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紫がたり 令和源氏物語 第三百四十七話 若菜・下(十三)

 若菜・下(十三)
 
辺りには暮色が滲み、梅の香りがほんのりと漂うのが風情を増します。
髭黒の右大臣の三郎君の笙の音色が柔らかく響くと追うように夕霧の太郎君の横笛が続きました。
子供らしい素直で伸びやかな音色に女君たちは微笑んで応えます。
夕霧は紫の上がどんな風に和琴を奏でるのか楽しみで仕方がありませんでした。
和琴というものは合奏の要のような楽器で、これといって特別な技法があるわけではありません。それをどのように弾かれるのか・・・。
和琴の音を探すように夕霧は目を閉じました。
 
 ああ、なんと清しい音か・・・。
 
紫の上の軽やかな爪弾きは天衣無縫の響きが感じられます。
夕霧は目から鱗が落ちるような思いで、このような弾き方があるのかと感心しました。
男の手とはまた違った味わいで温もりがあって耳に優しい調べです。
なるほど楽というものはその人の内面までも映し出すものであるよ、とあの野分で垣間見た麗しい姿が脳裏に甦ります。
明石の上の琵琶の音色はもう名人級と言っても過言ではないでしょう。
難しい技法をさらりと弾きこなして、正統な調べではあるものの目新しいところなども垣間見られ、こちらも優れた女人であると察せられます。
演奏の端々に筝の琴の音色が華やぎを与えているようで、さすが女御である、帝の寵愛が深いのも頷けるよ、と夕霧は妹姫の調和を重んじながら楽を引き立てる奏法にも満足気な笑みを浮かべました。
どの女君も自分なりのスタイルを持った演奏をなさるのは実に興味深い処であります。これはよほど楽に親しんで弾きこなしているからこその賜物で、奏者の心情までもが滲むようであるのが、まさに一期一会の邂逅。後にも先にも同じ演奏は二度とないのである、そうしみじみと感じ入る夕霧なのです。
それを鑑みると女三の宮の音色は教わった通りをなぞるだけのもの。練習の成果あって危なげなく弾いていらっしゃるものの、まだまだ奥行きが足りぬように思われます。
果たして修練を続けたところで宮ご自身に引き出しがあまり無さそうなので深みのある音色が出せるものか、とあの御簾が巻き上がった時に呆けた様子で佇んでいた宮の姿を思い出す夕霧の口元には皮肉交じりの笑みが浮かぶのでした。
 
源氏はというと宮がなんとか後れをとっていないことに安堵しました。このレベルならば格段の進歩、きっと朱雀院も満足されるに違いありません。
そうしてふと几帳の内を覗くと、宮は真剣な面持ちで琴に食い入るように臨んでおられます。
相変わらずほっそりとなよなよとした印象で、仰々しい装束ばかりがそこにあるように可愛らしく感じられます。
もしもこの御方に軽やかな装束の方が似合うでしょうが、ご身分柄そうしたわけにはまいりますまい。
羽衣のようなものを纏えば春先にそよそよとたなびく若柳のようになよやかなことでしょう。

女御の姫は宮とさほど年齢が違わないのですが、大人びて優艶であらせられます。子を成して風格が加わったようで、物腰もまろみを帯びているのが気品に満ちて、まるで初夏までも色褪せない藤の花房を思わせる佇まいです。
紫の上はつと俯くとさらさらと流れる髪が豊かで香気に満ちた姿です。
これぞ成熟した女人でありましょう。
春の女神のような微笑みを浮かべ、その手先からは桜がこぼれ咲くような優美さです。難なく和琴を弾きこなしていられるのがやはり二人といない優れた人であるよ、といつ見ても惹きつけられるのです。
明石の上は琵琶を置いて膝に懸けるようにして弾いているのがなんとも艶やかで、そのさりげなくも見事な撥さばきがやはり只人ではないと感じられます。
明石の浦で培われた水を映すような響きは健在でこの人が龍王と結縁すべき高貴な女人であったことが思い出されました。
これほどに優れた女人たちに恵まれた源氏の君ですが、心の隅ではやはりあの御方の手が懐かしい、などと密かに思われて、栄華を極めても渇望する心は満たされぬのでした。

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