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記憶を辿るとき、そこには今の自分につながる線が見えるのだ。

どうしてもの予定がある時に限って、お天気が悪くなるものだなと、朝起きてすぐの空を見て思いました。
とはいえ、遠くの土地では災害に遭われている方もいるので、雨風が強いくらいで挫けるわけにはいきません。

都内の新型コロナウィルス感染者数にモヤッとしながらも、窓を打つ波のような雨風を横目に、出かける支度をしました。


* * *

向かうべき場所の途中には、私が数年間一人暮らしをした場所があります。一人暮らしといっても、共同生活と言ったほうが適切かもしれません。
マンションの一室を一人ひとり与えられて、住んでいたからです。社員寮でした。

実家の居心地が非常に悪くて、高校を卒業してすぐに家を出ました。共同生活であろうと、一人で生活することだけを願って学生時代を過ごしていたので、寮に入れることが決まった時は嬉しさで飛び上がる思いでした。


実際の共同生活は、うすい壁で仕切られているだけなのでプライベートは守りにくいし、台所・風呂・トイレ・洗濯機など、都合の良い時に使えないし。なかなか不便でストレスの溜まるものでした。

同じ部屋(室)に、「レイさん」という女性が住んでいました。
レイさんは中国人で、中国にご主人と娘さんを残して日本で働いている方でした。
高卒で入社した私には、お子さんもいるレイさんは少し遠い存在でしたが、一生懸命に日本語で話しかけてくださったのを覚えています。

当時、レイさんの他にも何人かの中国人の技術者の方が社内にいました。
春節?だったのか? 記憶がないのですが、何人もの中国人の方が集まって、台所で大騒ぎしていました。

大騒ぎ・・・というか、とても楽しそう。
私の印象なのか、イントネーションの印象なのか、中国人の方たちはいつも声が大きく感じていました。
だから、賑やかに楽しく話しているのが、大騒ぎだと感じたのだと思います。

廊下に出たタイミングで私に気づいたレイさんが、
「うるさくてすみません。みんなでギョウザをたべています。」と笑ったのを、今でも覚えています。


* * *


電車の窓から外を見ると、当時社員寮だった建物が見えました。今はこの会社は隣の街に拠点を移したので、この建物がどんな使われ方をしているのかは全くわかりません。

そもそも、何十年前の話しだ???

そんな事を思いながら、ホームに降り立ちました。


* * *


「時は経つ」。

当然ですが、年齢を増すごとにそう感じます。自分でも驚くほどです。
少し寂しくなりそうですが、できるだけ前向きに捉えたい自分がいるのを感じます。

高卒入社し自由だけを求めていた、あの頃の私は今はいないけれど、あの頃には想像もしていなかったものに囲まれているからです。

私に子どもが二人いるように、レイさんにはもしかしたらお孫さんがいるかもしれません。
細く背が高くて、メガネをしていたレイさんは、今どこで何をしているのか知るよしもありません。きっとどこかで、はっきりした声音で話し笑っているのだと思います。


記憶を辿るとき、
そこには今の自分につながる線が見えるのだ。

自由だけを求めていた私は、今も自由を求めているような気がします。
私にとって自由とは、精神的な自由です。

完全に自由にはなれないと知っているけれど、変なしがらみや、誰かの価値観に惑わされない。文化にも惑わされない、自分で選ぶことのできる状態。そんな言葉が思い浮かびます。

そう。
私は選んでいいのです。
選べることが自由なのです。


レイさんはいつも、「日本で学んで、中国に帰って家族と暮らすのが楽しみです」と言っていました。
娘さんの写真を、私に見せてくれました。

あの頃の私にはわからなかったけれど、レイさんもきっと、日本で学ぶという選択をして自由を手にしようとしていたはずです。

そんなことを考えていたら、乗り過ごしそうになって慌てました。
雨脚はさらに強くなったけれど、気持ちは少し上向きになりました。


七夕の日である明日も、九州地方は雨が続くようです。
少しでも早く雨が止むことを祈り、今日のnoteを閉じます。



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