紫がたり 令和源氏物語 第百八十一話 薄雲(九)

 薄雲(九)

秋も盛りの頃、夏の暑さで体調を崩された斎宮の女御(梅壺女御=六条御息所の姫)が親代わりである源氏の二条邸にお宿下がりをされました。
源氏は寝殿を美しく磨き上げ、華やかに飾り、居心地がよいようにと庭の前栽には今見頃の情緒あふれる草花、菊や竜胆、藤袴、桔梗、薄などを配して秋の庭を作り上げました。
そうして女御が寛がれておられる夕べにご機嫌を伺いに寝殿を訪れました。
心裡ではいまだ亡き女院の喪に服しているので濃い鈍色の直衣を召した源氏の姿は重々しくも上品な様子です。
親代わりということもあり、御簾のうちに入り、几帳を隔てて直にお声を聞くことができるのが嬉しい君は寛いでおりました。
つれづれに世間話などをしているうちに虫の声などが響いてきて、なんとも情趣溢れる風情のせいでしょうか。
源氏は後悔の念が残る恋の話など昔を懐かしむように語り始めました。
「なんといっても女御の御母上、御息所には恨みを抱かれたままこの世を去られたのが残念でなりません。あの嵯峨野の野の宮をお尋ねしたのもこのぐらいの頃、清々しい秋の宵でした」
女御も虫の声を聞かれて母上を懐かしく思われたのでしょう。
目頭を袖で押さえられる仕草がほんのりと優美に伺えて、ふわりと薫る香がまた奥ゆかしく感じられます。
「こうして女御にお仕えして罪が少しでも消えればと願うのみです。今ひとつ悔やまれる恋がありますが、それはまぁよいでしょう」
そのもう一つの恋とはけして表には出せぬ藤壺の宮へのせつない恋なのでした。
秋の宵というのは心に沁みて趣あるものです。
遠くを見つめとりとめもなく話す源氏の言葉を女御は黙って聞いておられました。
帝の寵児でありながら失脚し須磨をさすらった過去のこと、今再び朝政に参画して栄華を極められた天下人の追憶の言です。
しみじみと女御は相槌をうたれました。
その様子がやはりあの貴婦人の姫らしく、きっと優れた御方に違いないと思うと源氏の男心はくすぐられます。
しかしその好色心はじっと抑えなければなりません。
「時に唐(もろこし)では春の花の錦に勝るものはないと言われ、我が国では秋のあわれが勝っていると言われます。さて、御身はどちらを贔屓とされるのでしょう?」
「わたくしごときが春秋の優劣を語るなどおこがましく感じられますが、古歌に“いつとても”とあるように、秋の夕暮れが亡き母の思い出にも通じるように思われます」
源氏の女御への恋心はいよいよ抑えがたくなり、

君もさばあはれをかはせ人知れず
     我が身にしむる秋の夕風
(あなたも秋の夕暮れに心を惹かれるのであれば、同じように思う私に情けをかけてください)

「私はずっとあなたへの想いを心に秘めてまいったのです」
源氏の告白に生来潔癖な姫は戸惑いました。
“いつとても”などと詠んだばかりに迂闊なことをと悔やまれます。
源氏の粘りつくような哀愁が疎ましく感じられ、じりじりと奥に引き下がってしまわれました。
「おや、これはご機嫌を損ねましたね。秋のあわれの戯れですよ」
もう少しで過ちを犯しそうな君でしたが、ふと我に返ったようです。
しかしながら女御には源氏の去った座に薫物の移り香が残るのも不快でなりません。
この世にも稀なる御方はやはりどうにも手の届かない存在に心を動かされるようでございます。
ひとえに心から求めてやまなかった宮がこの世を去ってしまわれたというやるせなさが二度と後悔をしたくないと君を衝き動かすのでしょうか。
立派になられたとは申しましてもまだまだ迷いの多い源氏の君なのでした。

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