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紫がたり 令和源氏物語 第百八十話 薄雲(八)

 薄雲(八)

源氏は退出の道すがらお主上の思い詰めたような瞳を思い返しておりました。

私を帝位になどと、思い切ったご提案であったが如何したのであろう?
それに近頃お声をかけられる折にも以前とはいささか様子が違ったように思われる。
もしや帝は出生の秘密を知られたのではあるまいか?

源氏にはもはやそのように思われてならないのです。
この秘密を知るものといえば、と王命婦の局を訪れました。
「命婦、あのことを誰か他の者に漏らしたことはあるまいな」
命婦は突然のことで驚きましたが、亡き女院に今も忠誠を誓っている女房です。
「口外するはずもございません。亡き女院は帝には何があっても知られてはならぬと気を遣っておられました。しかしその一方で、帝が真実を知らぬことで親子の礼を欠き、仏罰がくだるようなことがあっては、と二つの心に引き裂かれるように苦しまれておりました」
命婦が亡き女院の人柄に想いを馳せてしんみりと俯くのを源氏もあの御方らしいご煩悶であると頷きました。
もしも帝が真実を知られたのだとしても表に出して問われることはないであろう、とも源氏は考えました。
帝はものの道理を弁えた賢い若者です。近頃の天変と合わせていろいろ学ばれて今回のような申し出をされたのでしょう。
そもそも源氏はある程度の目途がついたら朝政から身を退こうと考えておりました。
若い人材が育っていることもあり、権中納言(ごんのちゅうなごん=葵の上の兄)が大臣にもなったらばすべてを任せて御仏に仕えようと思っていたのです。
今しばらくはお主上をしっかり支えてゆくのが己の務めと心得ております。

冷泉帝は源氏が申し出を辞退したことをたいそう残念に思召しておられました。
色々と考え抜いた上で出した結論ですが、源氏の大臣のように高潔な人物がそれをよしとするはずもなく、さらなる敬愛の念が湧いてくるばかりです。
現在春宮であらせられる君がまだ幼いこともあり、こちらに譲位というわけにもいかないでしょう。
しばし国を預かる身と己を戒めて勤めてゆこうと御心を決められました。
これ以上民を不安にさせてはならないのです。
そんな帝の御心を天が聞き届けたのでしょうか。
俄かに天変は収束し、前のように穏やかな日々が取り戻されました。

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