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紫がたり 令和源氏物語 第八十八話 賢木(十七)

 賢木(十七)

藤壺の中宮の御出家は世の人々に大きな衝撃を与えました。
入道となられた宮は中宮の御位も自ら返上されました。
それを心からいい気味だ、と思われたのは大后ただ一人でしょう。
しかし大后はそれだけでは飽き足らず、宮に与えられるはずの御封(みふ=収入)なども止めてしまわれて、世間では情けもなく畏れも知らない皇太后であるよ、と陰口を叩かれておりました。
なるほどあのような御方が君臨されているから、中宮は自ら身を引かれたのか、一体この世はどうなるのかと下々の者にまで嘆きが広がります。

さらに天下の重鎮である左大臣も辞職願を提出しました。
左大臣は亡き院が重く尊重していた御仁です。
帝は辞表を返し、思いとどまらせようとしましたが、左大臣は改めて辞表を提出するという意志の固さで取り付く島もありません。
帝は院に申し訳なく、あの世で会う時になんと言われることかと御胸を痛められましたが、外祖父の右大臣は目障りな者がいなくなったと大喜びです。

世に不安が蔓延り、このようなところから国は乱れてくるということに、一切お気づきにならずに世を謳歌される右大臣一派。
歴史上このような輩が長く栄えた試しはないのです。
三位の中将もこの度の司召(つかさめし=官位の任命)での昇進はありませんでした。
中将の北の方は右大臣の四番目の姫君ですが、どうやら中将が色好みなのを憎んで懲らしめるおつもりのようです。
しかし当の中将は源氏でさえ昇進もしないのに自分だけいい思いをするのも気が引けるからちょうどいい、というくらいに気楽に構え、気にもしないようでした。

宮中に出仕してもどうせやることもないのだから、と近頃源氏は二条邸で学問の会などを開いております。
才能があるのにも関わらず右大臣に睨まれている優れた学者や公達などを集めて書籍を持ち寄り、いろいろなことを論じ、教養を高め合っているのです。
そして時には賭けをして知識を競いあったりと、若く才気煥発な者達で集う会のなんと愉快なことか。
桐壺帝の御代にはこうした教養の高い遊びが度々催されました。
それは誰あろう帝ご自身が学問に造詣の深い御方だったからです。
帝に認めていただきたくて、若者達は精進し、優れた人材が多く出たものですが、右大臣も大后も学問などは政事には不要、という向きがあるので学者や博士などにも不遇なご時世なのです。
異国と対等に渡り合う為にはこういった人材が重要になってくるのですが、栄華に酔いしれて足元がおろそかになる、などということも歴史上にはよくあること。
賂政治のなれの果てはどう考えても良い結果になるとは思えないのです。

ある時中将がにやりと笑って源氏に提案してきました。
「今日は韻塞ぎ(いんふたぎ=)の勝負をしませんか。私とあなたの組に分けて、負けたらごちそうするというのはどうでしょう?」
「中将よ、何やら自信ありげだな。受けて立とうではないか」
源氏も不敵な笑みを返しました。
韻塞ぎとは、古人の詩の韻字を隠して言い当てるゲームですので、漢詩によほど詳しくなければなりません。
中将は漢詩を得意としていて、これならば源氏に勝てると踏んだのでしょう。
ところが中将が思うよりも源氏は強敵で、接戦ではありましたが、中将の負けとなりました。
「漢詩なら負けないと思ったんですけどねぇ。よろしい、みなさんを饗応いたしますよ」
中将は素直に負けを認めて、後日自分の組だった者も邸に招いてごちそうを振る舞いました。
たいそう楽しい宴となり、興が乗ってくると心のままに笛など吹き鳴らして久々に胸のつかえがとれるようなひと時です。
まるで桐壺帝がいらした時のような明るさを取り戻したのでした。

源氏の弟である帥宮(そちのみや)は楽に秀でていらしたので、こうした遊びには必ず参加されます。弘徽殿大后や右大臣に対して敵愾心はありませんでしたが、兄弟仲睦まじくするのは、道理である、と気にもされておられないようでした。

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