 もうあと何メートルかで昇降口といった

涙のカノン。

新型コロナウィルスの影響で、卒業式が中止になったり縮小されるなどの措置が取られている。 思いの外、世の中が「卒業式」といったものに心を寄せているような気がする。中には学校自体が閉校してしまうところもあるようなので、心が痛む。 「卒業式」という言葉を幼いころのワタシが認識したのは、小学校4年生のことだった。吹奏楽をやっていたので、卒業式や運動会などの行事では何かしらの出番があった。卒業式は、入場・退場・校歌・君が代を演奏していた。 クラリネットを担当していたワタシは、今より

さくら咲く頃に思い出すこと。

昨日、久しぶりにスタバに立ち寄った。 オーダーして待ちながら、何気なく後ろを振り返ると、桜をモチーフにしたタンブラーなどが陳列されていた。 桜色は、綺麗な色だ。 うちの近所にも、たくさんの桜の木がある。ちょっとしたお花見なら、どこでもできてしまうくらいいっぱいある。 桜が咲いたら、花粉症でムズムズしながらも、必ず散歩する。 同じような人が桜の木の下でスクショを撮ったりしているのを見る。 そして自分も、同じようなショットを、ああでもないこうでもないと言いながら撮るのだ。