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紫がたり 令和源氏物語 第百七十九話 薄雲(七)

 薄雲(七)

帝は人知れず苦悩しておられました。
この世にただ一人となった身と思っていたのに、実は父が生きてあるということは嬉しく感じますが、その父を臣下としているところが心苦しくてならないのです。
それよりも帝位に相応しくない自分が帝となったことが天変の原因であると思われてなりません。
帝はご自身が世に生まれてはならなかったのではないかとさえ考え、悩まれておられます。
そんな折に賀茂の斎院・朝顔の姫宮の父君である桃園式部卿宮がお亡くなりになったという知らせが入りました。
益々世は不安定になるばかり。
もう退位してしまいたいと源氏の大臣を側近くに呼び寄せました。
「私に帝としての資格がないから天がお怒りなのでしょう。いっそ譲位してしまいたいのです」
源氏はこの唐突な申し出に驚愕しました。

国を治めることに前向きであらゆることに取り組んでこられた主上がここまで心弱くなるとはどうしたことであろうか。

「世の中が穏やかでないのはご政道の良し悪しで決まるものではありません。唐などにも賢帝の治世に内乱などがあったりと世が騒がしくなったこともありました。どうかお気をたしかにお持ちください」
源氏の言葉につい事の真意を確かめたく思召す帝ですが、そのようなことを尋ねられるわけもありません。
母がひた隠しにした秘密を知ってしまった、と王命婦に知られるのも気が引けて、命婦が御前にて奉仕しても目を合わせることができない主上なのです。
この国をよく導きたいと願ってきた若い帝にとって自身の存在そのものが天の意志に背いているのだと目の前に突きつけられたようで、苦悩は益々深まるばかりなのでした。
その頃からでしょうか。
元々学問には熱心な上でしたが、和漢書籍の蔵を開いて何かを探すように数々の文献を読み漁る御姿が見られるようになりました。
側近達は天変を憂うお主上が賢帝となるべく修練を重ねておられるのかと感心しましたが、当の帝はご自分のような事例が過去にはなかったであろうかと史書を紐解いておられたのです。
唐などには皇統の血筋が乱れた例なども度々あったようですが、本邦の史書においてはそれはやはりあったとしても秘されるべきこと。正史に記されることはなかったのです。
しかし一度臣籍に下った皇族が大納言、大臣となり、再び親王に戻ってから帝位に就くという例はいくつも見られました。
この事実を知ってからの主上は何とか源氏の大臣に譲位できないものか、という考えに取りつかれるようになられました。

秋になり、司召し(官位の任命)の頃になった折に、とうとう帝は源氏を側近くに召してその旨を告げられました。
その時の源氏の受けた衝撃たるや想像するにもあまりあるものでしょう。
「お主上、何を仰られるのです。亡き桐壺院は数多いる皇子のなかでもことさらに私を可愛がってはくださいましたが、帝位にということは望まれませんでした。私はこれからも院の思し召し通り朝廷にお仕えし、もう少し年をとりましたらば仏弟子になりとうございます」
帝は源氏のこの慎んだ言葉を大層残念に思召されました。

 ようやく間違いを正すべき方法が見つかったと思っていたのに・・・。
 天はきっと私をお赦しにはならないであろう。

帝はふたたび苦渋を滲ませ、深く溜息を吐かれたのでした。

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