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幼き頃の「すっちゃん」は、食べないでと泣いた。

わたしの「すっちゃん」は、もうすぐ二十歳になります。
20年前のわたしは、もう入院していた頃かと思います。

逆子がまったく治らず、お腹の張りも強かったこと。それから、「あまり大きくないので早めに産みましょう」という先生の助言のもと、帝王切開での計画出産が早々に決まりました。

世の中には出産方法にこだわりを持っている方もいると思いますが、わたしにはどうでも良いことでした。目的が「無事に生まれること」だとはっきりしていたので、安全第一にしか感心がいかなかったのです。

不安な毎日を過ごすよりも、病院にいていつでも対応してもらえるなら、それがいちばん安心でした。

遠い夏の日のことを思うと、病室から見た花火のこととか、今でも続くことになる地元のママ友達とのつながりの発端となったこととか、とても胸が熱くなります。


計画出産だったので、当然ながらあらかじめ誕生日が決まっていました。
主治医の先生は女医さんで、長い髪をサイドテールにしている姿がとても美しくて、憧れてしまうような人でした。


「帝王切開の手術は、8月7日にしましょう。」


手術に対応できる日にちを確認するパソコンの画面を見ながら、美人先生は言いました。

命が生まれる日をあらかじめ決定できるって、何だか不思議だなと思いながら、「あ、はい。」とふわっとした返事をした私に、さらに美人先生は言葉を続けます。


「8月7日かぁ。うちの娘と同じ誕生日よ。とってもいい子に育つはず。」


初めての出産。お母さんになるイメージが沸かない自分。身体にメスを入れる行為なのに、まるで他人事に聞こえる。でも、確実に大きくなったお腹。

そんなわたしに、この言葉がとても響きました。
「うちの娘」「いい子に育つ」の響きを、いつか自分も口にする日がくるのだと、急に思い描くことができたのです。


8月7日。すっちゃんは生まれました。

ドラマでしか見たことのなかった手術室で、朦朧とした意識の中で、小さな命が目の前に現れました。
小さいと言われていましたが、近い日に生まれたベビーと並べると、確かに手足がガリガリでした。

「小さく産んで、大きく育てましょう」

これも美人先生がくれた言葉です。
とはいえ、すっちゃんは食欲旺盛なベビーだったので、あっという間に大きくなりました。


幼き頃の「すっちゃん」は、食べないでと泣いた。

すっちゃんにはその後、くっきり二重の弟が生まれます。
はっきり一重のすっちゃんが、わたしの愛情を独り占めしていた黄金期。とにかくよく食べてよく寝る子でした。

下手すると1時間以上食べ続けるため、保健師さんに相談したところ「食べすぎです」と笑われました。
同じ病院で産まれたママ&ベビーと頻繁に近所で遊んでいましたが、皆で食事をしようものなら

「すっちゃんはよく食べるねー。えらいねー。」
と褒められてホクホク顔でした。

母としては、ずっと食べてないで友達と遊んで欲しかったんですけどね。いつまでもママたちの雑談の輪にいるのが、虚しかったねすけどね。

そんなある日のある朝、寝起きに座り込んでモニョモニョしているあなたが可愛らしくて、

「すっちゃん、かわいいね。お母さん、食べちゃおっかな。」

と言いました。
すると、すっちゃんは、突然ワナワナし始めて、

「かかしゃん、たべちゃだめーーー。」

と、号泣し出しました。
朝一から大泣きですわ。

わたしの中では、若干引き気味だったのですが、子供っていうのは例えが効かないものなのだと思い知らされました。


さすがにその日から、どんなに可愛くても「食べちゃう」とは言わなくなりましたが、たまに昼寝中に食べそうになったことがあることは内緒にしておきます。


さて、8月に入ったら、成人式の振り袖を着て前撮りの写真を撮ります。
ナント!1年前から予約していたのです。

そもそもこのコロナ禍で、来年1月の成人式は、無事に迎えられるのでしょうか・・・。
なんて思いながらも、振り袖を着た姿をみたら、また食べたくなるような気がしています。

そう。
あれから20年なんだよ。
すごいね。


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