涙のカノン。
新型コロナウィルスの影響で、卒業式が中止になったり縮小されるなどの措置が取られている。
思いの外、世の中が「卒業式」といったものに心を寄せているような気がする。中には学校自体が閉校してしまうところもあるようなので、心が痛む。
「卒業式」という言葉を幼いころのワタシが認識したのは、小学校4年生のことだった。吹奏楽をやっていたので、卒業式や運動会などの行事では何かしらの出番があった。卒業式は、入場・退場・校歌・君が代を演奏していた。
クラリネットを担当していたワタシは、今よりもずっと負けず嫌いだった。負けず嫌い?いや、少し違う。「他の人よりも目立ちたい」が正しかったと思う。
卒業式では、「パッフェルベルのカノン」という曲を演奏するのが毎年のことになっていた。初めて聞いた時から今のいままで、ワタシが愛してやまない美しい曲だ。
楽譜のタイトルには「涙のカノン」と記載されていて、4年生ながらも、悲しい曲、別れの曲なのだと感じていた。
この曲はとても繊細だ。少ない音から、徐々に音符が細かくなって盛り上がるような。曲のペースはさほど早くないのに、とても細かい運指となる。
吹奏楽におけるクラリネットは、主旋律を担当することが多い。
ワタシがクラリネットを選択したのも、主旋律を演奏して目立ちたかったからだ。
卒業式で演奏することは理解していたけれど、卒業式を経験したことがなかった。どんなものかもよくわからないまま、とにかくこの繊細で指の運びがとても多い曲をいかにして滑らかに演奏するかしか考えていなかった。
体育館は前日から、卒業式仕様になった。数日前から予行演習が何回もあったが、半分は退屈でしかなかった。
卒業式当日、その空気感に驚いた。
みんなが「ちゃんとした服」を着ている。
「厳か」という言葉は、この時のために作られたもののような気がする。
涙のカノン。
何百人といるはずなのに物音一つしなくなった時、指揮棒が振られた。
この時の緊張が忘れられず、それから高校まで吹奏楽を続けた。
公立の小学校で、隣の小学校の子たちと一緒に中学生になるわけで。しかも当時は私立に行く子も5本の指に見たないほどだったから、さほど「別れ」でもないと思っていた。
退場の時、6年生が泣いているのを見て、とても驚いたのだ。
驚きながら「今できることは、涙のカノンを吹くことだけだ」と強く感じていた。
あれから何回かの卒業式を経験したが、頭の中には「涙のカノン」が流れていた。言葉にならない、言葉にし尽くせない、多くの人の思いが集結するあの空気感を思い出すために。
・*・*・*・
そんな子供だったワタシが大人になり、大人になったワタシに子供ができた。その子供が小学生の頃、校長先生と教頭先生には、親子共々こころからお世話になった。
卒業式を控えた季節、教頭先生と話していた時に聞いた言葉がある。
「卒業式で巣立っていく子供たちを見る。
この日のために一年間、根気強く子供達と向き合っているんですよ。」
いろんな思いで、3月を過ごしている子供たち、家族、そして学校教育に関わる全ての皆様に、心から尊敬の意を抱くと共に穏やかな春を迎えられることを願ってやみません。
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